【三十六】巌理

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【三十六】巌理

 親はどうすれば、親になるのだろうか。  母親になる努力をしなければ、結婚しようとも、子供を産もうとも、クソなメス豚のままなのだろうか。  子供を傷つけ、弄び、尊厳の芽を摘み、失敗を重ねて、いつまでたっても親になれない親に生まれた子供は不幸だ。  今日も母は男を家に連れ込んで、行為にふけっていた。  男にまたがって夢中で腰を振る母は、醜悪そのものでありながら、目をそらし難い惹きつけるもの持っていた。 「はぁんっ、んっんんうぅくぅ……」  ぐちょぐちょと音を立てて、イヤらしく笑う母。 「ああぁん、隆ちゃん。もっと、もっと、こっちえきてぇ」  母が幼いオレを呼ぶ声は、大人になった今でも忘れることはない。  結合部を長い指で広げて、オレの目の前に見せつけてけたけた(わら)う。  硬直した赤黒い男根を極限まで締め上げて、肉豆を息子にいじらせて、すべての頂点にたつ女王のごとく君臨する。 「これは……? なんの悪趣味な三文小説だ?」  不機嫌そうな顔で原稿用紙を睨む巌は、薄汚れた男に鋭い視線を向けた。  慇懃に名刺を渡し、押し付けるように原稿をわたして感想を要求するこの男。  ここは重要参考人である幸内百合が入院している警察病院だ。  幸内を病室まで送り届けて、休憩室で一休みしているところを、運悪く捕まってしまった。  まったく、どこから情報が洩れるんだか。  考えても仕方がないと思いつつ、結局、いつものごとく、後手後手(ごてごて)に回り事態収拾に奔走する始末だ。 「ふはふはふは。とぼけなくてもいいですぜ。旦那。これは、今度うちの雑誌で刊行する佐伯隆の半生でさぁ」  歯の欠けた口をあけて、下品に笑う記者の男は、ぎょろりと巌を見た。  血走った眼が巌を見、そしてさらに見えないものを探るように瞳を彼方(かなた)へ泳がせている。 「結構な自信作だと思うんですよ。綿密に取材を重ねて、佐伯の同級生たちからも当時のことを話してくれました。ねぇ、どう思います? 街一つを火の海にして行方不明になった男の不幸な生い立ちを」 「……悪いが、答えられないな」  そっけない対応を取りつつ、頭の中で幸内を別の病院に転院させる段取りを組み立てる。  明日? 最悪は数時間後か。彼女の存在をかぎつけたマスコミが、病院に大挙して迫る光景が予想できた。   「そう言いなさんな。今や、日本は佐伯隆一色。ネットではあの暴動を【佐伯インパクト】って、呼ばれているのを知っていますか。まさに下手なアイドルよりも注目の的。各地で目撃情報が相次いで、ミーハーな奴らはスマフォ片手に追っかけまわしている。でね? 警察はどこまで佐伯の行方(ゆくえ)をつかんでいるんですかね。佐伯の恋人が行方を知っているから、あんたたちは彼女を手放さないんでしょう?」 「行方ねぇ」  死体が出てくれたら、どんなに良かっただろうか。  鶯谷の暴動で主犯となった佐伯は、マスコミの力で得体のしれない怪物になってしまった。  被害総額は億を超え、死者行方不明者の数は二か月経過した今でも明確になっていない。捕まえたガキどもは完全に黙秘か、狂ったふりをして大人を翻弄し、その一方で金剛組が弁護士をつけて、南雲満を出頭させてきた。  佐伯の上司の逮捕で、世間の溜飲は下げるかと思いきや、直後に佐伯の個人情報のネット流出だ。情報は尾鰭(おひれ)どころか、背びれや胸びれ、尻尾や足までついて、完全に独立した生き物のごとく世間を騒がせている。  日本は佐伯という凶悪犯に対してお祭り騒ぎだ。  テレビをつければ佐伯が、道を歩けば目についた雑誌に佐伯の顔が、うっかり、隣の席に座っている人間の携帯を見てしまい、そこにも佐伯の姿が……。  佐伯、佐伯、佐伯、佐伯、佐伯……。  もう、いい加減にしてくれと。巌はうんざりしてしまう。  それよりも、マスコミは関東一帯の鉄道の復旧が遅れていることと、焼け野原状態の鶯谷の光景に目をむけるべきだ。ドローンに対しての法律の甘さ、災害レベルの人災により保険が適用されない被害者の現状。この事件を利用して、政治家が押し通そうとしている新たな法案や予算編成について言及し、国民に我が国の現状を報せるべきではないのだろうか。  都内と言う認識の甘さから、家を失った被害者の救済も停滞している。仮設住宅を用意したのは良いが、あとは放置の状態だ。  マスコミのやるべきことは、佐伯のことばかりじゃないだろう。  巌は眉間(みけん)に指を押し当てて、津波のごとく湧き上がる激情をぐっとこらえる。 「なにも話すことはございません。どうか、お引き取りを」 「あぁ、つれないですねぇ。聞きたいんですが、オタクら捜査二課は暴動が起きる以前に佐伯をマークしていたんでしょう? もっと早く、ヤツを捕まえていればこんな大惨事にならずに済んだのでは」 「……ノーコメント」  正直痛いところである。幸内百合がDVをうけていることを知りながら、自分を筆頭とした捜査二課はラッキーマークの撲滅を優先した。  佐伯の出す離反のサインを好機と捉えて、手ぐすねを引いてみたらシロアリがついてきた。  結果は混沌(カオス)だ。 「だが、そうだな。記事の感想について一言だけ言いたい」  本来なら慎重に対応すべきだ。無言を貫き、情報を与えず、スマートにこの場を立ち去るべきなのだ。   「へへえ。なんですかねぇ」  好機に輝く瞳が巌をみすえる。 「虐待が原因で歪んだのならわかる。しかし、虐待が原因で佐伯が犯罪者になったというのなら大きな間違いだ」 「はぁっ。冷たいですね、刑事さんは」 「あぁ、そうだ。あんたらが安易な同情を誘って、佐伯が【愛に飢えた哀れな男】になるなんて我慢ならんな」  親に虐待されて、かわいそうだから(ゆる)してやれと?  ふざけるな。不幸な境遇に潰されず、まっとうに生きようとする者たちへの冒涜だ。  犯罪を犯す奴は、クズだ。  ……そうでなくては、  死者も、  傷つけられた者も  不幸の中で足掻く人間も報われない。
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