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9話
ラグナは物思いにふけっていた。
箒を持つ手から力が抜けて、心ここにあらずといった感じだ。
ため息を吐く。
「ラグナ?どうかしたの?」
その様子を見て、エリュシエルは机越しに声を掛ける。
「いえ…なんでもないんです…なんでも」
「そう?ならいいんだけど。困ったことがあったらいつでも相談してね?」
そういって、視線を落とし書類関連の整理を始めるエリュシエル。
「はい。ありがとうございます」
建前上、ラグナはにっこりと笑う。
その悩みの種がエリュシエルであることなど、言えるわけもなかった。
この間の情緒不安定なエリュシエルの姿。
そして今精力的に働いているエリュシエルの姿。
今までであればさして気にもならなかったノイズがどうにも気になるのだ。
今までのエリュシエルは抽象的な言い方をするとすごく不安定さを感じたものだ。
本音を隠して、必死に努力し、自分の才能に恥じぬ動きをする。
その実、彼女は常に重責と戦っていた。
本人は確実に否定するだろうが、前のエリュシエルは見ているこちらが思わず
支えてあげたくなるような不安定さがあった。
だからこそ、自分の身を犠牲にしてでも守ってあげたいと思ったものだ。
エリュシエルもそんなラグナの思いを見抜いたのか、正式な侍女に任命してもらえて…。
二人きりのときは肩の力を抜いてくれたのに…。
だが、今ではその頃の面影はない。
常に生命力に溢れ、今仕事してる最中でもキラキラと輝いて見えた。
エリュシエルがどこか遠くに行ってしまったかのような…そんな虚無感に襲われる。
ひょっとしたら自分の役目はもう終わってしまったのだろうか?などと
漠然とした不安を抱えるラグナ。
「ラグナ…少し喉が渇いたわ。紅茶をお願い」
そのエリュシエルの問いかけにハッと我に帰り、
すぐに紅茶を入れにいく。
お湯を沸かし、温めておいたポットに茶葉を入れる。
その茶葉を入れたポットに勢いよくお湯を入れる。
その瞬間、部屋にアールグレイの匂いが広がり、ラグナはその香りを味わうようにゆっくり深呼吸をする。
不思議と落ち着けるような気がする。
「ラグナ…」
自室の給湯室にエリュシエルが来る。
そして、ラグナの背中にピトッとくっ付く。
「え…エリュシエル様今お茶を入れてるので危ないんですが…」
ドキドキする。自分は狼狽した姿をうまく隠せただろうかと不安になる。
「ごめん」
後ろからぎゅっと抱きつき、頭をラグナの背中に預ける。
「何がです?」
「私が不甲斐ないばかりに色々不安な思いにさせちゃって…」
ポットの中から蒸気が上がる。
ポットの中では茶葉がぐるぐると回転して、味が広がっているに違いない。
「いえ…エリュシエル様は何も悪くないです。悪いのは勝手に不安がっているこの私なんです…」
エリュシエルの優しさ、温かさについ本音がポロリと漏れてしまう。
「不安の原因は…私?」
とエリュシエル。
沈黙はおそらく肯定を意味してしまう。
何かを話さなければいけない、だが何を話せばいいか分からない。
「はい…」
誤魔化しきれないと判断したラグナは素直に告白する。
「なんかね…そんな気がした…。ごめんね?」
「…はい」
重々しい空気の中、紅茶の茶葉だけがポットの中を軽快に踊る。
時間が来る。茶こしで茶葉を切りながら、ティーカップにお茶を注ぐ。
「エリュシエル様お茶が入りました…あちらへ」
「うん…。ラグナも一緒に飲もう?」
この話はここで終わり。そういう意図もある。
これ以上突かれて本音が出ても困るし、
またエリュシエルとしても本音を言われたら困ってしまうだろう。
お互いに詮索はしない。
でもこれからも相手と関わり合いたいという意思を込めて、
お茶に誘う。
「ええ。いただきます」
それに同意するラグナ。
お茶菓子にファウンドケーキを添えて、エリュシエルの仕事部屋に戻ってくる。
席に着いたエリュシエルはティーカップを持ち上げ、匂いを堪能して、
口に含む。
「このお茶おいしい…」
「私が淹れましたからね」
ラグナはそう言って、力なく笑う。
「一服したらまた仕事しないとなぁ~。体がもうバキバキだけど」
そう言って、エリュシエルは苦笑する。
若いというのに、デスクワークをやり続けた体はギシギシと音がなってしまう。
「あとでマッサージをしてあげます」
「うん!ラグナよろしくね」
エリュシエルの変わった理由を突き止めたいとラグナは感じた。
エリュシエルには迷惑をかけるかもしれないが、この衝動は止められそうにもない。
エリュシエルの前で、心の中で暗い決断を下し、ラグナは偽りの仮面をつけて笑った。
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