【三十二】白峯譲・瀬名辰也

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【三十二】白峯譲・瀬名辰也

 佐伯と百合さんとオレの携帯は同じ機種だった。  二人は紛失した際の遺失物追跡サービスに入っており、そのサービスに加入するためには、個人のパスワードに加えて乗っ取り対策の為に、もう一つの共通パスワードを設定することが義務付けられていた。  オレが遠隔で佐伯の携帯を操るには、ページに入る際のアカウントと二重に設定されたセキュリティーをパスしなければならない。  あの時。百合さんが佐伯の携帯をあまり触りたがらないのは知っていた。  見張りに立つ際に、彼女と距離をとりポケットから携帯を取り出す。  ここからは、運試しだ。  瀬名は言っていた。  オレの運の良さは、相手がオレに向ける悪意に対して発揮される。  向けられる悪意が大きければ大きいほど、運命の女神は微笑み、自ら前髪を差し出してくれるはずだ。  追跡サービスのページに飛び、でたらめに打ち込んでOKボタンを押す。 ――アカウント ――承認 ――個人パスワード ――承認 ――共通パスワード ――承認  佐伯の携帯に、その時は、まだログインはしていない。  自分が佐伯だったらと考えて(悔しいが)、佐伯が百合さんの携帯を使って、遠隔操作をしている姿が想像できた。  ログインをするのは、自分と百合さんの安全を確保してからだ。   「こっちは、マスコミに神経をとがらせていた時期だったから、後ろから刺された感じだっぜ。佐伯の携帯は佐伯ごと、あのホテルで燃えたって考えていたから完全に油断した。佐伯のプライベートのデータが、まさかあのどさくさで抜き取られていたなんてなぁ」  笑顔のままで凄む瀬名に、白峯は口を見せて笑う。  八重歯を見せて威嚇するように。 「えぇ、オレは考えたんだ。オレが思っている以上に、佐伯はやらかしている。それをうまく利用できれば、百合さんはオレだけしか残らない。オレは佐伯とは違う。佐伯は百合さんのすべてを監視して支配しようとしたけど、オレは違う」  巌たちとわかれて、帰宅難民にまぎれて避難場所に向かった。  状況を確認するためにと、携帯を操作する白峯を百合は不審に思わなかった。  自分の運の良さに賭けて。  佐伯の携帯が無事であることを大前提として。  様子をうかがうために遠隔で録画機能をONにしつつ、佐伯の携帯からデータを抜き取った。できれば、百合さんのために、警察に持ちこみたかったらしいデータも確保したかったのだか、それらはすでに消されていた。  残されていたのは、佐伯と百合の爛れて甘い腐臭を放つ(ただ)れた主従関係。    警察に保護された彼女を見送り、ネットに流す予定のデータの確認するため、再生ボタンを押してしまった。  犬の首輪をつけられて全裸で四つん這いになった百合が、佐伯の男根を咥えていた場面は、おぞましい吐き気と共に下腹部に血が集まっていくのを感じた。  彼女の白い肌を果物のように舐めしゃぶり、つつましく蕾をほころばせた乳首に口づける。 「やめ、あ……ひぃ。いっぃいいい」  じゅぽじゅぽといやらしい音をたてて、犬のような交尾をする二人。  百合の苦悶と恍惚をない交ぜにした顔は、まさに薄幸を絵にかいたような哀れさで、見ているだけで自分の中がぐちゃぐちゃと変質していくのを感じた。 「あぁ……ゆるしてぇ、おねがい……殺してぇ。もう、こ、ろして」  涙をあふれさせて懇願する百合。  血色の悪い唇をかみしめて、快楽に流されず必死に抵抗している姿。  白い体がのたうち、首につけられた首輪が異様な存在感をもって彼女を貶め続けている。 「あぁ。天国に連れてってやるさ」    下品な笑い声とともに、鈍い音が聞こえた。  やがて、佐伯の大きな手が百合の首輪を外し、その首を――。  耐え切れずに、白峯はここから先を見ていない。見ようとも思わない。  知ってはいたが、百合は佐伯の情婦だった事実に、心の中で行き場のない強い衝動と、どろりとした甘い感情が白峯の脳みそを侵食していった。  後悔と罪悪感が仄甘(ほのあま)く。  気づけば、あの場面を何度も思い出して、自慰にふける自分がいた。  あぁ、最低だ。 『俺とお前は結局、同じ穴のムジナなんだよ』  佐伯の言葉が脳内に響いた気がした。  そうかもしれない。という、諦観が影を落とすが、自覚しているからこそできることがある。  オレは佐伯とは違う。  瀬名は目を細めた。白峯の薄汚い欲望を見透かして、そしてこれから降りかかるであろう百合の困難を想像して。 「佐伯のことを知る人間と、百合ちゃんのことを知る人間が増えれば、百合ちゃんはムショから出ても、社会復帰できるのは難しくなる。百合ちゃんは無遠慮で無神経な連中から、四六時中監視されていやがらせを受けて、味方面のお前に頼らざるを得なくなる。とんだ、マッチポンプじゃねぇか」 「軽蔑しますかね? これでも、エグい方のデータは消去したんだよ」 「いや。どちらかというと、呆れの感情が強い。お前は佐伯以上に悪質な方法を取ったんだ。それほどまでに、ワシの予想以上に彼女にほれ込んだんだな」 「わかってくれなくてもいい。オレは百合さんを支配しようとしない。周りが百合さんを支配しようと仕向けただけなんだから」  よくいるよな。事件関係者が、自分の思い通りにならないと激昂するやつ。  加害者が慰謝料を捻出しようと真面目に働いたら、排除する方向に動くし、かといって、なにもせずにだらだら過ごせば、反省していないと激怒する。  結局、主観でしかものごとを見ることが出来ないから、気に入らない相手が自分の意に沿わないと、勝手に偏った価値観を振りかざすのだ。 「百合さんとオレはこの国から出ていく。その為の下準備でもあるんだ。その方が、アンタだって都合がいいだろう?」
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