プロローグ

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プロローグ

 渦巻く螺旋のような蝉の鳴き声が、頭をかちわりそうなほど刺激する。 薬の副作用だと思われる頭痛に輪がかかるこの季節に腹立たしさを覚えるが、これが最後だと思えば我慢できなくもない。 母が悪阻のようだというこの絶え間ない吐き気、その刺激がいつか私の脳を覚醒させ、世界、人類、いや少なくとも母を救うことができるかもしれない。  悪阻と薬の副作用を比べるなんて不謹慎だと思う人もいるかもしれないが、母に悪気がないのは百も承知だ。本当にそう思ったから言っただけで、そんな脳天気な母が私は大好きだった。   この夏、待ちに待った余命宣告を受けた。私の命はあと一ヶ月程。死ぬ前にやらなければならないことがいくつもある。一番はもちろん過去に行くこと。昔は違ったみたいだけど、私の生きる世界では余命宣告(一日~三ヶ月)を受けると自分の行きたい過去へ行き、一週間そこに滞在できる権利を与えられる。   どの時代に戻るかは決めていた。大好きな作家樋口一葉が暮らす明治時代。と言いたいところだが、行ける過去は一ヶ所のみ。確かにそちらにも行きたいのだが、一葉さんに会うよりももっと重要な使命が私にはあった。   記憶にはほとんどないが、私が五歳のとき父親が肺癌で亡くなった。煙草も吸わないのに肺癌なんかで死ぬことがあるんだと今なら思うけど、当時の自分が何を思ったかは一切覚えていない。  父の母親も癌で亡くなっているらしい。遺伝性が高いと言われる膵臓癌だったが、父は肺癌だった。私は小児癌に分類されるだろうが、もともと癌が蝕んでいたのは膵臓でも肺でもない。癌のオンパレードな家系だなあと思うが、今までそう悲観的になったことはなかった、今までは。   もうすぐ中学三年生という若さでこの世を去る私は、私が五歳になるまで生き抜いてくれた中学三年生のころの父親に会いに行く。
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