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父にとっての好き
〈夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、ほたるの多く……〉
こちらに来たときすでに辺りは闇のヴェールがふんわりと下ろされているように薄暗かったが、その少年が父であると一目でわかった。
残念ながら超能力でも何でもない。こちらに来る前に過去の写真をたくさん見たおかげだと思われる。中学生の写真はあまりなかったけれど、中学校の卒業アルバムの隅から隅まで穴が開くほどに目を通した。小学校と高校の卒業アルバムにさえ何度も目を通した。
一目でわかりはしたけれど、父は私が思い描いていた父とは少し違った。思っていたより背は低くぽっちゃりしていて、世の中をなめきったようなどこか不貞腐れた眼差しをしていた。写真ではもう少し背は高いし細いし、楽しそうに笑う笑顔が印象的だったのに、何だかがっかりしたといえばそうかもしれない。たぶん、私はこのときの父より背は高いし細いしキュートな笑顔を持っていたから。
身長は高校生以降に伸びるかもしれない。しかし、父のこの濁った瞳と鋭い眼光が変わるのかは自信がなかった。 家に一週間居候させてもらう私は、基本的に彼の側にずっといた。トイレとお風呂以外は常に隣にいたと思うが、ほとんど動くことはなかった。土曜日の夜と日曜日の夜にコンビニに行ったのみ。
私がこの世界にやってきたのは土曜日の夕暮れ。中学三年生の総体後、バスケ部を引退した父は休みは何もすることがないようで、日曜日は受験生らしく勉強するか、パソコンの前に座って動画を見たりゲームをしたり、たまにオナニーをしたりした。
オナニーは土曜日の夜にもしていたのに、日曜日なんて朝と夜の二回もしている姿を見て、そういうものなのか?と度肝を抜かれたが、涼しい顔をしてティッシュを丸め、ぽいっとゴミ箱に投げ入れる姿があまりに滑らかでいつもそんな感じなのだとすぐに見てとれた。
しゃべる猫に見られてるってことを忘れてないかい、と思い話しかける。
「僕いるけど大丈夫?」
「何が?」
「してるとこ今日二回も見ちゃったけど」
「あー、確かに。忘れてた」
くくくくっと鼻で笑う父。
「猫だからあんま気にならなくてさ。お前も一人でしたりする?動画見る?」
「見ないよ。さすがに猫の姿でしたことはないし、やり方もわからない」
「ああ、そっか……そもそもお前って何歳くらいなの?もしかして年下?」
「いや、同じくらいだと思う」
「中学三年生?」
「僕の住む星には中学っていうカテゴリーはないけど、まあそんな感じかな」
「ふーん。でもオナニーはあるんだな」
くくくく、と声を押し殺すように父はまた笑った。
こんなに質問されるのは初めてだったので、ようやく私に興味が湧いたのかと思ったが、それ以降その日に話しかけてくることはなかった。
夜遅く、父の父親が帰ってきた物音がした。土曜日の夜は帰ってこなかったので、泊まりで仕事か、どこかへ出かけていたのか。父から父の父親の話はまだ聞いたことがない。部屋には嗅ぎなれない鼻をつく湿った臭いがいつまでも漂っていた。
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