6話

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6話

美しい。エリュシエルはただ純粋にそう思った。 彼女の視線、立ち振る舞い、その全てに魅了された。 きっと彼女のこの姿を見るために生まれてきたのだろう。 「ここが…封印の間。随分とボロくなってしまったみたいね…」 辺りを見回して、感想を漏らす。 彼女は一体どんな思いで辺りを見ているか、エリュシエルには見当もつかなかった。 そして、彼女と目が合う。 恐ろしく鋭利な目の彼女、果たして自分はどういう風に見えてるのだろう。 「あなたが…エリュシエルね」 「はい…」 息絶え絶えに返事をする。 「あなたみたいな脆弱<ぜいじゃく>な存在がよく封印を解けたわね」 「っ…っ…」 息が荒い。意識が遠のく。もはや返事をする余力さえ残っていない。 「エリュシエル。あなたは私を信じたがためにここで死ぬのよ」 彼女は感情の起伏もないまま、ただエリュシエルを見下ろす。 何千何万という人を殺し、死に追いやったパンドラだ。 そんな一人の中にまた一人加えるだけのこと。 目の前で人が死のうが感情に変化がないというのは当たり前なのかもしれない。 「とは言え、返事もしないのもいささか癪ね」 パンドラがエリュシエルに手を伸ばす。 「!?」 体内の中を魔力が走るのが分かる。 体の隅々まで魔力が走り、乾いたスポンジのように魔力を吸い込む。 「立ちなさい。エリュシエル。これであなたは立てるわ」 回復したての体はまだ少しふらついているが、エリュシエルは首を軽く振り立ち上がる。 「初めてのご対面ね。エリュシエル」 「はい…」 エリュシエルは拘束具からでたばかりのパンドラの裸体を上から下を舐め回すように見る。 パンドラもそのことを気づいてはいるだろうが、余り気にはしていない。 最強の生物とエリュシエルとでは格そのものが違うのだろう。 人間が魚の前で裸になっても何も感じないように、 パンドラもまた何も感じていない。 「随分言葉が少ないわね。いつもの饒舌っぷりはどうしたのかしら?」 艶やかな彼女の唇が動く。 彼女の物語を知ったときの憧れは憧れではなく、 実は恋だったのかもしれない。 言いたいことは山のようにあるし、喋りたいことも山のようにある。 だがそのどれもが出てこなかった。 「その…余りにもパンドラさんが綺麗だから…」 エリュシエルは思わずパンドラから視線を逸らし、顔を真っ赤にする。 パンドラはその様子を見て察したのか、口角を釣り上げて笑う。 「ふーん。私に欲情したの?」 「っ!?そんな言い方…」 当たらずも遠からず。ひょっとしたら当たっていたという方が正しいのかもしれない。 「ふふ…とりあえず、礼を言わなくちゃね?封印を解く手伝いをしてくれてありがとう」 きっとパンドラから感謝をされた人間というのはエリュシエルの他にいないだろう。 この感謝の言葉というのはパンドラからしてみればすごい賛辞なのだ。 「別に私はただ針の力を無効化しただけです。それ以外は全部パンドラさんの力です」 恐らく自分一人の力じゃどうすることもできなかっただろう。 針一本を無効化できた時間も恐らく数秒だ。 その数秒の間にパンドラは爆発的な魔力で自分の力を封印していたものを全て破壊したのだ。 「でもあなたがいなければ何も始まらなかったわ。 例え私が99パーセントをなんとかしたとしてもあなたの1パーセントがなかったら達成できなかった」 パンドラのまっすぐな視線。 その鋭利な視線は嬉しいと同時に恥ずかしさを感じた。 「ありがとう」 パンドラの言葉にエリュシエルはただ黙ってコクリと頷いた。 パンドラが封印の間の扉に向かって歩き出す。 「どこへ!?」 驚いてエリュシエルが声を掛ける。 「何ってここを出て行くのよ」 ここはエリュシエルにとってはパンドラと出会えた記念すべき場所だ。 しかし、パンドラにとっては違う。 何千年単位で幽閉され続けた忌々<いまいま>しい場所でしかない。 「ダメです…!!」 エリュシエルはパンドラの前に立ち手を広げる。 この先は行かせないという強い意志。 「へぇ。あなたごときが私を食い止めることができるとでも?」 一歩ずつパンドラが近づいてくる。 まだ封印の間の魔力制御は機能しているのにも関わらず、彼女はいともたやすく魔力を使う。 「パンドラさんを止めることなんてできないのは分かってます。 ただあなたを地上に行かせたくないだけです」 「それはどうして?」 一歩一歩近寄り、パンドラはエリュシエルの前で歩みを止める。 そして、エリュシエルのきめ細やかな頰を優しく撫でる。 「あなたを上に逃せばきっと私は国に死刑にされますし、 それに…あなたを上に逃したら…もう会えないような…そんな気がするんです」 「私のこと怖くないの?」 パンドラがエリュシエルの頰に爪を立てる。 軽い力だというのに、それは名工が作った鋭いナイフのようにエリュシエルの頰に傷を作る。 切られた頰からはうっすらと血が滲み、赤い液体となり頰を伝った。 「怖いです。とても…私なんかが逆立ちしても絶対に敵わない」 足がガクガク震える。 今までの交流は所詮安全が確保された中でのおままごとに過ぎないと悟る。 きっと彼女の機嫌がほんの少しでも悪い方に傾けば、 一瞬でエリュシエルは細切れの肉塊になるに違いない。 「なら…そこをどきなさい」 最後通告。 エリュシエルはいてもたってもいられなくなり、パンドラを強く抱きしめた。 「っ!?」 驚くパンドラ。きっと生まれてこのかた抱きしめられたことがないのだろう。 エリュシエルの髪からはとてもいい匂いがして、彼女の体の柔らかさがどことなく心地よかった。 「お願いします…行かないでください」 エリュシエルはパンドラの首筋に顔を埋める。 悪臭が鼻をつくがそんなことは気にはならなかった。 そんなことよりもパンドラを失うことの方がよっぽど堪え難いことだった。 パンドラの首筋にエリュシエルが流した液体が伝う。 それはパンドラからは血か涙かわからなかったが、恐らく後者だろう。 グスグスと音を鳴らすエリュシエルにパンドラの純粋な悪意が削がれる。 「ふ~。あなたには借りがあるわ。だから賭けをしましょう。 私はこの一年あなたを…そして…世界を愛する努力をするわ。 それまでに私があなたを愛せればあなたの勝ち。愛せなければあなたの勝ち。 どうかしら?」 エリュシエルはその問いにパッと笑いを浮かべ、再び強く抱きしめる。 すがりつくための抱擁ではない。感謝の意を伝えるための抱擁だ。 負けたらどうなるかなどと無粋なことは聞かなかった。 今は彼女と長くいられるという事実を純粋に喜んだ。
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