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薄紅色の花びらの下で
「今から、100枚、花びらが散ったら、君に言いたいことがあるんだ」
制服を脱いだ君に、横に並んだ僕が、そう告げた日のこと。
風の穏やかだったその日は、朝からお弁当を作って、僕は約束の場所を目指した。
花見の時期も相まって、街に近い場所では、多くの人たちがお花見をしていて、僕はそんな人混みを避けるかのように上流に向かって歩きだす。
「お弁当を持ってきたって言ったら、笑うかな」
そう言って、君が待つ丘の上を見ながら呟けば、薄紅色の花びらがひらりと目の前を通り過ぎる。
『笑わないよ』
「そう?」
花びらが、そう言った気がして、クスクスと笑いながら一人呟く。
去年の秋
毎日がつまらなくて、やりたい事も、やるべき事も見つからなくて。
ただぶらぶらと目的もなく歩いていたあの日。
ふらりと立ち寄ったこの公園で、花びらも葉もないけれど、この木は、大きな存在感を示していて。
何となく。
何となく誰かに呼ばれたような気がして、その大きな木に近寄った。
「あの時は、まさか年下だとは思っていなかったけど」
「そうかな」
「そうだよ、ってうわ?!」
「うわ、とは失礼だな」
僕の思わずでた大きな声に、目の前の君の頬がぷくー、と膨らむ。
「居るなら居るって言ってってば!」
「言ってしまったら面白くないだろう」
何を言っているんだキミは。
言葉には出さずとも、思い切りそんな表情を浮かべて、君が僕を見る。
「面白く、って……相変わらずだね、君は」
「人はそう簡単には変わらないものさ」
ふふふ。
愉快そうに笑いながら、君が風に流されてきた薄紅色の花びらを掴もうと、空を見上げて、手を伸ばす。
「掴める気がする」
そう言った君につられて、同じように空を見上げれば、視界にいっぱいに映る淡い紅色と、そこにちらちらと入り込む、色の薄い肌の色。
あ、惜しい!掠った。逃げた。
そんな事を言いながら、とらえられないよう逃げ回る花びらと君が奮闘すること、数分間。
はた、と突然、君が伸ばした手をだらりとおろし、上だけを見つめる。
少しだけ薄い黒髪と、真っ白な陶器みたいに色の薄い頬。
僕が、少し力を入れれば、壊れてしまいそうで。
儚くて、美しい。
満開の花びらを見上げる君を、そんなありきたりな表現しか出来ない僕が、じっ、と静かに見つめる。
「ねえ、それは…お弁当かい?」
ひらり、ひらり。
視界を遮るように、落ちてきた薄紅色の花びらの向こう側で、君が言う。
「ああ、そうだよ」
おにぎりに、卵焼き。
ウインナーはたこの形。
君と食べたくて、張り切って作ってきた。
そう言ったら、君は笑うだろうか。
「笑わない。さっきもそう言っただろう?」
「確かに、って、うん?」
聞こえていたのだろうか。
不思議に思い首を傾げた僕に、君はふふふ、と楽しげに笑う。
「ねえ」
「うん?」
「それを食べたら、ボクもそっちに行けるかい?」
「え……それは、」
どういう意味なのか。
何の前触れもなく、唐突なキミの言葉に、一度止まった思考回路が、猛烈な勢いで回りだす。
「ああ、うん。ダメだ。ダメ」
「駄目? 何がだい?」
「これは、君は食べたらダメだ」
バッ、と手にぶら下げていたお弁当の包みを、胸元へと引き寄せる。
「どうしても?」
「どう、しても」
淋しそうな、悲しそうな。
そんな表情を浮かべる君に、ズキリと胸の奥が痛む。
けれど、君は、君だけは、食べてはいけない。食べさせてはいけない。
僕の中の何かが、全力でそう訴えた。
ひらり、ふわり。
ほんの少し、ごわついた僕たちの間を、薄紅色の花びらが舞う。
「ねえ」
「なんだい?」
「今から、100枚、花びらが散ったら、君に言いたいことがあるんだ」
にこり、と静かに笑ったあと、花びらの主でもあるこの大きな木に近づいた僕の手を、君はぎゆ、と握る。
まるで、君のその仕草を合図にしたかのように、丘の上に、ぶわっ、とたくさんの花びらが、風に舞い踊る。
「ねえ」
「なんだい?」
「君が好きだよ」
はらはら、ひらひら。
何枚目だったかなんて、数えてはいない。
けれど、前も見えないくらいに舞い踊る花びらの向こうで、君が小さく息をのんだのが分かる。
「まっ、勝手すぎるだろう!」
「うん、ごめんね」
焦ったように言う君に、僕はへらり、と笑いながら答える。
「あああ、もう! 花びら邪魔!」
珍しい。
いや、むしろ感情を露わにする君を見たのは初めてかも知れない。
そんな事をぼんやりと考えていると、ふいに舞い散っていた花びらがピタリと散るのを止める。
「待ってるからな!」
「へ……?」
ぎゆうう、と握られる手の感覚は、もう無い。
けれど、必死に、一秒でも長く。
君のそんな想いが、触れている肌から伝わってくる。
「さよならじゃない、またね、だ!」
「……でも、君は」
「自分だけ、勝手に伝えて勝手に消えるんだから、ボクが待っていようと待っていまいと、ボクの勝手だろう!」
消える。
君のその言葉とおり、君に想いを告げた瞬間から、僕の身体は、少しずつ、透けている。
なんとなく、分かっていた。
それでも、言葉にしないと。
その衝動に駆られたのはきっと。
「ああ、やっぱり、君が好きだなぁ」
ボロボロと流れる君の涙は、やはり綺麗だ。
初めて君がここに来たときも、君は泣いていたっけ。
ゆっくりとこっちに近づいてくる小さな人影。
俯いていた人影は、小さな蕾をつけはじめた枝には気がつかない。
木に触れて、ポロポロと流れる涙は、梅雨時の、葉から溢れる雨粒みたいだけれど、何故かお腹のあたりがズキズキするような。
そんな事を考えていた僕に、「キミは……」と声をかけてきたのは、いつの間にか涙を引っ込めていた小さな人影だった。
「ねえ」
「……なに?」
互いの名も知らぬ僕たちの間を、また1つ、ひらりひらりと花びらが舞う。
「ボクもいくなんて、まだ言えない」
「まだ来なくていいよ」
「代わりに別のやつ連れてくなんて言うなよ」
「ふふ、それを言うなら、僕じゃない人に連れて来られないでね」
「分かりにくい冗談だな」
「幽霊的ブラックジョークって言ってよ」
「生身の人間からすれば冗談に聞こえないし」
どちらからともなく、オデコをくっつけたせいで、君のほんの少し困った顔がすぐ目の前にきていて、少し可笑しくて小さく吹き出す。
「やっと笑った」
「へ……?」
きょとん、とした僕を見て、君が少し安心したように笑う。
「ボクはキミに、笑っていて欲しい」
「……」
「待ってるから、早めに来いよ」
「いけるかどうかも分からないよ?」
「それでも待ってるさ」
ふわり、と笑った君の顔は、今まで見てきたものとは比べものにならないくらい綺麗で、力強くて、泣きそうで。
ほんの少し顔をずらした僕に、君は静かに瞼をとじる。
「また、な」
初めて触れたはずの君の唇は、なんだか懐かしくて、甘い香りがした。
それから、何年かして。
歳を重ねて大人になった君と、
あの日の君と同じ歳になった僕が
この桜の木の下で、
もう一度出会うのは、
また別のお話。
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