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【二十一】アリたち
いよいよ夜闇の色が濃くなってきた。
青空の名残が消え失せて、迫る夜闇と顔を見せた満月の金瞳が下界の悲喜劇を観察する。
仕事帰りの人々が散見する鶯谷で、有象無象と蠢くアリたち。
一見して人々に溶け込んでいる彼ら――欠如したものが持つ人間離れした瞳には、明らかな焦燥があった。
指令が訂正されて新たに動き始めたアリたちは、さりげなさを装い、注意深く、感情を押し殺して慎重に【ある人物】を捜索する。
警察の初動にかかる時間を鑑みて、リミットは30分。
国家権力が介入してきたら最後、自分たちの人生が大きく湾曲する――これは死刑宣告に近い。
どうしてこうなった。
これは今のアリたちに共通している認識だった。
自分たちは一般人より賢く、おいしい所だけを要領よく収穫して、あくせく働く人間をバカにしてきた。
騙される人間が悪い。周りの人間が一般論というワガママを押し付ける。
個性を大切にしろと言いながら、自分たちの常識が違えば顔色を変えて、ヒステリックにわめき散らす。
彼らは共通して意味を考えない。ある種の盲目さと他人を害しても平気な凶暴性が、意識から現実を断絶させる。
現実との折り合いを放棄して、他人の財産を奪うことを選択したグンタイアリたち。司令塔の命じるままに、虫のごとく生きることを選択した結果、人間としての法律が牙をむいて襲い掛かる。
【こっちのネカフェにもいなかった】
【ファミレスはどうだった? 恩賜公園の方は?】
【顔認証つきのドローンを飛ばしたけど見つからない】
【だれかドローンを首都高に飛ばしてくれ。警察の動向を知りたい】
【これだけ見つからないと、学校か鬼子母神の墓にいるとか】
【うかつなことはやめろ。入谷あたりはただでさえ、警察と監視カメラがうざいんだ】
【ちくしょう。みつからねぇ。どこだ、どこにいる】
【おいっ! 無断なグチはやめろ】
どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ。どこだ……。
明確な司令塔がない現在。彼らはスマフォをたよりに、お互いの情報を交換して取捨選択する。
安心するための情報をもとめて、自分たちの不安を払しょくするための解決を急いで。
だが、次第に共有する情報が飽和して、感情交じりの不協和音がネットワークにノイズを走らせた。
こんがらがる糸のように情報が錯綜し、混乱し、そして暴走に至っていく。
「おい、そこでなにをしているっ!」
「チッ」
逃げる彼らと、追う警察。
公共施設の不法侵入をおかし始めるアリたち。黙って静観することも常識的な行動も苦手であり、我慢と自制を軽蔑する彼らは司令塔の意思から外れて、わらわらと町を侵食し始める。
不法侵入を告げるセンサーが鳴り響き、怒号と悲鳴が混ざり合う異界。
事態を収拾しようと警察が出動して、さらに混乱に拍車がかかっていく。
人が倒れ
道路が血で汚れ
逮捕されまいと抵抗して
乱闘に発展し
逃げることに集中して迫る車に吹っ飛ばされる。
「あぁ。こりゃあ、ひでぇ。渋滞確定だな」
タクシーから降りた瀬名は運転手に万札を握らせた。
黄色いレンズの眼鏡に映る、派手に横転した反対車線の車。どこからか火の手が上がり、煙の塔が天を衝く。
消防車のサイレンがけたたましく木霊したが、渋滞し始めた道路にせき止められて一向に進まない、進むことが出来ない膠着状態の中で、消防員たちがおもいおもいに機材を担いで降りてくるのが見えた。
弾丸のように瀬名の横を通り過ぎていく消防員。
逃げ惑う人々。
奇声を上げるアリたち。
必死に職務を全うする警官。
混乱の極みに達しようとしている此処は、地獄の様相を呈していた。
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