2話

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2話

コツコツ…エリュシエルはまた階段をゆっくり降りる。 光さえ届かないこの地下で、小さな明かりを頼りに少しずつ少しずつ進む。 今日も例によって、あの男も同行している。 エリュシエルは男の手前そっけない態度をとっているが、 内心ではウキウキと飛び跳ねたいような気持ちだった。 憧れの人が再び自分と会う機会をくれたのだ。 嬉しくないわけがない。 この薄暗くジメジメした階段も、気分の持ちよう次第で楽しい雰囲気にさえ 感じるのだから不思議なものだ。 男は相も変わらず喋らない。 護衛といえば立場はいいが、エリュシエルが余計なことをやらないかの見張り役といった方がいいだろう。 しかし、今のエリュシエルはそれが気にならないぐらいにはウキウキとしていた。 いつもの広場にたどり着き、男は頭を下げてその場を後にする。 エリュシエルは男が立ち去るのを無言で見送る。 男もエリュシエルの気持ちを知ってか知らずか、そのままその場を立ち去る。 「こんにちは…」 ウキウキとしつつも、まだ照れを隠せないエリュシエル。 照れを隠せないまま、挨拶をする。 『…こんにちは』 素っ気なくも、しっかりと返事をする彼女。 『意外と早い来訪だったわね』 「私、あなたに会うために色々頑張りましたから」 エヘンと胸を張る。 きっと他の聖女候補が聖女になったとしても、 こんなにうまくはできないだろう。 そして、エリュシエルにもこなせないレベルだ。 だが、愛の力は偉大なものでエリュシエルはそれを意欲的にこなし今に至る。 『そう…』 その努力を知らない彼女は素っ気なく答える。 もっとも、その努力を知っていたとしても知り合ったのはつい最近の話だ。 ひょっとしたら素っ気ないままなのかもしれない。 「私あの日以来、ずっと書物や図鑑なんかを見漁ってたんですよ?」 『そうなんだ』 「あなたの名前に相応しい名前を必死に探したんです!」 そういって、エリュシエルは興奮して話しかける。 『それで決まったの?』 彼女の問い掛け。 答えはもう決まっている。しかし、中々言い出すのが照れくさい。 見つけたときはこれだと思っても、いざ彼女を目の前に提案するのは躊躇してしまう。 「その…えと…パンドラというのは…どうでしょうか…」 悩み悩み、言葉を紡いだが、最後の方は聞こえるか どうかも分からないほどの小さな声だった。 エリュシエルは彼女に顔が見えてないのにも関わらず、俯き顔を真っ赤に染める。 『パンドラ…古代の文明。確かギリシャ神話だったかしら?』 「ええ。あなたに相応しいと思って…」 思わず目を背ける。 ギリシャ神話で神が送ったとされるパンドラの箱。 中には世の中のありとあらゆる災厄が詰まっていたとされる空想上の箱。 禁書を漁り、この一節を見たときこの名前しかないとエリュシエルは思った。 古い文献からの引用は古代から生きている彼女に対する自分なりの敬意。 そして、災厄が詰まったという部分が彼女を連想させたのだ。 『買いかぶりすぎね。私の中には希望なんてものは詰まってないわ』 パンドラの箱の災厄が出てきて、最後に詰まっていたもの。 それが『希望』だった。 希望があるからこそ、人はその希望にすがりついて生きていけるのだ。 「私は…少なくともそう思ってます」 『その文明を滅ぼしたのは私よ』 革製の拘束具の中で顔自体は見えないだろうが、 きっとその口角は上に上がっているに違いない。 「でも私はそう信じてます」 澄み切った目でエリュシエルは答える。 恐らく、エリュシエルの甘さに呆れているのだろう。 苦笑しているであろう間がありありと感じることができる。 『…わかったわ今日から私のことはパンドラと呼んで。エリュシエル』 大輪の花を思わせるような満面な笑顔を浮かべるエリュシエル。 自分の提案が受け入れてもらえたのも嬉しいし、 自分の名前を呼んでもらえたのも嬉しい。 「はい!!!パンドラさん」 『別にさんはいらないわ』 「でも私はさんを付けて呼びたいんです」 『なら付けて呼ぶといいわ』 呆れ果てた口調で脳内に送られてくるパンドラの言葉。 その言葉がとても心地よかった。
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