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【二十三】佐伯隆
同時刻、佐伯は白濁した瞳を液晶テレビに向けた。
自分でも予想がつかなかった阿鼻叫喚の地獄絵図。
不器用なヤツがドローンの翼を電車の電線にひっかけている映像に、喉の奥からクックと声が漏れた。
「あーあ。あのドローン、高かったのによぉ」
まるで他人事のように呟いてぺろりと唇をなめる。
血の味とおぞましい精液の味がした。
あのシロアリの味だった。屈辱の味であり、自分を突き動かすにあたっての、忘れてはいけない味でもあった。
逃がさない。絶対に逃がしはしない。
映像のドローンは必死に、絡んだプロペラを動かそうとしていたが電線の方がもたなかった。悲鳴を上げるかのように、ぱちりと音を立てて青白い電流が走り、たちまちドローンを炎が包んだ。カラスの死がいのように無残なものになった、焼け降りて黒い残骸と化したドローン。
カモたちを監視するために活用したドローン。
警察の動きを偵察するために、活躍したドローン。
ライバル会社の動向を逐一記憶してくれたドローン。
俺のために、瀬名の事務所を監視してくれたドローン。
今、このドローンは佐伯の願いを最大限に叶えてくれた。
ひっかけたヤツは社会的制裁を受けるが佐伯には関係ない。
これで、百合にたいする包囲網は完成したと言える。
「思った以上にバカなヤツ等が多くてよかったぜ」
それは本音だった。百合が送った一斉送信メールに対して、訂正メールを送ったのだが、それが佐伯の想像を超えて過剰に反応したところか。
【佐伯だ。俺の携帯が盗まれた。今、その場にいるヤツは写真の女を探してくれ。鶯谷にいることは確実なんだ。警察に保護されたら、うちの会社が危ない】
受信した不特定多数の部下たちは戦慄する。この場にいない人間は待つことが苦痛となり、自ら死地へと疾走するのだ。何人も、何十人も……。
「あぁ、なるほど。だから、【マリーネット】【スティングハート】【グラスバナナ】もこんな風に、一斉に自滅したのか」
シロアリに関わらなければ、自分はどうなっていただろうかと、そんな仕方のない想像はするまい。
シロアリに関わったことで、佐伯は痛めつけられて、百合もとられ、多くの人間が暴れまわり、道路の渋滞が玉突き事故を引き起こし、ドローンが電線に引っ掛かって帰宅難民の続出。あまつさえ、どっかの誰かが建物を放火をしている。(なるほど、建物ごと燃やして片付けようとしたのか)
しかも、テロ疑惑――っ!!!
なんておかしい。実際は違うというのに。
混乱する現場の映像に、言いようのない愉悦がこみあげてくる。
雲上の彼方から下界を見下ろすような優越感と爽快感。
一瞬、自分がすべてを操る神になったような錯覚さえあった。
そう、百合を痛めつけていた時と同様の陶酔に似た。
「これで、南雲も瀬名もおしまいだな」
自分もただではすまないが、ただで終わるつもりはない。
もしかしたら、金剛組の弱体化するかもしれない。そうなったら央龍会も屋台骨が傾き、日本の裏社会のパワーバランスが確実に変化する。
すべて、シロアリが関わったせいで。
佐伯は携帯を見つめてイヤらしく顔をゆがめた。
血涙の跡は茶色くはりついて異様な化粧と化し、精液で固まった噛みはぼさぼさに逆立って黒い炎のようだ。
痛々しい縄の跡が残る全裸の肉体。無理やり脱臼を治した両肩がぱんぱんに腫れあがり、肩から下の腕は異様に膨張して存在感を放っている。
逆マッチョの肉体と相まって、佐伯の今の姿は人というよりも手負いの野獣そのもの。
興奮して勃起した男根が太い血管を浮かび上がらせて、いまかいまかと射精の瞬間を待ってる。
「あぁ、まっていろよ。もうすぐだ」
自身に向かって語り掛ける佐伯の顔には、不気味な静けさが満ちている。
シロアリは運がいいが、自分も負けず劣らず運がいい。
固まる確信は、今、自分がこの部屋にいる証左でもあった。
もしかしたら、一生分の運をここで使い果たしたのかもしれない。それでもかまわない。
佐伯は美人局に使うホテルが、過去に何回指導されたか事前に下調べをしている。
なにせ空前の不景気だ。金をチラつかせれば、たいそうな建前を用意してやれば、特にダブルワークを禁じられている役所の連中は滑らかに舌を回転させる。
このホテルは特に、使い勝手がよさそうだった。
ちょっとした客同士のトラブルなんて、なぁなぁで済ませて、裁判で賠償金を命じられてものらりくらり。少額ながらもボチボチと金額を支払い、ぎりぎりで決定的、確定的な破産を回避する。
経営者は心臓に毛が生えているのではなく、心臓のかわりに鉄か氷が入っているのだろう。そこで働いている従業員もだ。
必要最低限のことをこなせばそれでいいと思っている。
その必要最低限と言うのは自分たちの保身。客はいい気になせて金を落とすだけの存在にすぎない。
その悪質な無関心さは、美人局をする場所を選ぶうえで特に重要だ。
自主的に警察を呼ぶこともなく法的介入をとことん嫌う。
が、今回はついに誰かが消防車を呼んでしまった。
年貢の納め時だった。
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