安楽死のある社会

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安楽社会 xxxx年。地球は核の炎に包まれ…こそはしなかったが、 どことなくどんよりとした暗い雰囲気に包まれた。 暗い雰囲気に精神を病んだ人間は享楽主義に陥り、 今の楽しみを追求するようになっていた。 学校のチャイムがなる。 「ん~」 退屈な授業を受け、阿左美は軽く伸びをする。 50分の授業というものは中々に辛いもので、 成長途中のしなやかな筋肉でさえ強張らせてしまう。 首を回し、緊迫した筋肉をほぐす。 関節もこわばっていたのかパキパキと乾いた小気味良い音を立てている。 「阿左美お疲れ様」 席から立ち上がり、友恵がこっちの方へと歩いていくる。 「本当私勉強苦手だからもう本当に疲れちゃった」 困ったように阿左美は笑った。 「ならいっそのこと死んじゃおうか?」 冗談半分で友恵が笑う。 友恵の言ったことはあながち大げさな表現ではなかった。 今を生き未来を切り捨てた人類は、 命という物の価値を相対的に安く見積もるようになった。 未来への不安、孤独、現環境への不満。 そういう物から逃げるために死を選択するのは この世界では当たり前になってきている。 事実この教室も昨日までいた子が何人かいなかった。 きっと駅前の安楽死ポッドセンターに行って、 幸福な死を選択したのだろう。 噂によると眠るように死ぬことができるとものすごい評判だ。 阿左美自体テレビ中継でその光景を何回も見たことがある。 「それもありかもしれないね」 阿左美はぼんやりと天井を見つめながら言った。 必死に勉強して、必死にあがいて生きる。 言葉にすると綺麗かもしれないが、それはきっとすごく大変なことなのだと思う。 「生きるのっていつからこんなに難しくなったのかな?」と友恵。 「きっと昔からよ。何年、何十年、ううん、きっと何千年単位ですごく難しいことだったのよ。 それをつい最近人類が気づいたってだけの話 」 「やけに今日は哲学的ね」友恵が軽く腕を小突いてくる。 二人はそのまま他愛ないことを話し合いながら、 弁当を食べに屋上へと向かった。 「ふ~。やっぱり外の風はいいわね。閉鎖的な空間に風穴を開けてくれてるよう」 阿左美はそういって腕を伸ばし空気を肺いっぱいに吸い込んだ。 新鮮な空気が阿左美の体に充満していく。 「そりゃあ閉鎖的な空間から外に出たんだもの。風穴を開けてくれるようっていうより、 外気に触れればそりゃそうなるわよ」 「揚げ足とるな」と阿左美。 「ごめん」悪びれた様子もなく、友恵が答えた。 二人はそのまま屋上の煤けたベンチへと座り、いつも通りお昼を取り出した。 友恵は弁当に詰まったウィンナーを無遠慮に箸で突き刺し、モグモグと食べながら卵焼きを口に頬張る。 「今日も何人かクラスメートいなくなってたね」と阿佐美が悲しそうに口を開く。 「あ~。でもやっぱり仕方ないんじゃないかな?」 またその話か友恵はこざっぱりとした感じで答える。 「大体学校といい、仕事といい現代は人に優しくないからね。仕方ないことなのよ。 それよりも私、公子にCD貸したままで返してもらってないのよね…」 友恵は無くなったクラスメートに貸したお気に入りのCDのことを悲しそうに思い出す。 「あはは。友恵らしいよ」 この友恵という子はこういう子なのだ。 実を取るタイプといえばいいのだろうか?現実主義でいて割り切るのが異様に早いのだ。 そして、再び食いかけのお弁当へと視線を戻し、箸を動かし始める。 「でも…安楽死法がないとき、みんなどうしてたのかな?」 阿佐美はふと疑問を口にする。 安楽死法の施行はつい最近のはず。 それ以前の人間の暮らしぶりを文献でこそ知ってはいるが、 阿佐美にはどうにもイメージがつきづらかった。 「さぁ~?。安楽死ポッドセンターに行列はできなかったんじゃない?」 とりあえず友恵が何も考えずに口を開く。 「そりゃあ安楽死ポッドセンター自体がなかったからね」 友恵の自由な発言に阿佐美は苦笑を浮かべる。 なんとくなく胸の中にモヤモヤとしたものを感じた阿佐美は空を見上げる。 そこにはいつもと同じ通りの青い空が広がっている。 とこまでも広大で、ゆっくりと動き続ける雲は悠久の時の流れを感じさせる。 阿佐美は食べかけの弁当を置き、なんとなく屋上の柵の方へと歩いていく。 そして、ひし形の柵をなんとなく握りしめる。 「どうしたの?」 友恵が笑う。 「ねぇ…友恵は…私が死んだら悲しい?」 阿佐美は柵に頭を寄せて、振り返らないまま友恵に話しかける。 きっと友恵はいつもとは違う空気を察したのだろう。 あたりに緊迫した雰囲気が流れる。 「何?本当に死ぬ気なの?」 友恵が真顔で阿佐美に詰め寄る。 「死なないよ…。ただなんとなく、なんとなくモヤモヤとしてるだけ」 友恵はホッと胸を撫で下ろしながら、阿佐美の背中を撫でさする。 「確かに安楽死ができるようになって、社会は明るくなった気がする。 みんなどことなく上を向いているような気がする。でもそれって本当に正しいのかな?」 たくさんの弱者が今を諦めて死んでいく。 たくさんの強者が栄華を極め、必衰を迎える前に死を選択する。 色々な人間がいざとなったら死ねばいいと、 バイタリティーに溢れ、エネルギッシュに冒険心を持ち生活している。 しかし、それはたくさんの死者によって成り立っている。 「本当はみんな、死なずにみんな必死に生きるべきなんじゃないのかな?」 たくさんの人が死んで、たくさんの人が悲しい思いをして…。 本来ならば、生きるということが生物の本懐なのに、 自ら生を手放している。 それがどうにも阿佐美にはいたたまれなく感じた。 阿佐美は友恵にすがりつく。 「今日の阿佐美おかしいよ…」 すがりついた阿佐美を心配するように友恵がぎゅっと抱きしめる。 「ねえ…友恵。私が死んだら悲しい?」 鬼気迫るその阿佐美の問いに、友恵は表情を暗くして答える。 「うん…きっとすごく悲しい。だから死なないで…」 その言葉を聞き、阿佐美は迷子の子供が母親を見つけたかのように力強く抱きしめる。 二人は無言のまま、しばらく抱きしめあった。 そんな二人を急かすように、チャイムが鳴り響く。 他の子達が授業に向けてせわしなく行動をしているのが物音で分かる。 しかし、二人は授業をさぼり、高い日が落ちていくのを二人でぼんやりと見つめていた。 その日を境に二人の関係がギクシャクすることもなく、 阿佐美と友恵はいつも通り仲良くし、たわいないおしゃべりをしたり色々な時を過ごした。 そして、阿佐美はいつも通り学校に来る。 眠い目を擦り、肩までの髪を揺らしながら、憂鬱な気分で道を歩く。 別に学校に行くのが本当に嫌というわけではないのだが、どことなく億劫な気分になってしまう。 校門を通り過ぎ、下駄箱で靴を履き替え、教室へと入る。 友恵の姿を探したが、そこに彼女の姿はなかった。 時計を見ると、普段ならばもう来ててもおかしくない時間だ。 風邪でも引いたのかな?と阿佐美が考えていると、そこで衝撃のニュースを耳にした。 「友恵死んだらしいよ」 「え?」 クラスメートのその一言に阿佐美の顔から一気に血の気が引く。 顔が青ざめ、寒くもないのに小刻みに体が震えだす。 しかし、今は震えている場合ではない。真偽を確かめなくては…。 阿佐美はガクガクと震える体を無理やり押さえ込んで友恵の家まで走った。 階段を駆け下り、靴をひっつかみ、急いで走る。 今日の授業がどうのこうのとかそんなことは一切関係なかった。 出勤や通勤時間の最中、一人逆走する阿佐美。 さして広くもない歩道を必死に走り、通行人にぶつかったりを繰り返す。 その度に人々は舌打ちをしたり、訝しげに眉をひそめたが、 阿佐美にはそれを気にしているだけの余裕がなかった。 「はぁ…はぁ…」 歩道のアスファルトを必死に蹴り上げ、先を急ぐ。 普段運動をしなれてない体はすぐに根を上げて、心臓をバクバクと鳴らしている。 息を思い切り荒くして、陸上部と比べると遅いと言わざる追えない速度で友恵の家に着いた。 友恵の家につくと、阿佐美はインターフォンを鳴らして、ドアを何度も叩いた。 どんどん、どんどん、と音がなる。 「すいません!!すいません!!友恵さんいますか!?」 手の痛みを感じたがそんなことを気にしていられない。 手が痛む。きっと手はうっすらと赤くなっているだろう。 ガチャリ… ドアが開き、そこから友恵のお母さんが出てきた。 いつもの姿とは違い、目を腫らし、悲しそうな表情を浮かべている。 「あら…阿佐美ちゃん」 阿佐美の顔を見て、友恵のお母さんは力なく微笑んだ。 「ごめんなさい。今余裕がなくて…」 憔悴しきった友恵の母親。 「友恵は…友恵は…」 「亡くなったわ…つい昨日の話なの…それとこれ… あの子からもし阿佐美が来たら渡してくれって」 コンビニなどでよく見る茶封筒だ。 「私たちには見ないでくれって書いてあったから私たちも見てはいないの…」 たかがペラペラの紙だが、この紙切れが友恵の想いの全てなのだ。 そう思うと、この茶封筒がすごく重たく感じられた。 茶封筒を受け取り、阿佐美は力なく家に帰る。 とぼとぼと、糸の切れた凧、もしくは手を離した風船のように力無い足取りでやっとの思いで 家に辿りついた。 例え、心がどれだけ緊迫した局面であっても、 体というのは正直なもので既に軽い筋肉痛を伴っており、 感傷の余地など与えてはくれなかった。 家に着き、自分の部屋のドアノブに手をかけ回す。 そのドアノブが妙に重く感じられたのはきっと自分の精神的なところが大きいのだろう。 今朝と変わらないその部屋の風景、しかし、阿佐美の心はどこまでも重たかった。 ベッドに横になり、死んでしまった友恵との思い出にふける。 目から涙が溢れ出して、ベッドを濡らす。 その涙を無造作に袖で拭き取り、また涙を流す。 少し落ち着いてから阿佐美は体を起こし、茶封筒の封を開けた。 要約するとその手紙には失恋したので安楽死を選ぶ…と書いてあった。 「友恵…こんな子じゃなかったじゃん…」 少なくとも阿佐美の知っている友恵は、実をとる性格で、 竹を割ったようなサバサバした性格のはずだ。 しかし、その実、誰よりも恋というものに心を熱く滾らせていたのかもしれない。 好きな人にひたむきに想いを注ぎ続け、 好きな人に否定されるのが自分の全世界がなくなるよりも耐えられないと思うような 女としての一面があったのかもしれない。 「バカ…」 阿佐美はその手紙をくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱へと放り投げる。 手紙はプラスチック製のゴミ箱に当たり乾いた音を立てて、入った。 「生きてやる…私だけは何があろうと生きてやる」 ギリギリ限界まで生きて、人生を楽しく謳歌して… そして死んだらバカな友達をあの世で思い切り叱りつけるのだ。 阿佐美はそう深く誓った。
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