3話

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3話

この日もエリュシエルは精力的に仕事をこなし、パンドラの元へ来ていた。 『いらっしゃい』 パンドラが話しかける。 「はい」 機嫌よく頷くエリュシエル。片手にはバケツや雑巾かけられ、 もう片手には箒とちりとりが握られている。 『その手に持っているのは?』 パンドラが問いかける。 例え、皮の拘束具の中でも周りの景色ははっきり見えていることがわかる。 「掃除道具ですよ。ここはホコリがひどいですからね」 いうや、否や、エリュシエルはバケツに水を貯めて、掃除を始める。 『別に今更じゃない?』 パンドラには最強の生物としての自負がある。 その生物界のほぼ頂点の存在が今更埃やカビぐらいでどうにかなるものでもない。 「ダメです。大体この部屋は辛気臭いんですよ。 せっかくパンドラさんと仲良くなった思い出の場所が汚いって嫌じゃないですか」 エリュシエルは腕まくりをして、意気揚々と箒を振るう。 『私との思い出の場所がそのときと違う場所になってもいいの?』 個人的に掃除というものが酷く億劫に感じる体質なパンドラ。 隣でガチャガチャやられても鬱陶しいことこの上ない。 「思い出の場所がより魅力的になったらもっと思い出が光り輝くと思いません?」 この子はきっと何があっても掃除をやるだろうとパンドラは笑う。 少々騒がしいが、彼女がここに来るのを許したのは自分だ。 多少ぐらい多めに見てやってもいいだろう。 『好きになさい』 「します」 嬉しそうに頷いたエリュシエルは鼻歌混じりに掃除を始める。 こんな辛気臭い古びた場所の何がそうも幸せなのかとパンドラは冷めた目で見ながらも、 暖かく見守る。 しかし、パンドラは気づいていないのだ。この場所にいることが幸せなのではない。 パンドラのそばにいるからこそ幸せそうにしていることを。 「ふふふ~~ん」 音階を外さずにエリュシエルは歌い続ける。 この世界では魔法を発動する際にも細かい数式を音符に置き換え、 擬似魔法陣として魔法を成り立たせている。 他にも様々な形式があるが、これが最も効率的であり、聖女クラスにもなれば歌は必須なのだ。 『随分歌が上手いのね』 「あ。私昔から歌を歌うのが好きだったので。嫌なら、歌わない方がいいですか?」 『あなたの歌はとても心地がいいわ。そのまま続けて』 「はい!」 仕事の時の歌も好きだが、こうして好きなことをやりながら歌うというのも乙なおのだ。 リズムを感じ取り、音の波をしっかりと伝え、そしてその傍ら掃除をする。 この部屋は封印した部屋という性質上物はなく、 だだっ広い空間に所狭しとお札や縄、鎖が周りに張り巡らされている。 その掃除ができる場所に少しずつ少しずつ箒で汚れを取っていく。 床を一掃きするだけでごっそりとホコリをこそぎとることができる。 「~~♪」 こうやって掃除をしていると、昔のことを思い出す。 今でこそ聖女という立場上、侍女がいて身の回りのことをこなしてもらえるが、昔は違った。 勉強する立場だったので、掃除に駆り出されることも多く、こうしてよく掃除をしたものだ。 そうした懐かしい過去を思い返し、笑顔になる。 『あなたは随分楽しそうに歌うのね。何がそうも楽しいの?』 キョトンとするエリュシエル。 「何がって…よくわからないです。人に助けられて、一定以上の地位にいて、理解者もいる。 その環境が楽しいのかもしれないですね」 と自分の生きてきた境遇と照らし合わせ、冷静に分析する。 『そう羨ましい限りね…』 「パンドラさんもいずれ私みたいになりますよ」 エリュシエルはにこにこ笑う。 『あなたみたいなお人好しのお馬鹿さんがずっと隣にいたらそうなるかもしれないわね』 「ならきっとなれますよ。ずっと隣にいたいと思ってますから」 エリュシエルはにこやかに笑いながらパンドラを強く意識した。
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