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読み切り【ショートショート】季節外れのお雛さま
会社員の私は、念願だったマイホームを手に入れ、一週間前に引っ越したばかりだ。今日はお義母さんの命日なので、仕事を夕方で切り上げ帰宅した。
和室の花が飾られた仏壇の前で正座をする。新築特有の木のほど良い香りが、線香に火をつけると芳香に変わった。合掌するとお義母さんとの思い出が、心の中を走馬灯のように駆け巡る。
すると、玄関扉をやや荒っぽく閉める音が響く。今年高校に上がった娘の真帆が帰宅してきたのだ。
「あっ、お父さん。帰って来てたんだ」
真帆は制服のブレザー姿で、リビングから私を横目で覗き、うっとうしがるような口調だった。ちょっと寂しい気分だ。膝に手を置き、正座のまま真帆に向き直る。お帰り、と軽く挨拶してから、ゆっくりと告げる。
「今日は真帆が小学生のとき亡くなった、ひいおばあちゃんの命日だよ。生きていれば、100歳近くだろうな。真帆もちゃんとお参りしなさい」
「分かってるって、学校帰りにコンビニで、ひいおばあちゃんが大好きだったサイダー買って来たじゃん」
そう言いながら小走りで和室に来て、ビニール袋に入ったペットボトルのサイダーを取り出す。黒い仏壇にお供えすると、仏壇全体が清らかで凜とした感じがした。私は真帆に座布団を譲っていた。
真帆が仏壇の前で正座をし、瞳を閉じて無言で手を合わせている。沈黙の中、線香の煙は、舞うように回遊する。
真帆のまぶたが開けば不思議そうな表情を浮かべていた。仏壇に飾ってある雛人形の折り紙を見つめる。
雛人形といっても、いびつな形の小さな二つの雛人形折り紙で作られたモノだ。真帆は雛人形を、ひょいっと指で摘み、素っ頓狂な声を出した。
「お父さん、なにコレ?」
「真帆、幼稚園のひな祭りで、折り紙で雛人形を作ったのを憶えてないか?」
「憶えているわけないじゃん。こんなのをどうして仏壇に飾るの?」
「幼稚園児だった真帆がな、雛人形を、ひいおばあちゃんにプレゼントしたいって言って、田舎のおばあちゃんの家に遊びに行った時渡したんだ。ひいおばあちゃんは、大切にしてくれて、毎年三月三日になると飾ってくれていたんだよ」
「マジ?」
真帆は、瞳に涙を溜めながら雛人形を元の位置に戻す。私は、見守るようなお義母さんの遺影に再び手を合わせた。
真帆が傍らに座る私にだけ聞こえるような、とても小さな声でつぶやく。
「わたし全然知らなかった……、ひいおばあちゃん、ひいおじいちゃん、ご先祖さまありがとうございます」
素直な真帆を久しぶりに見た気がする。私も、つられるように、仏壇に向かって大音声をあげた。
「おばあちゃん、お母さん、お父さん。ありがとうございましたっ!」
背後で畳を踏む音がする。振り向くと田舎の家を引き払い、同居することになったお義父さんが立っていた。
白いランニングにステテコ姿で、不愉快そうに私を見ている。
「盆栽の手入れのついでに、庭の水まきしておいたから。それと、僕はまだ生きてるんだけどね」
真帆は、スカートの裾を手で直しながら立ち上がった。
「おじいちゃん、ただいまー、ひいおばあちゃんが好きだったサイダー、私が買ってきたんだよ」
明るく言いながら、お義父さんの横をすり抜けて行く。お供え物のサイダーに気が付いたお義父さんの頬が綻ろび、皺の彫が深まる。
「お帰りなさい。真帆は昔から優しい子だから、天国のひいおばあちゃんも、きっと喜んでいるよ。ありがとうね」
お義父さんは、私と真帆の会話を知らないようだ。私は折り紙製の雛人形に、サイダーの水滴が付かないように、雛人形を少しずらしながら、説明しようとした。
私は元気なお義父さんにまで、うっかり、ありがとうと感謝の言葉を述べた。
理由は単純、真帆を基準に、ひいおばあちゃんと呼んでたからだ。
今日が命日なのは真帆にとっては、ひいおばあちゃん。私にとっては、おばあちゃん。思考がこんがらがってしまう。
うちの親戚筋やご先祖様には、長命な人も多い。100歳越えも珍しくない。
誰が誰だか、言い間違えることは、大目に見て欲しい。
「真帆を基準にして、お父さんと言ったんです」
「君は元気そのものだよ」
和室には、重い空気を打ち消すかのように、線香の煙が渦を巻いて漂い続けていた。(完)
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