プリンシパル

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「ねぇ、パパ。昔の人はみんな長生きだったの?」 手をしっかり繋いで、幼稚園まで歩く途中で、ふとナナミが聞いた。 私は何のことか検討がつかずに、ナナミに質問を返す。どうやらこういうことらしい。 『ここで会ったが、百年目!』 お遊戯会の演劇で、そんな台詞をナナミは言うことになっている。今まさに親の仇を討とうとしている侍の台詞だ。幼稚園の演劇に時代劇というのは如何にもミスマッチだと思ったが、園長が時代劇マニアだったというのは後から知った話だ。 それにしても、親の仇を討つ侍の役というのは、大役だなあ。私はそれだけで娘を誇らしく思ったりするのだけれど、ナナミが伝えたいのはそういうことではないと思い直す。 つまりナナミの聞きたいのは、ナナミの演じる侍とその仇が出会ったのが、台詞通りそれで百年目なのであれば、彼らは一体何歳なのだろうということだ。いくら昔の人が長生きだったとしても、百歳は確実に超えているのだから、それなりに老け込んだ演技をした方が良いのだろうかと、娘は娘なりに演技プランを練っていたのだ。娘の将来は大女優かと私は妄想を膨らませながら、私は娘にその台詞の意味を教えてあげる。 「百年目っていうのは、"最後"ってことなんだよ。昔は今よりもずっと短命で、百年生きる人なんて居なかったから。百年目は本当の最後、絶体絶命、ゲームオーバーってこと。」 私は娘にそう教えてやった。分かったような、分からないような、そんな顔をして娘はコクリと首を縦に振った。幼稚園児には少し難しかっただろうか。しかし、少なくとも演技プランの変更は必要なくなったので、ナナミは少し安心したかも知れない。 「じゃあ、ナナミもパパに何か教えてあげる。」 ナナミは顎に手を当てて、考えるような仕草をしながら言った。何てキュートなのだろう。しかし、その後のナナミの言葉に私は絶句する。 「ママが、パパのお部屋で良いものを見つけたって言ってた。凄く嬉しそうだったよ。」 私は思わずナナミの手を放してしまう。パパの部屋というのは、あの書斎の小部屋である。そこに妻が喜ぶようなものがあるとは思えない。すると、恐らく妻が見つけたものは、私が妻に黙って買ったゴルフクラブに違いない。しかし妻は今朝それについて何も言ってはいなかった。私が妻に隠れて物を買うことに、妻が同意しているとは思えない。私は娘の手を握り直しながら、背中に冷たい汗がツーっと流れるのを感じた。
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