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第四章 逆転!
一刻後、パトリシアとパトリックはようやく身を起こし、二人を繋いでいた縄を外すことに成功した。
「他にもわたしに隠していることがあるんじゃないでしょうね?!」
「あると言えば、ある。ないと言えば、ない」
「どっちなの」
「あると言ってしまったら、策の意味がない。けれどなかったら、危険な事態に対応できない」
「赤ちゃん以前の頃から船に乗ってたってのは本当?」
「ああ。実は海賊に捕まるのも初めてじゃない。だから、今回も捕まることは想定できた」
「だったら、初めから言っておいてほしかったわ」
「言ったら、応募したか?」
「確実に帰ったわね。金貨五千枚あっても、生命には代えられないから」
「それなんだが……」
パトリックは髪を乱したパトリシアを眺めて、鼻の頭をかいた。
「実は、金貨は五千枚じゃない」
「え、じゃあ、あいつらが言ってた七千枚と宝石が正しいの?」
「見ればわかるだろう、この岩場しかない狭い島のどこかに、五千枚だの七千枚だのの金貨を隠す場所があるか?」
「そう言われてみれば」
パトリシアは金貨を思い浮かべ、それが千枚単位で積み上がっている状態を想像した。いままで何度も想像していたが、仮に五千枚だとしても相当の量だ。重さもあるだろうし、かさもあるだろう。運ぶには不便で、逃避行の途中で隠したりできないのではないか。
「金貨が……ない……」
パトリシアの腰が崩れた。岩場に両手をついてうずくまる。その横に海鳥が寄ってきたが、無視する。
「宝がない……こんなに苦労したのに……死にそうな目に遭ったのに……ささやかな幸せが遠のいていく……」
「金貨はない」
パトリックは断言した。そして、
「宝はある」
と断言した。
パトリシアはパトリックの言葉の意味をつかみかねて、顔を上げた。少年はいままで見たこともないほど真剣な面持ちをしていた。
「金貨はいまはない。でもいずれ手に入る」
「…………は?……」
「都の神殿に行けば、手に入る」
「え? ……え?」
「俺たちは宝を見つけた。手を伸ばせば、それは手に入る。パトリシア」
「……どういう意味」
「値千金(あたいせんきん)ということだ」
「意味がわからないわ」
考えることを放棄しそうなパトリシアの眼前に、パトリックは、歩いていた海鳥を造作なく捕まえて突き出した。
「新種だ」
「え?」
「島の名前は鷗だが、この海鳥は俺すら見知らぬものだ。おそらくこの鷗島にしかいない。これは大発見だ。あの地図の文様を覚えているか、パトリシア」
「なんか、神聖文字とか言って……鳥の形してた……」
「そうだ、海賊が地図を落とした時、地図は横に落ちて、神聖文字は読めなくなった。純粋に鳥の形だけが、この鳥と同じ模様の鳥が浮かび上がった。間違いない、海賊フスマインの宝はこの場所そのもの、この場所にいる鳥そのものの発見だったんだ」
「鳥が宝……」
「確かにフスマインは金貨を持っていただろう、宝石も持っていたかもしれない。けれど、金貨も宝石も時の流れで価値は変わるし、盗まれでもしたら、もう取り返しがつかない。だからフスマインの宝の中で一番価値がある宝は、俺のじいさまがフスマインの秘宝だと思ったのは、いつの時代でも価値が変わらない、新しい生命そのものの発見だったんだ。おそらくフスマインは長い航海の途中でこの島に上陸し、鳥の価値に気付いたんだろう。大陸を支配する都の神殿にこの鳥をもっていって報告すれば、俺たちは新種の発見者になり、歴史に名前が残るだろう」
「歴史に名前……」
パトリシアは頭がくらくらした。ささやかな幸せがいま、劇的に崩れ落ち、新たな幸せが現れようとしていた。
パトリシアとパトリックの上で、海鳥は鳴きかわす。岩場の巣の中のひな鳥たちが応えて声をあげた。小さな、可愛らしい声だった。ふと気づき、パトリシアは言う。
「……この島の鳥は、人間を見ても、逃げないのね」
鳥を抱えたまま、パトリックは答える。
「いままで人間をほとんど見たことがないんだろう。だから、怖れを知らないんだ。人間は怖いものなのに」
「怖いもの……」
パトリシアはひな鳥たちの声を聴き、何事か考える。
数拍後、パトリシアはまっすぐにパトリックの目を見つめ、言った。
「パトリック、この宝を、わたしに全部ちょうだい」
「全部? 山分けじゃなくて?」
少年が混乱したように訊き返した。少女は覚悟を決めてうなずく。
「そうよ。全部ちょうだい。この島ごと」
「島ごと?」
「ええ」
「どうしたんだ、パトリシア」
「さっき、パトリックは言ったわよね、歴史的な発見だって。それから、ここの海鳥たちは人を怖いものだと思わないから、逃げないって。もしも、わたしたちが神殿に報告したら、大発見になって報奨金がもらえて、しかも名前が残る。でも、そんなことをしたら、この島は、ここの鳥たちはどうなるの? きっと容易に捕えられてしまうんでしょう? もしかしたら、もっとむごい目に遭うかもしれない。飢えた鮫のいる海に投げ込まれるように。わたしはこの鳥たちが世界への怖れを知らないのが、うらやましい。ここには怖いことはなくて、怖い人もいなくて、ただずっと小さな島が、岩場と二本の木と、風と澄んだ海だけがあって、それだけが鳥たちの世界。そのことに、かけがえのない価値があると思ったの。だから、わたしは鳥たちをそっとしておいてあげたい。この島の秘密をお金に換えれば値千金、でもそれをしたら、鳥たちの世界はなくなる。なら、わたしは、貧乏でいい。孤児院にいられなくなっても、わたしは大丈夫。きっと、なんとかなる。生きていける。飢えて死ぬときに胸を張って、一つは大切なものを守れたんだって思える。だから、わたしに全部ちょうだい。お願いよ、パトリック船長」
「……それで、後悔しないんだな?」
「後悔しないわ」
パトリシアは背筋を伸ばした。パトリックは内側から輝くようなパトリシアを少しの間、眺めていたが、あきらめたようにいつもの仕草で鼻の頭をかいた。
「乗組員の願いだ、船長として聞かないわけにはいかないな」
「ありがとう、パトリック!」
「でも、ただじゃないぞ」
パトリックは言った。
「船はなくなるし、金貨は手に入らないし、絶海の孤島に取り残されて、まさにどん詰まり、これからどうしたもんか、おまえも責任を取って一緒に考えろ」
「パトリック、大好きよ!」
パトリシアは少年に抱き付いた。少年は「うお」「心の準備が」などと言い、両手を恐る恐る回そうとしたところで、パトリシアはぱっと離れた。
「それでね、パトリック、わたし考えたんだけど、フスマインの秘宝がこれだけじゃないのなら、まだどこかに隠された宝があるかもしれないわよね」
「あー」
少年は残念そうに両手をわきわきとさせたが、ぶらりとおろし、
「それはありえる」
と言った。少女は拳を突き上げる。
「じゃあ、さっさとこの島を出て、そっちの宝へ向かって、全速前進ね!」
「……本当に、おまえ、切り替えが早いな」
「人生って切り替えが大事でしょう? それに、何はともあれ、宝を一つは本当に見つけたわけだし、わたしの堅実一筋の人生設計も変わったのよ。あの求人のおかげでね」
「「どん詰まりの人生を逆転させませんか!」」
声を合わせて、二人は叫び、顔を見合わせると笑い出した。その頭上を、幾羽もの海鳥たちが円を描きながら飛んでいた。(完)
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