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【二十六】佐伯隆とアリたち
廊下を歩く、ただそれだけで全身に甘い痺れが走った。
目的地に近づくほどに聞こえてくる着信音。慌てて電源を止めようとしてももう遅い。
百合側がどうしようとも、遠隔操作の主導権は完全に佐伯の手にあり、佐伯は手にある携帯で音の強弱を操作する。
高く、低く、さらに高く。
慌てふためく百合の姿を想像しながら、下卑た笑顔をうかべる顔からはすでに人としての尊厳はない。
――蹂躙してやるっ!
あの時殴ったサラリーマンの恐怖に引きつった表情。
いっちょまえに、百合を後ろに庇って逃げるように促していた。
――輪姦してやるっ!
いつものように、見せつけるようにぶちこんでやる。
泣いても叫んでも赦してやるものか。
この女は俺のものなんだと、百合とシロアリに思い知らせてやる。
繋がっているところを間近で突き付けて、
無理やり接合部を舐めさせて、
精液と百合の密を泡立ててまぜたミックスシロップを吸わせて、
俺のケツの穴にキスさせてやる。
これがいつも通りだ。これが、俺とお前の予定調和ってやつだ。そうだろう?
湧き上がる歓喜に喉のあたりが震えた。
これから迎える血の宴。その予感に体中の細胞が恍惚の叫びをあげている。
次第にぱらぱらと見かける、佐伯の呼びかけに答えた部下たち。みな、上司の姿を目にとめると、その異様な風体になにかをいいかけて、そして無言に付き従う。
彼らの瞳に微かに理性の光が戻るも、慌てて俯き思考を停止させる保身。必死に現実から目をそらす彼らは、まるで佐伯を盾にして黒列を作った。
着信音のする部屋の前では、扉を遠巻きにして輪をつくる異様さ。
佐伯の為にさっと道を開ける男たちの表情には、どれも悲壮感と共にどこか夢心地に浸ったような淀んだものが漂っていた。
昏い瞳の視線の束を受け止め、揚々とドアに手をかける佐伯。あっけなく開いたドアに、身をすべらせて勢いよく部屋に侵入する。
「百合ぃ。シロアリぃ! 観念しろおぉ」
部屋に響く狂音は、勝利を確信した咆哮だった。
佐伯を先頭に部屋にぞろぞろと侵入する男たちは、隙間からターゲットが逃げ出さないようにびっちりと肉壁で固めて、周囲ににらみを利かせている。
ピークに達する熱気がその場にいる人間の肌を撫で、煮詰まった負の感情が爆発しそうな危うい空気があった。
欲望に血走った瞳が探すのは、ただ一つ。
狂乱のたぎりを慰める極上の生贄を求めて、残酷で冷酷な公開処刑を望んでいる。
しかし。
「…………っ」
いない――っ!!!
部屋には百合はおろか、シロアリすらいない。
部屋に虚しく響く着信音。ベッドの上に脱ぎ捨てられたバスローブから、佐伯の間抜けぶりを嘲笑う声がする。
愕然とした佐伯は口をパクパクさせた。
目の前の現実が信じられず、のろのろと手を伸ばしたバスローブからは生暖かいシャンプーの香りがした。
一体いつだ?
バスローブのポケットから取り出される佐伯の携帯。それが、自分の携帯かを確認すかのように、液晶画面をタップして着信音をとめると、不気味な静けさが広がっていくのを感じた。
俺はいつから騙されていた?
なにに? 誰に? 百合に? シロアリに?
混乱する頭を必死に宥めて懸命に思い出そうとする。
常にカメラを作動させて、百合たちの様子を監視していた。脱ぎ捨てようとしたのなら、すぐにわかるはずだ。
『渋滞に巻き込まれたって……。乗り捨てて向かうつもりだけど、いつ到着するのかわからないから、最寄りの所轄に保護されて待つか、ここが確実に安全な場所だというのなら、ここで待機してほしいって』
この時は、確実にあの二人はこの部屋にいた。
ここまでの短い時間に、彼女たちは即座に判断して部屋を出たことになるが、そんな大きな動きをすればすぐわかる……。
そこで佐伯は思い出した。
『あー、今、テレビで鶯谷の様子が流れているんだが、ケガの具合は大丈夫か?』
あの時だ。
点と点がつながり、目の前で白い閃光が瞬いた感覚があった。
瀬名との煩わしくたわいのないやり取り。意識が瀬名との会話に傾いている間、百合はバスローブを脱ぎ捨てて、部屋に常備してある新しいバスローブを羽織り、シロアリとともに、このホテルからとっくに脱出していたのだ。
「ちくしょうっ! 瀬名のヤツっ!!!!」
どこまで、俺の邪魔をすれば気が済むんだっ!!!
感情任せに手に持った二つの携帯をバスローブに叩きつける。
なんの手ごたえもなく、白い布に受け止められる二つの携帯が、ささくれだった佐伯の神経をさらに逆立てていく。
このままで済ませるか。
このままで……。
怒り心頭の佐伯は、取り囲む怒りの視線に気づいていない。
すでに道をふみ外し、理性と言う名のブレーキを壊した軍隊アリたちは、自分たちをどん詰まりまで追い込んだ諸悪の根源をターゲットに変更する。
「ガッ!!!」
誰かが佐伯を横から殴りつけた。
「グゥ!」
倒れ込む佐伯を誰かが踏みつける。
「ギィイ」
誰かが佐伯の手足を押さえつけ引っ張りあげ。
「ぃぎゃあああ!!!」
誰かが佐伯の身体に伸し掛かっていく。
もはや自も他もなく、伝播し一つの意思となって集中する暴力。
うねる熱気とともに、血なまぐさい一体感と暴力の恍惚がアリたちを支配する。
助けを求めてもがく手。足掻く意思。それすらも、アリたちの愉悦に繋がった。
わざと隙を見せると、我武者羅に全身を動かして、ドアに向かう。
「ま、だ、瀬名の、へい、た、い。が。まだ、ぅ、り……っ」
あぁ。楽しいと、アリたちは嘲笑う。
今、自分たちは一つの命を弄び、眼前の命をひねりつぶす決定権を握っているのだ。
それは、下っ端として甘んじていた彼らが初めて感じた優越感だった。
さらに、さらにと、血なまぐさい悦びを味わいたい彼らは、人間的な判断能力を発揮する。
獲物をいたぶるために最適な作業台に気づき、無言の会話をかわし、暗い視線を交差させる。
――そう、ベッド。
誰かが、ベッドの上のバスローブを乱暴に放り投げて、二つの携帯が宙に舞う。
ベッドに運ばれる醜悪の羊は、逃げようとばたばたともがき、醜い悲鳴をもらした。
歯が飛んだ。血の飛沫が舞った。舌が抜かれ。目玉を抉られ、睾丸を引きちぎられ、爪をはがされ、乳首をもぎ取られ、解体するパーツが小さいものから次第に大きなものへと移行していく。
その光景は、まるで虫の死骸を無数のアリたちが解体していくような手際で。
「「「「あああああああああああああああああーっ!!!!!!」」」」
アリたちは奇声を上げて血の宴に酔った。
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