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源三郎江戸日記(弟四部)2
暫く歓談して三人は帰っていったのです、部屋に戻ると七衛門が来てえり、おめでとう御座りますと言うとので、又厄介な事になってしもうた、どうだ七衛門武士にならぬか500石で取り、
たてるがと言うと、勘弁してくだされませと言うので、そうじあな、商人の方が気が楽かと言うと、わたしは殿の傭兵の頭に御座います、いつでも戦は出来ますと言うので、これからも、
宜しく頼むと言ったのです、
若狭屋が相模屋、越後屋、江戸屋が次は誰の後ろ盾になれば良いかと言うていましたがと聞くので、間部からは何も言うてこないのか聞くと、ハイ、どうやら銭屋を後ろ盾にする積もり、
らしいのですと言うので、それなら、土屋様と秋元様は再び老中になったそうじあ、柳沢様は止められるそうなので、相模屋はわしの後ろ盾にしょう、七衛門どうじあと言うと、ハイ、
玄海屋と相模屋が後ろ盾なら、
軍船が40隻となり簡単に兵4000人は何処でも運べ、船子の数も1600人になりますと言うので、それは大軍じあなと言うと、間部は手がだせぬでしょうと若狭屋が笑ったのです、相模屋、
を呼びにやり話をすると、勿論引き受けますよと喜ぶので再び杯を重ねたのです、色々歓談して根岸に戻り、母上、お律、お秋に話をすると、みながおめでとう御座りますと言うので、
ここはそのままにします、
川越藩の下屋敷の代わりにしますと言うと、母上が構いませぬ、敷地は余っていますので、長屋も建てればよいというので、ここには家臣は置きませぬので、このままでよいのですと言、
うと、母上がそれはなりませぬ、7万石の格式は備えねばなりませぬ、若狭屋に言うて計らいますので、安堵しなされと笑ったのです、お秋をはじめ腰元達は異存なければわしに奉公し、
てもらうがと言うと、
腰元たちが宜しくお願いしますと言うとので、わかった、このまま、母上とお秋に使えよといったのです、ところで、お律は柘植とはどうなったのじあと聞くと、あのはなしは断りました、
やはり江戸が良いですと笑うので、若狭屋を継ぐかと言うと、そうしなければならないでしょうと言うので、話はと聞くと、越後屋の次男の直次郎さんとの話がありますと言うのでお律は、
会った事があるのかと聞くと、
ハイ、剣の道場にも通っています、この前立会いましたが中々の腕でしたと言うので、それでは話を進めようと言うと、お願いしますとお律が言ったのです、話はトントンひょうしに進み、
お律は直次郎を婿に迎えて若狭屋の跡を継いだのです、若狭屋も安堵したみたいで、自分は隠居してお律夫婦に店を任せたのです、お律は奥を束ねて、直次郎は商いに精を出したのです、
源三郎は高鍋藩、上杉藩、旗本から藩士350人、郎党家族を入れて1500人を奉公させ、7万石の格式を整えたのです、川越城を受取り、江戸家老は上杉より、江戸次席家老であった戸田に来、
てもらい、上杉の江戸家老には千坂兵部が再び就任したのです、高鍋から遠山に800石で来て貰い川越の城代家老として、物産会所を作り差配してもらう事にしたのです、上屋敷を深川に、
拝領してお玉以下が移り済んだのです、
間部が老中なので丸の内に上屋敷をと言ったのだが断り、あえて川向こうの深川にあった前田藩の下屋敷を譲って貰い、上屋敷としたのです、当時大名の下屋敷は別邸の役目として藩主の、
休養場所となっていたので、庭園がありののんびり過ごせるようになっており、源三郎には都合の良い場所だったのです、半年後柳沢は老中を退き隠居したのです、家宣は正徳の改革をす、
る事になり、
間部と白石に骨子を作らせたのです、朝鮮との関係改善、蝦夷、琉球の開発、金銀の改鋳、武家諸法度の変更、長崎貿易の縮小を家宣に上申したのです、老中が協議する事になり源三郎が、
御座所に行くと、金銀改鋳をなぜやるのかとの土屋が問いただしたのに対して、今の小判の金の含有量を慶長小判と同じにして価値を高める、又銀に関しても小判の金を増やした分量にみ、
あう分を2朱銀、2分銀の銀の含有量を増やすので、
貨幣下価値が下がる事はないと言ったのです、源三郎が貨幣価値が上がるのは結構だが、そうなると、金銀が足りなくなり、小判、銀貨の流通量が減り物の価格が高騰して庶民の生活は苦、
しくなりますぞと言うと、20年かけてゆっくりやれば殆ど影響は無いと言ったのです、それは算術的な試算であり、その噂を聞いただけで新小判と急小判の価値が違う事になり混乱するの、
は必定ですと言うと、
両替の比率は従来のままにするように、両替商にはきつくお達しをしますと言うので、闇の交換が横行しますぞと言うと、厳しく取り締まれば良いといったのです、間部がいきなりやるの、
ではないので、様子をみて弊害あらば中止すれば良いので御座ると言うと、家宣が源三郎心配は分かるがやらしてみようというので、それでは弊害あらば直ぐに中止すると言う事であれば、
異存ありませぬと言つたのです、
次に長崎貿易の縮小ですが何を目的とするのかを聞くと、なるべく国内で物を作らせる為です、ガラス細工等は国内で十分出来ます、国内の殖産できるもの輸入の規制をすべきなのですと、
言うので、それには幕府が資金を出して国内の殖産を奨励しなければなりませぬ、そんな、資金が何処にあるのかと言うと、各大名にやらせれば良いので御座ると言うので、どの大名も、
財政は逼迫している、
とてもそんなものに回す資金など御座らぬというと、それなら、商人に助力させましょう、先代の時も印旛沼、相模原は商人の助力で出来たので御座れば、国内殖産の振興は出来るはずで、
すと言うので、我が国にそれを作る職人はおりませぬ、まずはそれを育てる事からやるとすれば、莫大な資金と時がかかりますぞと言うと、これもすぐやるのではなく徐々にやらせるので、
御座ると言ったのです、
これも家宣がともかくやらせてみようというので、源三郎はそれ以上の反対はしなかったのです、こんな雑な計画が上手く行くはずがない、抜荷が多くなり幕府への冥加金が減るだけなの、
にと思ったのです、家宣が御座所を下がると土屋がまあやらせてみなされ、失敗は目に見えておる、2人とも自分の存在をしらしめたいので御座るよと言って、御座所を下がったのです、
間部がご懸念には及びませんよと言って、上様の意向により柳沢殿は大和郡山に移封になりますと言って部屋を出て行ったのです、この件も裏から根回ししたのだろう、困ったもんだな、
悪くなれば、わしに押し付けるつもりだろうと思ったのです、城を下がろうとすると茶坊主が上様が呼んでおられますというので、奥に行くと、まあ、あぐらをかいてもよいぞと言うの、
で、
恐れ入りますと足を崩すと、2人は手柄が欲しいのじあよ、やらせてみれば良いと言うので、おかしくなってから私に何とかしろはないですよと言うと、しかし、そなたしかおらんだろう、
と笑うので、まいりますなあ、金の産出を上げるしかありませぬ、大名に金山開発を推進させて、管理は総て大名にまかせ、産出した金はは幕府と折半すると言えば、よろこんで協力しま、
すと言うと、
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