共存できない気持ち

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 結局その日は、仕事に関する味気ないやり取りに終始し、アオイと笑い合うのはおろか目が合うこともなくバイトは終わった。  いつも通り「お疲れ様でした。お先に失礼します」の挨拶ですませてもよかったが、こちらまでそんなことをしたら取り返しのつかないほどアオイとの距離ができてしまいそうでこわい。なので、マサは一言付け足すことにした。 「お先に失礼します。遅くまで大変でしょうけど、無理しないで下さいね。お疲れ様でした」  そこでようやくアオイは顔を上げマサの顔を見た。……が、アオイが視線を上げる頃にはそこにマサの姿はなく、彼が店の外に出る音だけが残った。 「マサ……」  アオイの胸に、罪悪感と同じくらいの熱が込み上げていた。人に惹かれた時特有の熱が。 「もう、優しくしないで」  アオイ一人の店内に、その囁きは淡くにじみ溶け込んだ。心の中に、マサの優しい言動と、それに重なるように(ひとし)の顔が浮かんだ。  最近の仁はやけに明るく機嫌がいい。元々穏やかな人柄ではあったが、結婚後は慣れない仕事に疲れた様子を見せることも多かったので、ようやく笑える余裕が出た仁を見てアオイは安堵した。  その安堵は永遠のもの。そう思ってしまうような出来事が起きた。仁の方からスキンシップをはかってきたのだ。ここ最近手さえつないでもらえなかったのが嘘かのように彼の方から強い抱擁(ほうよう)をしてくる。  久しぶりに感じた旦那の体温。仁の変化にかすかな違和感を覚えたものの、そんな旦那の対応を見ていたら、やはりこの結婚生活を壊すような真似はできないと思い直した。
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