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【二十九】瀬名辰也・南雲満
粉塵が壊れた消灯の下でキラキラと光を放っている。
夜闇と煙、粉塵で圧倒的に視界が悪い中、黒く蠢く統制の取れた影。
「ほう、警察の動きが思った以上にスムーズじゃねぇか。こりゃあ、すぐ撤収しないと危ないなぁ」
悠々とした足取りで、市街地を歩く瀬名は感心した様子で煙の向こうを見ていた。
対して、ハンカチで口と鼻を抑えている南雲満は、瞳に涙を滲ませて惨状を見つめている。
闇にまぎれて死体をひきずる、武装した男たち。
彼らは無駄のない動きで、死体を次々マンホールに運び込み、そして自らもマンホールに身を滑らせていく。
その光景はまるで、虫の死がいを巣に運び込むアリのような自然さだ。
「これが、貴方ご自慢の兵隊ですか?」
口を開けたマンホールを見つめて南雲は言った。
東京の都市伝説として語られている地下ネットワーク。
南雲はその一端に今日、触れた。
瀬名に命じられるまま半信半疑でマンホールを降り、下水道にある隠し通路から、瀬名の指示でここまで来た。
「そして、お前に継承される兵士でもある。お披露目が早かったが、こいつらは東京の地下と言う地下を拠点に置いている、戸籍のない奴らだ。代表者にはこんど会わせてやる」
南雲の問いに答える瀬名は、意味有りげな視線を南雲に投げかけた。
警察が取りこぼし、暴れ続けている佐伯の部下たち。
まだ年が若く、学生に近い者もいた。
彼らに向けられたのは、温情ではなく銃口。マンホールから黒蟻のごとくわらわらと現れた武装集団は、事態を収拾するために警察の目を掻い潜り、死体の山を築き上げた。
「うまく、使えよ。じゃないと、あぁなる」
そういって、未だ燃えている建物を指さす瀬名に、南雲は悔し気に奥歯を噛む。
監督不行き届き。否、それ以前の問題。
自分がこうして五体満足で存在している理由は、南雲の資質ではなく、その血であり、利用価値のある駒だということを知っている。
央龍会会長の直系の孫。
南雲の出生を知る人間は、ごく一部であり、最近まで秘匿された存在であった。
「お坊ちゃん、これは良い教訓だ。お前さんが、うまく佐伯を操縦していればこうはならなかったんだぜ」
「…………っ」
瀬名の罪悪感をあおる口調に、南雲はハンカチを押し付けて表情を隠した。
今更、罪悪感を感じる程、細い神経はしていない。
反論しようとする口をふさぎ、怒りで沸き立つ感情を理性でねじ伏せる。
口論で瀬名に勝てたことはない。
自分にできることは、感情を切り離して現状の問題を打開するだけだ。
「承知しています。私への処分はご随意に」
「ふぅん、まぁ、佐伯の資質を見誤っていた、ワシにも責任があるかもなぁ。ありゃあ、天性の煽り屋だ。惜しい人材を亡くしてしまったなぁ」
佐伯の死を、ものすごく他人事のように言う瀬名は、丸眼鏡を外してハンカチで黄色のレンズをふいた。
「一応、助けようと電話したんだけど。ありゃだめだわ。謝る以前に自分の力に悪酔いしていたわ。おぉっ、こわいねぇ、SNS。百合ちゃんと違って、煽り屋との相性が最高に良い」
「……シロアリも、貴方が思い描いていたシナリオを逸脱してしまったようですが」
「あぁ、そうなんだよなぁ。ワシの読みでは、さっさと最寄りの警察署に保護される予定だったのに」
そうなれば、瀬名の息がかかっている警察の上層部によって、事態は内々に処理される筈だったのだ。
佐伯の指示でここまで動く人間がいたことも、シロアリこと白峯が百合の保護を第一に動いたことも予想を外としていた。
「やっぱり、恋とか愛って怖い怖い。こう、燃え上がっちゃってさぁ」
そこに燃料をくべたのは、自分と瀬名だ。
佐伯が瀬名の周囲を嗅ぎまわっている――それは、すでにわかっていたこと。
斬り捨てることはすでに決定しており、精神的に不安定になっていたシロアリを投下した。
南雲が部下を使い、佐伯にあのラブホテルを使うよう、思考を誘導させて。
さらに、瀬名がラブホテルの所有権をすべて買い取って、最高で最低の舞台を整えた。
なにも知らない百合と佐伯、誰かを求めているシロアリの出会いの演出。
悪漢からヒロインを救う、醜悪なボーイ・ミーツ・ガール。
マッチポンプに気付かれず佐伯を焚きつけるため、南雲はシロアリの存在を報せる必要があった。
『お前の女がシロアリとホテルに入ったと部下からメールがあったぞっ! どういうことか説明しろっ!!!』
が、南雲は佐伯の対応を誤ったと痛感している。
いつも通りに淡々とできていれば、佐伯は分別をあやまらずに済んではないのかと。
声を荒げた時の、言いようのない高揚感を思い出して、南雲は暗澹とした感情を持て余した。以前から佐伯に対しては感情的になる自分を自覚していたはずだった。瀬名のいうように、佐伯が天性の煽り屋だとするのならば、あの時の理性を飛ばした感覚――それが、メールを通じてばらまかれたのだ。
「シロアリも百合ちゃんも、ある意味、良い働きをしたかもしれないな。外国で悠々と暮らせるように手配するか」
あれだけの惨状を前に、瀬名はマイペースだ。場違いなほど。
「シロアリはもう用無しだと。あれほどの強運の持ち主を?」
「シロアリのアレは強運って能力じゃない。受けた悪意を倍にして返す凶運だ。無敵ってわけじゃねえ」
瀬名は今回の惨事を痛手と考えていないのだ。
むしろチャンスだと思っている。
元々この男は、特殊詐欺は潮時だと考えていたのだ。
日本の福祉は、元々、日本人の人口が増加し、収入も右肩あがりに増えていくことを前提に作られている。そこには、少子化や移民、デフレといったマイナス要素は含まれておらず、金を徴収する国民の減少に歯止めがかからないのが現状。
このまま国民に依存する形を取り続けるのならば、日本の経済は確実に破綻する。
まずは年金が破綻するより前に、生活保護が破綻し、新たな貧困層が生まれるだろう。
それに対し、央龍会は新たな貧困ビジネスを想定し、備えなければならない。自分たちの商売を新たな段階へ昇華しなけば、生き延びるすべはないのだ。
「今回で、シロアリの恐ろしさに箔がつく。結果的に街一つを火の海にしたんだ。伝説の始まりだ」
将来的な経済の破綻でもたらされる混乱は未知数。
特に未来に絶望している若者たちや、外国人労働者は、手段を選ばなくなり、国内でテロ行為に走ることが予想される。
それは冗談ではない。と、
瀬名は考える。
歴史から鑑みても、テロで世の中が良い方向に変わった成功例なんてない。
下手をすれば泥沼だ。外国にまでテロ行為が波及する危険性も考えられる。そんな事になれば、商売どころではない。
燻ぶる怒りを抑制させて、混乱期を乗り切るための切り札が、シロアリという存在。
シロアリという旗印が、心を恐怖で安定させて思考を誘導させるのだ。
圧倒的脅威――古今東西の伝説における共通点。
伝説は結局、民衆をコントロールするための寓話にすぎないのだ。
「シロアリがやった」
「シロアリならやりかねない」
「シロアリのせいで」
「シロアリが俺たちの恨みを晴らしてくれる」
ただそれだけで、増殖する怒りが抑制される。
分かりやすいシンボルがあるだけで、人は蟻レベルの思考に落ち着くのだ。シロアリを偽証する人間が出てきたとしても、真実を知る人間にとっては、御しやすい存在にすぎない。
表裏の世界に共通する伝説を作り、民衆をコントロールして、経済的主導権をにぎる。
結果、緩やかに弱者が淘汰されて、残るのは強者のみ。
こうして日本は、新たに生まれかわるのだ。もし、その過程で国が滅んだとしても仕方がない、その程度だったのだ。
だが、瀬名が説明して納得する相手はいない。
坊ちゃんの修行と嘯いて、新たな特殊詐欺グループを参入させ、常盤組の商売を邪魔して撹乱し、弱体化したところをシロアリと警察に介入させた。
それは将来的に被る痛手を回避するためだ。
ラッキーマークも集金させるだけ集金させて、計画倒産させる予定だった。
「お坊ちゃんも、これから忙しくなるんだぜ。覚悟しろよ。次期、央龍会会長さんよ」
6月に始まる結婚式ラッシュ。ラッキーマークの上納金は、瀬名の名前の次に南雲の名前を連ねて、祝義袋に包まれてばらまかれる。式に出席する政治家に南雲の名前を売るためだが、今回のことを考えると、南雲には名前を変える必要がある。
佐伯は選挙関係だと勘違いしていたが、ふたを開ければ瀬名の縁結びで結婚する予定のカップルが、その親族たちが、結婚の相談をしていただけだった。
(ただし、この国の中枢に食い込んでいる一族でもある)
「期待にそえるように尽力しましょう」
南雲は言った。
分かっていた筈だが、やはりと思ってしまった。
央龍会の影の支配者は瀬名だということに。
自分は瀬名から逃れられないことに。
いや、生まれ堕ちた時から、決定していたこと。
そのことに安心感を覚えている時点で、自分もアリなのだと南雲は自嘲する。
瀬名の話が現実味がなかろうと、瀬名自身が信じているのなら、それが真実なのだ。
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