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7話
エリュシエルの自室。
エリュシエルの前でメイド服を着た女性が大層深いため息を吐く。
そのため息に反論もできず、エリュシエルはただ縮こまっていた。
「まったく…何をやってるんですか…」
彼女の名前はラグラーナ・アンジェ。エリュシエルの侍女である。
枢教会の聖女候補生となったものは教会から侍女を派遣されるのだ。
聖女候補生は様々な分野での活躍を期待されており、
日常生活で何かを負担するぐらいならばそれを侍女にやらせた方がより
効率的に学問を修めることができるからだ。
目の前のラグアーナ、通称ラグナもその中の一人だ。
「返す言葉もありません…」
本来上の立場のはずのエリュシエルがかしこまる。
「まったくどこでそんな大きな頰の傷を作ってきたんですか…頰を貸してください…」
ラグナがエリュシエルの頰に手を当て、ぶつぶつと言葉を紡ぐ。
すると暖かい感覚が伝わってくる。
じんわりとした温かさは次第に収まり、
それとは逆にエリュシエルの傷は少しずつ小さくなり、やがて消える。
「相変わらず、すごいヒールね。聖女にでもなれるんじゃないの?」
「そんなわけないでしょう…エリュシエル様が本気でヒールをすればどれほどすごいことが起こせるか…」
聖女と呼ばれる存在は枢教会のエリート部門の中の実質的トップ。
そしてそんな聖女の歴史の中でもエリュシエルほど優れたものなどいない。
稀代の聖女。それがエリュシエルという存在なのだ。
仮にエリュシエルが本気でヒールをかけた時、手足の欠損ぐらいは軽々と修復することができる。
本来ヒールで治せる範囲というものは決まっていて、切り傷を治せれば上等といわれ、
ヒールを生業とするものでさえ医術とヒールを組み合わせて使うのが一般的であり、
それを考えるとエリュシエルの能力がどれほど並外れたものかよくわかる。
「でも私は私のヒールよりも、ラグナにしてもらうヒールの方が好きだよ?」
椅子に座り上目遣いになりながら、ラグナに微笑みかける。
足をぶらんぶらんと振り子のように揺らすその様は、
とても聖女とは思えないようなごく普通の少女だ。
「お褒めいただくのは嬉しいのですが、ご自分にヒールができないほど魔力を消耗するなんて…」
ぶつぶつと呟くラグナに苦笑しかすることができない。
本来聖女が魔力を使い切るなどということはあってはならない。
聖女の活動は多岐にわたり、魔力を使うことも存分に考えられるからだ。
ラグナは他の聖女候補の侍女とは違い、真剣にエリュシエルのことを考えてくれる存在。
そんなラグナが気に入って、枢教会に申請してラグナを正式な侍女にしている。
「それについては返す言葉もありません…」
ラグナのお説教を真摯に受け止める。
自分は自分だけの存在ではない。国を代表すると言っても過言ではない存在だ。
私利私欲のために魔力を使い切ることなどあってはならない。
「大体、エリュシエル様は普段から緊張感が抜けています。
もっと緊張感を持っていただかないと…」
くどくどとあることないことを言い聞かせるラグナ。
しかし、エリュシエルにしてみれば唯一気が抜ける相手がラグナであり、
ラグナの前で緊張感を持っていないだけだと反論したいのだが、
お説教が長くなりそうなので辞めておく。
「どこでなにがあったか聞きはしませんが、困ったら私に相談してくださいね」
ラグナがエリュシエルの頭に手を伸ばし、ゆっくりと撫でる。
その手がとても気持ちよかった。
もし仮に相談していたら、きっとものすごい反対を喰らっただろう。
しかし、そうまでしてトップじゃない自分がエリュシエルには欲しかった。
エリュシエルは心の中でラグナの信頼を裏切ったことに対して、謝罪を述べる。
「ねぇラグナ?」
「はい。どうしましたエリュシエル様」
「あなたはどんなことがあっても私の味方でいてくれる?」
「何を言ってるんですか」
またいつもの冗談かと思ってエリュシエルの方に目を向けると、
真摯な眼差しでこちらを見ている。緊張しているのかその手はぎゅっと握りしめられている。
「私はいつもあなたの味方ですよ」
ラグナは優しく微笑みかける。
聖女という存在とはうらはらにこれほどまでにか弱い一面があるのだ。
才能がなければ、運に恵まれなければきっともっと素敵な人生を送っていたのかもしれないと考えると
ラグナは少し胸が痛む。
「もしも私が世界中を敵に回すようなことをしても?」
そのエリュシエルの姿はまるで悪いことをした子供が必死に叱られるのを待っているようにさえ見える。
「私は常にあなたの味方です」
ラグナはにっこりと微笑み、エリュシエルの頭を優しく抱きしめる。
「ありがとう…そしてごめんね?」
ラグナはその謝罪の意味を問いただすこともせず、
エリュシエルが落ち着くまでぎゅっと優しく抱き締め続けた。
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