アイロニー

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 そう言いながらもわたしが彼と離れられないのは、彼が世間に掃いて捨てるほどいる人間の中で、いそうでそうそう出会えそうもない人間だからだ。彼は他人の悪口を言わないし、他人のダメなところをあげつらって笑い話にしない。もちろん、それはわたしのことも含む話だ。自分のダメなところを棚にあげて、他人のダメなところを面白おかしく語れることを「話がうまい」なんて思うやつは、男女問わず大抵ろくなもんじゃない。あと、わたしは彼氏がわたしのことを誰かに紹介するときに「相方」なんてダメな漫才コンビみたいな紹介の仕方をしないでほしいし、ちゃんと「彼女」とか「恋人」と紹介してほしいと思う派だから、そういう意味では彼は理想の人だ。  けれど、もう少しわたしのことを気にかけてくれてもいいんじゃないだろうか。たいていLINEを送るのはわたしの方からだし、彼からの返事は文字の代わりにスタンプで返ってくることも多い。というかいつも思うけど、スタンプのセンスがまるでいっぱしの女子だな、きみは。下手したらわたしの方が男っぽいんじゃないだろうか。知らんけど。  悶々とそんなことを考えていたら、彼がおもむろにスマートフォンをテーブルの上に置いた。と思ったら、今度はそれをもう一度手にとって、きっちり折り畳んだおしぼりで、ディスプレイをそっと拭った。あれかな、指紋が気になったのかな。指紋を気にする前にわたしの顔色ももう少し気にしてほしいものなんですけどね。わたしなら、この身体にいくら指紋をつけられても拭ったりしないのに。  彼が唇を開くのが、妙にゆっくりに見えたのは、わたしがすっかり油断していたからなのかもしれなかった。 「今晩さ」 「うん」 「何食べたい?」  言いさま、彼はさっきまで触っていたスマートフォンを、わたしの方に差し出してきた。ディスプレイの中ではブラウザが開かれていて、いくつかのホームページが開かれたタブが整然と並んでいた。タイトルを見るに、どれもお店の名前のようだった。そっと、スマートフォンを手で掴みあげる。ほんのり温かいのは、彼が手に握っていたからなのか、ずっと操作され続けていたからなのかはわからない。けれど、さっきまで冷え切っていたわたしの掌の中で、それは確かに熱を帯びていた。
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