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廃園
晴れ渡った空。頬をなでる微風。穏やかな日曜の昼下がり。こんな絶好の行楽日和なら、かつてはこの場所も家族連れやカップル客でにぎわっていたことだろう。
だが今は見る影もない。生え放題の雑草。蔦に絡め取られた建造物。朽ちたベンチや色褪せ打ち捨てられた看板。
バブル末期に建造されたテーマパーク。年間何百万人もの来場者を誇った人気の秘密は精緻に再現された北欧の町並みだった。一歩足を踏み入れれば日本にいることを忘れてしまうほどで、そこに溶け込むようにして仕掛けられたアトラクションには連日長蛇の列ができたという。
中でも一番人気があったのがお化け屋敷だ。古城を思わせる壮麗な外観に、内部は迷宮のように入り組んだ構造をしていた。
その頃巨大迷路も日本各地に急増しており、それとお化け屋敷をうまく融合させたのだ。入場者は恐怖と戦いながら、地図を片手に出口を目指すことになる。迷路は定期的にリニューアルされたので、リピーターが途切ることはなかったらしい。
ところが景気悪化と共に来場者数は徐々に右肩下がりとなり、経営は次第に悪化。そこへ追い討ちをかけるようにある事件がおきた。
10年程前、ここで一人の子供が行方不明になったのだ。そのときの運営会社の対応がまずかった。運営側には責任がないと取れるような発言をしてしまい、世間からバッシングを浴びた。それをきっかけに客足はあっという間に途絶え、5年前ついに閉園となった。施設はそのまま放置され現在に至る。ちなみに行方不明になった子供は警察の懸命の捜索にも係わらず、結局見つからないままだ。
閉鎖されたテーマパークのお化け屋敷に幽霊が出る。そんな噂を目にしたのは一ヶ月前のことだ。たまたま廃墟マニアが集まるサイトを見た際、その中の掲示板に書き込みがあった。
出るなら見てみたい。興味本位でそこへ向かうことにした。ただ霊感のない俺に霊が見えるのか些かの疑問はあった。だから幼馴染を連れて行くことにした。彼の名は橋本秀樹。実家はお寺であり、親の跡を継ぐべく観秀という法名で僧侶の職に就いていた。彼なら俺が見えないものでも見てくれるに違いない。
「君はここに来たことあるのか?」
秀樹がこちらに視線を振り向けた。
「子供のころに一度だけ。でも小さかったからほとんど覚えちゃいないよ。お前は?」
「いや、初めてだ。来ようと思ったことはあったけど、結局来なかった」
「そうなんだ……」と相槌を打って、俺は先へと進む。
ゴーストタウンのようになった北欧の町並みを抜けると、それは見えてきた。
もともと古城を模して作られたその建物は、誰の手も加えられないまま放置されていたためにあちらこちらが朽廃しており、よりリアルな雰囲気を醸し出していた。絡まる蔦もその効果を演出している。
朽ちかけた尖塔を見上げながら歩みを進めるうちにふと気付いた。自分の足音しか聞こえないのだ。振り返ると、数メートル後方で友人は立ち止まっていた。
どうした?と訊ねると、彼は眉根を寄せた表情でダメだと左右に首を振った。
「ダメだってなんだよ?」
慌てて友人のもとに戻ると、
「なにか見えるのか?」
「見えはしない。でも、感じるんだ……」
「感じるって、何を?」
友人はしばらく目を閉じてから、
「子供と、その他いろいろ……。子供は救いを求めている。でもその他のものには、得体の知れない邪まな気を感じる」
それは、行方不明になった子供のことだろう。やはりここで亡くなっていたのか。だが邪な気とはなんだろう。
俺の疑問に答えるかのように、彼は口を開く。
「恐らく、行方不明になった子供は寂しかったんだよ。でもここから出ることが出来なかった。だから寂しさのあまり、辺りにいるものを手当たり次第に呼び寄せた。その中に、たくさんの悪霊がいた……」
「悪霊?それが邪まな気の正体なのか?」
「そうだと思う。悪霊たちにとってここは住み心地のいい場所のようだ。ずっとここにいたいと考えている。一方子供は早くここから出たい、つまり成仏したいと思っている。悪霊たちは呼ばれてここに来たにすぎない。子供が成仏すればやつらはここにはいられなくなる。だから子供に近づくもの、彼を成仏させようとするものはすべて敵とみなし、攻撃を仕掛けてくるようだ」
「攻撃って……」
思わず古城へと目を向けた。友人の話を聞いたからか、その姿は澱んだ空気に包まれたように見える。
「聞こえる」
その声に振り向くと、彼は古城のほうへと目を向けたまま、
「今、子供の声が聞こえた。助けを呼んでいる。ここから出してくれと叫んでいる……」
俺もそちらを見る。しかし子供の声など聞こえない。当然だ。俺に霊感などないのだから。それでも想像することはできる。幼い子供が真っ暗な迷路の中、一人ぼっちで蹲っている姿を。幽霊を見たいという当初の目的が、徐々にその子の霊を救いたいという気持ちに変わっていた。
古城に向けて歩き出す俺を秀樹が待てよと言って呼び止めた。
「まさかあそこに行くつもりか?」
「もちろんだ」
「悪霊がいるんだぞ?」
「でも子供の霊もいる。助けを求めているんだろ?」
「そうだけどさ……」
「なんだよ。びびってるのか?」
友人は答えない。顔色が悪い。
「どうした。お前、こういうことのプロだろ?」
「いや、プロって言ったってさ、僕はまだ経験が浅いから」
「浅くてもプロはプロだ。現に俺には聞こえない声も聞いてるじゃないか」
そこで俺は彼の肩をぽんと叩く。
「頼りにしてるぜ。観秀さん」
彼はため息交じりに苦笑を浮かべ、
「行くにしても、肝心の子供がどこにいるのか分からないんじゃないのか?」
「それなら大丈夫だ。当てはある」
俺は携帯電話を取り出し、画面に呼び出した画像を友人に見せた。
「これはここを訪れた廃墟マニアたちが、各々足を踏み入れた場所の記録をまとめて作った見取り図だ。そしてここ」
そこで画像の一部分を指差す。そこだけ空白になっていた。
「ここは廃墟マニアが誰ひとり足を踏み入れられなかった場所だ」
「そこに子供の霊がいるっていうのか?」
「そうさ。お前の話を聞いて確信したよ。ここに子供が眠っていると。悪霊たちは子供の亡骸を見つけさせないために、ここへ人を近寄らせないんだ。マニアの皆さんがコメントを残していたよ。このあたりに来ると、頭痛が起きたり気分が悪くなったりして先に進めなくなるって」
「なるほど……。それが悪霊の仕業ってわけだ」
「だから、お前が頼りなんだ」
「それならこっちのほうが役に立ちそうだ」
彼は肩から提げていたカバンから何かを取り出した。それはランプと、マッチ箱ほどの金属の小箱だった。
「念のために持ってきてよかったよ」
言いながら金属の小箱を開ける。そこに入っていたのは種火だ。彼がそれを使いランプに火を点すと、青白い炎が燃え上がった。
「この火はうちの寺で代々絶やすことなく燈され続ける灯明からとったものだ。その灯明には神聖な力が宿っていてね。邪気の接近を知らせ、そして邪気を追い払ってくれる」
「なんだ。じゃあそのランプがあれば悪霊がいても大丈夫ってことだ」
安堵する俺に、友人は「いいや」と静かに首を振って見せた。
「邪気を追い払うのは、あくまで炎の灯りが届く範囲だけ。だから油断は禁物だ」
そこで彼はランプをこちらに差し出すと、
「これは君が持っておけ。僕には不要だ」
「お前は大丈夫なのか?」
「こう見えて、一応その道のプロだからな」
「経験不足だけどな」
言いながらランプを受け取る。その中で揺らめく炎を眺めつつ、
「ちなみに、邪気の接近はどう知らせてくれるんだ?」
「炎の色さ。今は青白いけど、邪気が近づくと赤く変わるんだ」
「赤く……」
目の前で揺れる青白い炎。ずっとそのままの色でいてくれよと祈りながら、俺は再び歩き出した。
秀樹が懐中電灯を片手に先に立つ。その後ろから、左手にランプ、右手に携帯電話という出立ちで続く。迷路の見取り図を確認しながら指示を出す俺の言葉を頼りに、彼は行く先を照らしながら慎重に足を運んでいく。
友人の背中と携帯電話とランプ。この三点にせわしなく目を配る。幸い道行きは順調で、炎の色も変わることがない。
古城の中は埃が厚く積もり、ごみが散乱しているものの、外観ほども朽廃してはいなかった。風雨にさらされていない分、劣化も少なくてすんだのだろう。ただそのせいで小動物……おそらくイタチやタヌキ、あるいはアライグマの住処にされているようで、時折獣臭や糞尿の臭いが鼻を突いた。
進路を確認しようと携帯の画面に目を落とした時、一瞬ランプの色が変わったような気がした。思わず足を止め、ランプを凝視する。だがそれは青い炎を揺らしていた。
「どうした?」
「いや、今ランプの色が……」
言いながら友人を見る。彼は懐中電灯の光をこちらに向けていた。
右手をかざして「まぶしいよ」と抗議する俺の耳に友人の声が聞こえてきた。
「おいおい、待ってくれよ……」
待ってくれと言いたいのはこっちのほうだ。早く懐中電灯の光を下ろせと言おうとしたところで目の隅に赤い光が映った。
気が付けば炎は真っ赤に燃え盛っていた。
「来るな!こっちへ来るんじゃない!」
友人の声が再び聞こえた。目を向けると彼は見えない何かと格闘するように、手にした懐中電灯を振り回していた。暗闇を切り裂いて懐中電灯の光線が乱舞する。
やがて彼はその動きを止めた。懐中電灯を脇に挟むと覚悟を決めたように目を閉じ、両手を合わせてお経を唱え始める。
友人に何が起こったのかは明白だ。悪霊に襲われたのだ。それでも読経を始めたことでそれらは退散するに違いない。と、考えていた俺の予想を裏切るように、彼が奇声にも似た叫び声をあげた。
「何をする!やめろ!」
パニックに陥った彼は気が狂ったように頭を抱え、闇雲に走り出した。脇に挟んでいた懐中電灯の光が見る見る小さくなり、やがて消えた。
遠くから友人の声だけが聞こえてくる。
「いいか!そのランプは絶対手放すんじゃないぞ!」
その声で思い出したように左手のランプを見た。炎は青白く、静かに揺らいでいた。悪霊は友人を追っていったのだ。このランプのおかげで助かったのか、それとも悪霊たちはまず霊感の強い秀樹を追い出しにかかったのか。
取り残された俺は辺りに目を配る。懐中電灯があれば数メートル先でも見通せたが、ランプの覚束ない光では目の前しか見えない。
見取り図に目を落とす。道のりの半ばまでようやく来たところだった。頼りの友人がいなくなったことで、一旦引き返そうかと弱気な考えがもたげた。
そうだ。一旦外に出よう。あいつの行方も気になるところだ。準備を整え出直すほうが得策かもしれない。そう自分に言い聞かせて来た道を戻ろうとしてギョッとなった。ランプの光が赤く染まったのだ。
足を止め後ずさる。炎は徐々に青白く変化した。背後から悪霊が来ているということだ。これで俺は先に進むしかなくなった。
入り組んだ通路を行くには頻繁に見取り図を確認しなければならなかった。そのたびに俺の視線は小さな画面に釘付けになる。そこから再び顔を上げるときが恐怖だった。それまでそこになかったものが突然現われやしないかと。
見取り図を見るたび恐れ、炎が揺らぐたびに戦きながらも、なんとか目的地にまでたどり着いた。例の空白の部分だ。
ランプの光が届く範囲は狭い。だからそこがどんな場所なのか全体像がつかめない。
出来るだけランプを高く掲げ、目を凝らしていた俺の耳に、微かに泣き声が聞こえてきた。行方不明になった子供の霊だろうか。
それを頼りに足を踏み出した瞬間、炎の色が赤く変わった。
条件反射のように向きを変える。それでも色は変わらない。それならばとあらゆる方へ足を踏み出すものの、どちらを向いてもランプの色は赤いままだった。
どうやら悪霊に取り囲まれてしまったようだ。子供に近づくものはすべて敵とみなされる。つまり、悪霊たちは俺を子供に近づけさせまいとしているのだ。逆に言えば、これほどに俺の行動を抑制しようとするのは、それだけ子供の亡骸に近づいたからだろう。
だが大丈夫だ。俺にはこのランプがある。この炎は邪気を払うと秀樹は言っていた。これがあれば悪霊たちは俺に手出しできないのだ。だからあせらず、じわじわ動いていけばいずれ子供を見つけることができるだろう。
そう自分に言い聞かせ、声のするほうへと進む。勇気を振り絞りしばらく行くと、ランプの明かりの中に、床にうずくまる小さな背中が浮かび上がった。服装から少年と見て取れる。かすかに震えているから亡骸ではありえない。それならこれが行方不明になった少年の霊なのだろうか。それにしてははっきりと見える。俺にも霊視の力が備わったのだろうかと思いながらそちらに歩み寄る。
すると少年は身じろぎをしながら、
「眩しい……」と泣き声をあげた。
長らく暗闇にいたせいで、少しの灯りにも敏感になっているのだろうか。それならばこれは遠ざけてやろう。そんな風に思ってランプを足元に置こうと……。
「待て!」
その声で俺は動きを止めた。ランプはまだ手の中だ。
声の主は秀樹だった。悪霊に襲われ姿をくらましていた友人が戻って来たのだ。
「お前、大丈夫だったのか」
「もちろんだ。名演技だっただろ。あいつらを油断させて、うまく誘導して、何体かまとめて成仏させてやったよ」
さすがはプロ。自ら囮になって悪霊を一網打尽にしたわけだ。頼りになる。経験不足と言ったのは謙遜だったか。
「そんなことより」
友人の険しい目が俺に向けられた。
「ランプは手放すなと言ったはずだ」
彼は先ほどまで泣き声をあげていた少年を指差した。
そこにあったのは、ただのマネキン人形だ。恐らくどこかのアトラクションで使用されていたものだろう。無表情のそれはじっと私たちを睨みつけていたかと思うと、
「畜生!もう少しだったのに!」
耳障りな声で怒鳴ったきり動かなくなった。
「悪霊の仕業だ」
友人がマネキンの頭を小突くと、それはごろりと地面に転がった。
彼は無言で手を合わせ、それまでマネキンが座っていた場所にかがみこんだ。それからその部分の床をまさぐり始める。
何をしているのかと思いながらも、とりあえず礼を言ってから、
「しかし、見取り図もないのによくここまで来ることができたな」
彼は俺を一瞥すると、
「この子が導いてくれたのさ」
そう言って床の一部をめくりあげた。
その下にわずかな空間があった。その底に、小さな骸骨が横たわっていた。
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