エピローグ

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誰も鬼を見た事はないから笑う姿など見たことないと思うのも最もだが、実はそれだけではない。 鬼が笑うと、時が止まる。 だから、鬼は怖いの象徴として受け入れられる。鬼を見た事のある人、すなわち今現在私たちが想像する鬼を描いた人物は鬼が笑っていればその様子も世間に広めただろう。 何言っているんだ、と思った方々。貴方の近くにもいるかもしれませんよ。普通の人には人間として見えているけれど、鬼のその姿のままを稀に見れる人がいるのだ。私たちが見えていないのはたったの角だけだ。彼らは昔描かれた鬼の形相をしていない。昔の他の絵を見ればわかると思うが、なかなかに大袈裟なものが多い。 元々は天狗も鼻の高い人間だった。しかし、人間の間で天狗という妖怪が名を広め始めた頃、その様な妖怪は誕生した。これはたった百何十年前の話。 妖怪とは、私たちの想像から生まれた存在。私たちの間である程度有名になれば、その妖怪として、生命が誕生するわけだ。 …とにかく、鬼たちは私たちの世界で普通の「人」として暮らしている。私たちと寿命も違えば考え方や、実際の姿も違う。それでも、人間との共存を可能にしている。最近では、妖怪を見られる人間も少なくなり妖怪にとっては住みやすい世界になった。 これからのお話は、田舎から上京した「見える」女の子(20)と鬼のちょっと変わった日常。
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