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【三十七】琴浦信二
巌は言う。犯罪を犯す奴は結局クズだと。
その言葉に対し、琴浦は問いかけた。
『困窮、恫喝、もしくは反撃による過剰防衛の場合はどうなのか? ケースによっては被害者が加害者に転じる可能性がる。巌さんの持論は乱暴すぎる』
独善の極みだ。利己主義だ。エゴだ。
そんなことが許されると思っているのか。
厳しい視線を投げかける琴浦に対し、巌は真っすぐに見つめ返して、少し悲しそうに微笑する。
もう、巌の中で散々考えて考えて、考え抜いて、出した結論だったから。
『乱暴でも構わない。俺たちは神様じゃないんだ。全員納得するハッピーエンドなんて出来るわけないし。お前だって知らないだろう。俺たちのできる刑事として仕事は、罪の禍根を絶つことだ。正義の味方になって悪を裁くことじゃない。それが、胸糞悪い結果になってもな』
巌はそう言って地獄に突き進むのだ。
疲弊した体をムチ打って、周囲に良いように担ぎ上げられて押し付けられて。
待っているのが破滅だとわかっていながら、まるで重荷を背負った罪人のように歩く姿は見事な働きアリ。
オレはそこままで突き進める貴方が嫌いだ――それと同時に敬愛している。
貴方の瞳の奥に揺らぐ炎が、オレの冷え切った心に火をつける。
20代、もしかしたら10代のころに胸に抱いていた志は、諦めとともに枯れて死んだ。夢と希望は捨てて、ある程度予測のつく未来を妥協点に死ぬまで惰性で息をする。
『お前を見ているとイライラするんだよ。琴浦……』
我ながら、物心ついたときから、打ち解けにくい性格だった。
そして厄介なことに、そこそこの正義感と能力を持っていた。
未だ古臭い現場第一主義が蔓延り、キャリア組が幅を利かせる警察組織に疑問を抱き、その最たる捜査一課を心底絶望していた。
『よう、信二。また相棒解消されたんだってな。今回で何度目だ?』
『さぁ、いちいち覚えていないので』
どこでも浮くがそこしこ仕事が出来るせいで、周囲は琴浦を持て余す。何度も相棒を解消されて、コケにされて、孤立しながらも、そこそこの意地と矜持でそこに立っている。
そんな琴浦の相棒として、白羽の矢が立ったのが巌理。巌が断らない性格なのを見越して、年齢が近いことからも適正だと判断された。
事情を深く聞かない巌は、気難しい琴浦を繊細だと評して、軟弱だと笑われる趣味に理解をしめし穏やかに距離を縮めていく。こういう人間味が一番対応に困る。
疎まれることが普通であり、人並みに配慮されるとどうしていいのか分からなくなる。
『琴浦。お前の分析を頼りにしている。俺はお前みたいに粘り強くもないし、頭が回らないからな』
頼られ、背中を預けられ、相棒として認められていく中で感じる、居心地の良さと背中合わせの焦燥感。
『どうも。だけど、巌さん――』
オレには貴方が、まぶしすぎる。
情熱とは程遠い暗闇をまとう熱は、まるで黒い太陽のようで。アリのようにストイックに働く姿に、何度、おぞましい感動を覚えたかわからない。
この感情はどこからくる?
自分で自分が分からなくなってくる。
敬愛と嫌悪の板挟みの中で、琴浦の出した結論は相棒として巌の仕事を支えること。
お互い、どちらかの命が尽きるまで、その行く末を見守ること。
今回のことで巌は出世するだろう。
そして、上が御しやすくするために、自分以外の相棒があてがわれる。
それは駄目だ。許されない。巌の隣を歩くのは自分ただ一人だ。
気持ち悪い執着心の命ずるままに、琴浦は不気味な笑みを浮かべて少年と対峙した。
取調室で対峙する少年は目を合わせず、机に視線を落として黙秘の態度を貫いている。
「このまま嵐が通り過ぎればいいとか、そう思っているのかぁ」
マジックミラーの向こう側で、なりゆきを見守っている刑事たちの歯ぎしりを琴浦はきいた気がした。
そんなにうまくいくはずがないのに。
首謀者が消息不明で幕が閉じ、新たに発生した問題が逮捕者の処遇だった。
逮捕者のほとんどが、捜査二課がマークしていた売け子たちと一致しており、主犯が佐伯だと確定していた。
少年法を盾にしても、長引いて1ヶ月後には、若者たちに対する落としどころが見つかると考えられていた。
それが大きな間違いだ。前提を間違えていた。
大勢の人間が情報に振り回されて、街一つ火の海に沈めた異常性を甘く見ていた。
「そんな畏まらなくていいんだよ。君が鶯谷で体験したことは、常人の神経では耐えられないことだ」
「…………」
穏やかに応じる琴浦に対して、少年はなにも答えない。
少し長めの茶髪に黄色い肌。少し汚れが目立つシャツとズボンからすえた匂いが漂っている。
生気の失った瞳は机の一点をのぞき込み、固く閉じた唇は二枚貝を連想させた。
「ちょっと、話をしよう。君は、読書が好きかい? 洋書は?」
「…………」
「スティーブン・キングは好きかい?」
相手の反応を伺いながら、話を続ける琴浦は防犯カメラに残された映像を思い出した。
奇声をあげながら、建物の壁によじ登る若者を。
道行く人々に襲い掛かかる若者を。
そして、ある建物にぞくぞくと詰めかけてくる若者を。
そのホテルは壁が白いせいで、壁によじ登る若者たちの姿が、まるでケーキにたかる蟻のように見えた。
「オレが君に紹介するのは、ウィリアム・ゴールディングの【蠅の王】という小説だ。この話はスティーブン・キングにも影響をって……それ以前に、スティーブン・キングを君は知っているかい?」
「――【ミスト】って、映画なら」
どこかうんざりした声で、ようやく少年は答えた。
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