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【二十五】佐伯隆
送信ボタンを押した瞬間に、指先から無数の糸が放たれた感覚があった。
己の思考と他の思考が結びついた手ごたえに、佐伯の怒りが送った相手に全て分配されてつながった悦びに、血の化粧で施された顔がいびつに弛緩する。
大勢の意識と溶け合い、その中で声をあげる佐伯の意識。
「そうだ。このまま血祭りにあげてやる」
こもる声音は好色な色を帯びて、よく見えていない瞳には嗜虐の光がぎらついていた。
佐伯は想像して悦に入る。
ボロボロに痛めつけられて、惨めに這いずりまわる白峯の姿を。
佐伯に許しを請う泣き叫ぶ百合の顔を。
涙と鼻水で顔面を崩壊させた百合の口に、自分のイチモツを突き入れる瞬間を。
……♪
「…………あん?」
せっかくの想像に水が差された。
携帯から奏でられる着信音が、鼓膜を通り越して脳みそにへばりつき、無理やり意識が現実に浮上する不快感。
表示された番号に内心舌打ちしつつも、自身の欲望を叶えるために理性を優先させる。
「もしもし瀬名社長、どういたしましたか?」
『どうか助けてください。南雲社長に知られる前に、どうか、どうか……』
先刻、哀れっぽく懇願した自分の姿を思い出して、怒りで全身が震えそうになった。
『そうもいかないだろう。会社の危機なのになにいってやがんだ?』
『それは重々と承知しておりますが、南雲社長とは少し誤解があって、話を聞く状態ではないのです。しかもシロアリに痛めつけられて、私の方はこの場を動くことができません。部下に指示を出そうにも、なにぶん血の気が多い連中でして』
『それで? ワシに南雲を抑えて、兵隊を何人か貸してくれと……』
『はい。百合が盗んだ会社のデータには、瀬名社長にとっても都合の悪いデータがあります。そうなったら、央龍会にも影響が』
『あー。わかった。南雲君が怒り狂う姿なんて想像できないが、シロアリが絡んでいるとしたらシャレにならないし、それに百合ちゃんと別れることをすすめたのはワシだしな』
そうだ、おまえが全部悪いんだ。
思い出すだけで血が沸騰して、怒りの炎が燃え滾っていく。
その炎を鎮火するのは、膨大な血の雨しか考えられない。
「あー、今、テレビで鶯谷の様子が流れているんだが、ケガの具合は大丈夫か? その場から動けないんならこのままだと危ないだろ。ガキどもを扇動するのもいいが、もう少し、冷静になった方がいいじゃないか」
電波の状態が悪いのか、携帯を耳にあてないと瀬名の声が聞き取れなかった。
テレビを見ていたのなら、暴徒と化して暴れる佐伯の部下たちのありさまを知っているはず。
にも関わらず、狼狽することなく、佐伯を心配する内容と、まるでガキのおいたを許すような見透かした態度に、なけなしのプライドが荒い目の紙やすりで削られていくような怒りを覚えた。
佐伯はすっと呼吸を整える。
脳内に描くのは、バットで何度も撲殺した瀬名の姿。
足の爪を一枚一枚剥がして泣き喚いている瀬名の姿。
多種多様の銃に囲まれて、命乞いをする瀬名の姿を。
「はい、体の調子はなんとか歩ける程度には回復しました。危険を感じたらすぐ逃げますので。それと、百合の居場所が分かりましたので、派遣してくださった部下たちに是非連絡を――」
冷静に対応できる己を佐伯は称賛した。
目もだいぶ見えてきた。腫れてふくれた両腕が痛みを発し、服を着ることが出来ないが些細なことだ。
会話を終わらせて、携帯を耳から話した佐伯は地図アプリのマーカーをみる。
百合とシロアリの居場所を示している赤い円。
佐伯は、その円がまるで血のシミにように広がっていく光景を幻視した。
メールを受け取った部下たちは響く着信音にわずかに正気を取り戻すも、受け取った文面に再び理性が消失した。
彼らは考えるのを放棄した。
理性も、怯えも、罪の意識も、道路で横転し燃える車も、取り押さえようとする警官隊も、自身が流れる血も、意識の彼方へ飛ばしていく。
「いああああああああああああぉ!!!」
突如、感情を爆発させて若者の一人が奇声をあげた。
獣のごとく雄たけびを上げて、メールに示された目的地へ疾走する姿は、人ではないナニかに見えた。
「ああああああああぁ」
「いぃひぃいひやああああああ」
「ぎひいいいいいいいいいいいいいいいいい」
燃える街を背景に不気味に呼応しあい、奇声をあげる集団。迎え撃つ形になった警官たちは、触手にからめとられるような不気味でおぞましい感覚が神経に走るのを感じた。
一団から発する、薬物の乱用とは違う、どこか統一された意思。
彼らを覆う飽和した熱量は、火や煙、間近の暴力をものともせず炎の塊になって破滅に突き進んでいく。
なぜならば、ようやく見つけた感情の矛先だった。
自分たちに理不尽を押し付けた元凶がそこにいる。そう思っただけで、凶暴な面相となり血走った瞳に狂気が宿る。
駆け込んだ目的地はラブホテル【ローヤルはにー】
百合もシロアリも、じつはすぐ近くにいたのだ。
彼らは建物に殺到する。入口があふれかえり、行儀よく待てない者は建物によじ登って、窓を割って侵入する。
その光景を目にした警官は、ケーキにたかるアリの群れを連想した。
信じられない光景であり、追ってきた警官たちはわが目を疑った。
人間はそこまで人間性を捨てられるのかと戦慄し、ただの集団暴走ではない尋常ではない事態が起こったことを、今更ながら察することが出来た。
「まったく、携帯が無かったらまんまと騙されるところだったぜ。最初はバグかと思ったがよ」
短時間で身を隠せる場所。そして、部屋に放置されている佐伯の状況とが重なり合い、とても単純で分かりやすい結論に達した。
百合のシロアリも、実はこのラブホテルから出ていない。
違う部屋に身を潜めて佐伯たちをやりすごし、頃合いを見て警察に駆け込もうとしていたのだ。
だが、誤算があった。
佐伯の部下の常軌を逸した暴走と、佐伯が即、居場所を特定したことだ。
今の百合たちは、外に出るに出られず袋小路に陥ってしまったネズミそのもの。駆除されるのは時間の問題だろう。
ガラスの割れる音で、自分の兵隊が突着したことを確信した佐伯は歩き出す。
あれから大きい動きもなく、携帯のカメラは百合のポケットを映し続けている。
さぁ、パーティーを始めよう。
【…………♪~っ!!!】
佐伯は遠隔操作で大音量の着信音を鳴らした。
耳をすませばかすかに陽気なメロディーが聞こえ、物騒で血なまぐさい期待に胸が弾む。
「お前が悪いんだぜ。百合ぃ」
百合が慌てて電源を切ろうとしてももう遅い、携帯の主導権はすでに佐伯のものであり、佐伯から解除しない限り着信音が解除することはない。
そして、同時にメールを起動させて一斉送信させる。
【到着したようだな。着信音が鳴っている部屋に女がいる。男がいるなら殺さない程度に痛めつけろ】
「アハハハハハハっ! ざまあみろっ!」
佐伯は身を躍らせてドアを開けた。
大勢の敵に取り囲まれて絶望に歪む百合の姿を想像して、股間が喜びでエゲツなく膨張した。
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