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【エピローグ】
少年は脳内で数を数えるのをやめる。
目の前に座る刑事は満足げに目を細めて、少年の反応によくしたようだ。
冗談ではない。
こいつの骸骨のような顔を見ていると、頭の中の不快感がぶわりと音をたてて増殖し、吐き気と共に様々なものが口から出そうになるからだ。
適当に話を合わせれば、相手にとって一定の満足のいく回答を答えれば、この取り調べは終わるはず。
少年が思い出すのは、受け子としての知識だ。
騙されて金を受け子に渡すバカどもは、金なんかよりも、自分の心が満足することを望んでいた。
筋書きは佐伯が――かけ子の電話で不安を掻き立てられて、受け子に金を渡して安心し、出し子が金融機関から金を引き出す。
佐伯はとくに受け子たちの行動を、厳正な看守のごとく管理していた。
なにせ、被害者に直接顔を合わせる役割が受け子だからだ。下手をすれば証拠をのこし、自分たちの不利益を招く。
少年は回顧する。佐伯の教育という洗脳風景を。
アルバイトの研修という名目で、外界から隔絶された部屋に閉じ込められて、四六時中監視される生活を。
娯楽はすべて取り上げられて、なにか心を和ませる暇つぶしを見つけようものなら罵声が飛んでくる。
ぎりぎりの精神状態の中で耐え抜いて、研修の最終日に佐伯が優しく語り掛けられた時、理性が脆く崩れ去った。感じたのが、圧倒的な悦びだったからだ。
思考を押さえつけられて、与えられる喜びに自分の全部をゆだねる。
もし、それが取り上げられたら?
赤く明滅する光景。
視界のすべてが赤く染まり、血肉が飛び散る様子を、あの時は異常だと感じることが出来なかった。
「それで無人島で、少年たちは救助を待つんだけど」
苦痛だ。頭の中も現実も、がりがりと音を立てて、自分の中のなにかを消費していく感覚に、どうしようもない苛立ちを感じる。
「叱る大人が居ないからね、統率がうまく取れないんだ。子供だから、目の前のことに夢中になって。子供だから、うざい大人の居る生活に戻りたくないと主張する者も出てくる。そう子供だから」
子供と言う部分を強調する刑事は、淀んだ視線を少年に向けた。
「生きるために、島に生息する豚を殺すんだけど、それがある意味、暴力に対する抵抗感を下げたんだろうね。ボディペイントをほどこして、集団でハイになる姿は文章だけでもぞっとする」
うっすらと笑う顔は冷たく迫るものがあった。
少年の背中に汗が垂れて、目前の刑事が話す小説の内容が、自分たちにあてこするものだとようやく理解する。
「さて、蠅の王の話はここまでにして……」
結末を言わずに、ひと呼吸を置く刑事に少年は逃げ出したくなった。
ネタバレをしなくても、血生臭い匂いが漂ってきて全身を撫で上げたような気がした。
この刑事は、いままでの黙秘で、または、そこそこの満足を引き出してやり過ごしていた刑事たちとは、明らかに毛色が違っていた。
もしかしたら、この男は自分が犯した本当の罪を知っているのかもしれない。
「――これはなんだと思う?」
刑事――琴浦は、少年にタブレットを見せた。
見せた瞬間に、少年の口から意味不明な呻きが漏れる。
音は落としているが、人間離れした奇声と悲鳴の不協和音が、不気味に取調室に響き渡った。
「うっ」
青い顔をして、口元を抑える少年に琴浦は笑顔のまま問いかける。
「この動画だけじゃ、証拠として弱いからね。DNA鑑定も限界があるし、残る手段と言えばなんだと思う?」
「…………」
少年は拒絶するように無言で首を横に振った。
タブレットに再生された自分たちの罪。
暴力と血肉に狂い、与えられた喜びが反転して強烈な憎悪に変換された。思考が溶けて、大勢の感情が一つに集約される一体感と万能感。
警察に拘束されて、世間一般の感覚が徐々にもどっていくほどに、自分たちのしたことが恐ろしくなっていく。
「じゃあ、告白してくれないかな。自分たちの罪を……」
死神が嘲笑う。容赦なく断頭の刃が下ろされた音を聞いた気がして、少年はただ怯えるしかなかった。
琴浦にとって佐伯は疑似餌だった。
シロアリに怯えてはいるが、巌の【ラッキーマーク】の検挙にかける意欲は本物であり、琴浦も確実に葬る算段を思案していた。
その中で飛び込んできた佐伯の痕跡。まるで、コンタクトを取りたいと言わんばかりのアピールを、琴浦は苦々しい気持ちで眺めていた。
警察にも察知されていることは、当然として、向こう側――【ラッキーマーク】にも、その背後にいる瀬名にも知ることだ。
下手に接触して、火傷をするのはごめんだった。が、これは大きなチャンスだとも琴浦は考える。
幸内百合は佐伯のアパートに、半分監禁されている生活を送っている。
防犯カメラと盗聴器を内に外に仕掛けられて、常に誰かが見張りに立っており、幸内が買い物に行くときは、監視についてまわるのだ。
非番の日だった。見張りを買収するのは簡単だった。休憩しようと喫茶店に入った幸内。佐伯との生活で疲れ切っていた彼女は、バックに携帯を入れたままトイレに向かった。
琴浦の行動は速かった。パスワード解析ソフトを入れたタブレットを取り出し、USBケーブルを携帯につないで、ファイル共有ソフトを彼女の携帯に流し込む。
このソフトはWinny《ウィニー》の亜種だった。数年前に世間を騒がせた、Winnyは開発者が逮捕された後も、ネットユーザーたちによって開発・改良が繰り返されて、消滅する気配はない。むしろ名をかえ、性能を変えて、様々なユーザーたちが無自覚に利用している。
オレも人のこと言えないけど。
これは明らかな犯罪行為だ。
バレたら巌まで責を問われる。だから、バレないようにするのだ。
佐伯の携帯と幸内の携帯は同じ機種であり、佐伯が携帯を使って彼女を盗聴していることは把握済み。
百合の携帯は=《イコール》佐伯の携帯でもあり、佐伯が警察に提出しようとしている、瀬名辰也の密会現場の画像データも確保が済んでいる。
幸内百合の携帯が機能していれば、佐伯のデータも含めて彼女の携帯を経由し、琴浦のタブレットに情報がコピーされて転送されてくる。
そこで手に入れたのが、佐伯の死が確定した動画だった。
少年たちの取り調べが始まったことで、ようやくお披露目する機会が回ってきた。
「じゃあ、告白してくれないかな。自分たちの罪を……」
今更、佐伯死亡が確定したことで、日本中に広がった佐伯の偶像が崩れることはない。しかし、琴浦の出世は確定される。
立ち回り次第だが、めぐってきたチャンスを手放すつもりはない。
巌の隣を歩くのは自分だけなのだから。
新たなシロアリが声を上げる。
警察組織の崩壊を招こうが、構わずに王様アリに奉仕する狂ったシロアリが。
琴浦は自白を促すように、少年に笑いかけた。
【了】
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