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 アパートには桜木が待っていた。  部屋に入り、二人は小箱を前に沈黙した。桜木の顔は青白く、暑くも無いのに汗を掻いていた。  柴田は意を決し、小箱の蓋を開けた。  中に入っていたのは、母子手帳とエコー画像だった。頭部があり、背骨があり、下腹部の辺りに子宮が見えた。  国定唯子は妊娠していた。そして、その胎児は女児だった。  柴田はある話を思い出した。1940年代、アメリカのエンパイアステートビルの展望台から、一人の女性が飛び降り自殺を図った。女性は駐車されていた車のボンネットに激突して死亡した。彼女の体は一見、傷一つないように見えた。けれども体の内部はバターのように溶けていた。体中の臓器が潰され、内臓が液状化していたのだ。  額に落ちた雫。それは死んだ母親の血ではなく、ビルの屋上から飛び降り、潰され液状化した胎児のものだったとしたら?  母子手帳の検診は十七週を最後に止まっていた。十七週、それは五ヶ月。五ヶ月しか生きられなかった100gの命の重み。  住民が潰されるようにして死んでいた意味が分かった。 「南?」と、柴田は言った。  幽霊になっても話し合えると、桜木は言った。けれど、言葉の通じない相手なら、言葉も知らぬ相手ならどうなのだろう? 「南?」  桜木は何も答えなかった。床に突っ伏し、泣き崩れるばかりだった。 「南?」  耳鳴りが響いた。ひび割れたノイズの音。それは母を求める赤子の、断末魔の叫びにも聞こえた。                                       完
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