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【三十四】白峯譲・瀬名辰也
「こわいねぇ。どっかに誰かに目があって、どっかに誰かの耳がある。監視社会なんて、だれも気づいていないだけで、すでに完成されているんじゃないか?」
携帯をポケットに入れた瀬名は、やれやれと太い首を振る。
真実がたやすくコピーされてネットで膨れ上がり、肥大化した欲望が現実世界で牙をむく。あまりにも近すぎる現実とネットは、理性という境界線をたやすく融解させる。
「それ、アンタが考えた最強の世界を造るのに不都合じゃないのか」
瀬名が考える世界は、日本を再生するために、緩く淘汰圧をかけて、余分なものをこそぎ落とす計画だ。
相互を監視する社会は下手をすれば長期の膠着を招く。
「ハハハ、だろうな。だから長い時間をかけてお山の大将を気取っているんだ。いざという時の起爆剤はいくらでも手元にある」
「日本終了のお知らせだな。ご愁傷さまだよ、本当に……」
「いやいや、終わっていないさ。ちょっとした手術をするだけさ」
「それにしても、酷い話じゃないか。優秀じゃない奴は死ねってか?」
「少し誤解があるな。優秀じゃないと生き残れないんだ。そして、優秀が普通の基準になって次世代に受け継がれる。肉体の進化が止まっちまった人間は、こんな手段を使わないと一段階まで上にいけねぇんだよ」
言葉にこもる苛立ちに、白峯は珍しいものを見た気分になる。
普段の飄々としているイメージが強いせいなのか、故人への哀切ゆえか、今の瀬名にはやるせないものが霞のように漂っていた。
「少し、聞きたい」
もう、この男の深い部分をきける機会は、今日、この時しかない。
そう思った瞬間に、白峯は口を開く。
「アンタが、これからなにをしようか知っているけど。どうして、そんなことをわざわざするんだ?」
「…………あぁ」
それはどこか間抜けた声だった。
白峯がその手の質問をすること自体が、意外だったのかもしれない。
それほどまでに、今の瀬名は感傷的でもあったのだ。いうなれば、隙だらけだ。
瀬名は少し迷いつつ、自嘲気味に頬を引きつらせて話始める。
「ワシ……。いや、オレは瀬名辰也として生を受けた。但し、それはもうかなり前の話。あの日、広島に原爆が落とされた時――すべてがひっくり返った感覚の中で、オレの人生は終わったんだ。自分の大切な何かが引きちぎられた音を聞きながら、あの白い閃光はオレの大切な一部を奪い去っていった。気づいたら死ぬことが出来ない体さ。笑えないぜ、なんでこんな腹の出たオッサンを不老不死にするんだよ。まったく、散々だったぜ。瓦礫からやっと助け出されたと思ったら、学者の皮を被った変態どものおもちゃだ。隙を見て逃げだして、オレを拾ったのが初代央龍会の会長さ……って、信じられないだろうけどよ」
現実離れした身の上を語る瀬名は、眼鏡を外して金色の瞳で白峯を見た。
金色の中に輝く七色の光彩は、宝石よりも神秘的で、どこか儚いものを孕んでいる。
「死んだ奴は、T大学の人体実験で知り合ったやつさ。そいつは、国から被爆者の調査っていう体で連れてこられた。一緒に逃げた生き残りの一人さ。今年で90になる。世間的には大往生だろうなぁ」
誰かに話したかったのだろう。言葉の端から零れる感情が白峯に雄弁に語りかけるのだ。
イイヤツだった。死ぬには惜しい奴だった。
なんで、死んだんだ。悲しい、寂しいと。
「もうすぐ、あれから一世紀を迎えるのに、人が愚かなままなのが許せない。オレの動機はそれだけだ」
吐き出す言葉は重く、息苦しさを伴って白峯を圧迫する。
眼鏡をかけなおした瀬名は、ゆるゆると口元を緩めて微笑した。
仮面の笑みではなく、素顔の微笑みで。
「知っておけ。一歩でも足を踏み外せば、オレやお前以上の化け物なんて、この世界にはうようよ居る。自分だけが特別だと思うなよ。誰かの人生を背負う気ならなおさらだ」
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余談
「すべてがひっくり返った感覚の中で、オレの人生は終わったんだ。自分の大切な何かが引きちぎられた音を聞きながら、あの白い閃光はオレの大切な一部を奪い去っていった」
瀬名辰也
Senatatuya
反転
Ayutatanes
引きちぎられた
Ayu Tatanes
オレの大切な一部を奪い去っていった
Ayu……取られた人としての部分。
彼に残された
Tatanes……ヒンディー語で悪魔の意味
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