第3話少年は思考する

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第3話少年は思考する

   戦争が終わったのはじいさんと別れてから数週間後だった。たった数週間。数週間だ。俺が生まれる前から行われていた争いは唐突に終わった。しかもどうやら俺たちの国は負けたらしい。 周囲の奴らと話すと皆不安に駆られていた。これからどうなるのか。目の前にいる敵が自分たちをどうするのか。そして……『英雄』として死ねない可能性が出てきたことで、自分たちの今後に怯えているのだ。 『英雄』……『英雄』か。じいさんの言葉を借りるなら、俺たちは死んだら『英雄』になるのではなく、単なる記号になるのだという。いまだにそれについてはイマイチ理解できないが、それをふと他の奴に話してみたら思いっきりぶん殴られた。そう考えることが不敬なのだそうだ。 なるほど、と俺は思った。じいさんが言っていたのはこの事かと。 『自分で考え、自分で決断しろ。それが自分の人生を生きるということだ』 目の前にいるやつは恐れているのだ。自分の心の支えがごっそりと奪われたことに。俺だって正直に言えばそいつと変わらない。今までは死ぬこと、殺すことの素晴らしさをただ盲目的に信じてきた。だがその根幹が揺るがされた。もう安易に死ねないし、むやみに敵兵を殺してはいけない。 『そんなら俺たちの存在意義ってなんだ?』 きっと目の前の奴も俺もそんな疑問にぶち当たったのだろう。他の奴にはなぜそんなに冷静でいられるのかと聞かれたこともある。そんなことはない。ただ俺は他の奴らより数週間だけ早く、考える機会があっただけだ。あのじいさんのおかげで。 「家族と会えることは嬉しくないのか?」 と聞いたこともある。そうすると皆一様に『恥ずかしい』と答えた。 「何が?」 と聞くと『生き恥を晒すことが』だそうだ。そんな反応を見て徐々にだけどじいさんの言っていたことが理解できてきた気がする。 『自分で考え、自分で決断しろ。それが自分の人生を生きるということだ』 その言葉を考えれば、確かに俺の心の中には『恥』という言葉がある。だけどそれよりも家族に生きて会うことができるという感情の方が大きい。きっとそれを他の奴に言えば、また『国の敵』だの、『不信人者』だのと文句を言われることだろう。考えれば今までの自分もそうだったのだから。少しでも考え方の違う人間を攻撃してきた。言葉でも暴力でも。だってそうだろう?それが楽だったのだから。 『考える』というのは意外に難しいことを初めて知った。それに比べて絶対的な支柱、あるいは他者に同調することはなんて安心感があるのだろうか。 自分は『考え』なくていい。ただ誰かに従っていればいいのだから。 自分は『考え』なくていい。誰かと意見を共有するのはどんなに心を満たしてくれるのだろうか。 自分が『考え』なければ、周囲は自分を肯定してくれるのだ。これほど嬉しいことはない。だから俺は、いや俺たちは盲目的に排他的だったのだろう。 自分の『考え』は皆の『考え』。皆の『考え』は自分の『考え』 そう信じて疑うことはなかった。だから驚いた。戦争が始まる前の世界を知っていて、それを正直に話してくれたじいさんに。俺の知っているその世代は頑なに口を閉ざしていたのだから。 昔は皆が自分の『考え』をぶつけ合っていた。それぞれが正しいと信じて。だがだからと言って、自分の『考え』は絶対的なものではなく、柔軟なものだったという。とにかくじいさんたちの世代は『全』というものから独立した『一』だったのだろう。あるいは反対もか。独立した『一』が集まって、『全』をなしていたのだろう。俺たちのように『一』のない『全』だけの人間ではなかったのだ。 ふと俺のじいさんとばあさん、親父とお袋の違いを思い出した。じいさんとばあさんは俺や兄貴たちの元に徴兵の知らせが来た時に大泣きしていた。親父は苦い顔をし、お袋は大喜びだった。兄貴たちは何も考えていなかったのかとにかく張り切っていた。敵兵を一人でも多く殺し、『英雄』になってくると言っていた。大した活躍もせず、初戦場ですぐに死んだらしいが。 今考えればじいさんとばあさんが大泣きしたのは、あの変わったじいさんのように『死』というものの恐怖を、悲しみを、喪失感を理解していたからだろう。俺にはその時なぜ泣いているのか理解できなかった。だってそうだろ?俺たちは『英雄』になれると信じていたんだから。 親父が苦い顔をしたのもきっとじいさんとばあさんにそう教育を受けてきたからだろう。却ってお袋が大喜びしたのはきっと『死』というものの英雄性を信じて疑っていなかったからなんだろう。
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