41人が本棚に入れています
本棚に追加
【三十一】白峯譲・瀬名辰也
六月の空はまぶしかった。
短い梅雨が明け、さらに暑さを増した都内は太陽の悲鳴をきいている。
気温は37度。もはや夏日だ。7月、8月にはどんな世界に変容するのだろうか。
色あせて枯れたアジサイが茂る公園を歩き、白峯は指定されたベンチを探す。
暑いなぁ。
ズボンのポケットにある小銭の感触を確かめて、自動販売機がないか辺りを見回した。
公園の中央にある噴水が水を噴き上げて、飛沫の中を気持ちよさそうにカラスが遊んでいる。
鳩の姿は見当たらない、猛暑でいないのか、それとも縄張りをカラスに追い出されてしまったのか。鳴き声をあげずに、キラキラ輝く飛沫と戯れるカラスの姿はまるで水遊びをする子供のような無邪気さだ。
うらやましいと思いつつも、その旺盛な姿は見ているだけで気分を消耗させた。
熱を吸収する黒い体で、こんな暑い中を遊んでいる。これは正気の沙汰ではない。
「おいおい。カラスなんて観察していると、運が下がるぞ」
「知るか。オレの運はアンタと関わってから、とっくに尽きている」
声の主に見当がついて、白峯は吐き捨てるように言った。待ち合わせのベンチよりも、先に相手に見つかってしまった気恥ずかしさと、相手の手のひらで踊っているような息苦しさ。
気づけば、真綿で首を絞められるように逃げ場をふさがれて、じわじわじわじわとこの男の望むとおりに行動しているのだ。
「ハハハっ。正直で結構、アイツもそんな感じに、素直に反応してくれればなぁ。いっつも腹に何かをため込んで、不健康そのものだったぜ」
アイツとは佐伯のことだろうか。
振り返ると、手を後ろに組んだ格好で瀬名辰也が立っている。
ギラギラとした太陽の光を反射するメガネ。黄色いレンズのせいか、光の加減のせいなのか、この男の瞳が金色に輝いているように見えた。
あまりの暑さで風景が白くかすむ中、汗一つかいていない恵比須顔に、窮屈そうな喪服。艶やかに磨かれた黒い靴が、枯れ落ちたアジサイを踏みつけている。
白峯はイヤなものを見た気分になった。
喪服を着ているせいで、水場で遊んでいたカラスがそのまま瀬名の姿をとって現れたように見えたからだ。
「おいおい、どうしたぁ? しょぼくれた顔をしやがって」
獰猛さを感じさせる、どこか怪物じみた笑顔。
周囲は自分を【シロアリ】と恐れるが、瀬名の方がよっぽどの怪物だ。
しかも、ヤクザとして働いていた年季がある分、凶悪でタチが悪い。
「なにいってんだか、オレみたいな態度を取ったら最後、あんたは容赦なく引き金を引く癖に」
「どうだろうなあぁ。そいつ次第かもなぁ。殺すのがもったいなさそうだし」
「……オレは、つまりもったいないから、生かされているわけか」
「ハハハハ。わかっているじゃないか、ワシは嬉しいぞぉ」
「ちっともうれしくねぇよ」
あぁ、空回る。会話が成立しているようでいて、瀬名とのやりとりは冷たいものを孕んでいた。会話をしているのではなく反応を観察し、相手の無防備な部分に飛び込む隙をずっと伺っている。
「それで、なんの用だ?」
早く切り上げて終わらせよう。この男の操り人形になれば楽なのかもしれないが、白峯の意識が危険を告げていた。操り糸を断ち切る前に、人形師がわざと糸を絡ませて、人形が逃げられないようにする前に。
「そうだな。おもったより、暑いし。向こうに東屋があるから、そこで話をしよう。百合ちゃんの近況とか知りたいだろう?」
「……あぁ」
喫茶店じゃないのか。
わざわざ屋外で会話をするということは、瀬名か白峯をマークしている存在でもいるのだろうか?
鶯谷の暴動事件で、百合とは違い、白峯は軽く事情聴取を受けた程度ですぐ解放された。
なにせ白峯側の事情で話を進めれば、ふりかかる火の粉を払い、美人局で引っ掛けた女を助けて逃げた。その程度なのだ。
ある意味、釈然としない。蚊帳の外に追い出されたような焦燥感が、この二か月間募るばかりだった。
「わりぃなぁ。暑いだろうが、これで我慢してくれ」
そう言い、東屋のテーブルについた白峯に、瀬名はどこからかペットボトルを取り出して渡す。熱中症対策で有名なスポーツドリンクだった。
「ありがとうございます。いただきます」
とはいえ、実際飲もうという気が起きない。もしかしたら、薬でも入っているかもしれない可能性があったからだ。
「あぁ。バイアグラ入りだ。たっぷり飲め」
「はぁっ。なに入れてんだよ」
予想の斜め上の返答に、白峯は言いようのない脱力感にみまわれる。
池のほとりにある東屋は、三角錐の屋根と柵代わりのバラ茂みが囲むように植生されていた。池のおかげで涼しいのだろう、アジサイとは違い、バラの花はきれいな白い花びらを広げている。
風が吹いた。池に広がる深緑の波紋がみていて涼しげだ。
心地よい涼しさとバラの花の甘い香り。
デートスポットとしては最高だろう。
しかし、なにが楽しくて性格が悪いオッサンとデートをしなければいけないのだろうか。
「さぁて、百合ちゃんの話だが。その前に、まず聞きたいことがある」
「なんでしょうか?」
「佐伯の個人情報をネットに放流したのはお前だろう」
確信のあるもの言いだった。
「だから、なにか」
白峯はあっけらかんと答えて笑う。
百合が指摘した笑顔で。
最近気づいた。
負けたくないとき、そして、相手を殺したいほど憎いときほど。相手に悟らせないように笑顔を作るのだ。
白峯にとって、笑顔は戦いの仮面。
敵を騙すために、味方を安心さえるために。
それは、瀬名も同じだ。さらに深い笑顔の皴を顔に刻んで、笑っていない瞳を白峯の黒目がちな瞳に向けていた。
最初のコメントを投稿しよう!