桜色の唇に。触れたいのに唇に。

10/12
前へ
/6ページ
次へ
「……なし。亀梨」  薄目を開けると、触れそうなほど近くに、岡田さんの桜色の唇があった。周りに居た同僚たちは、いつの間にか消えていて。  俺は何だかフワフワした心地で、下から岡田さんのうなじにしっかり手を回し、強く引き寄せた。 「わ」  バランスを崩して、岡田さんが降ってくる。ついに唇が触れ合って、眼鏡の金具が細やかな金属音を立てた。 「いたっ……!」  だけど甘い雰囲気にはならず、岡田さんが小さく悲鳴を上げる。しまった。彼女居ない歴三年の俺は、キスする時に眼鏡を外すことさえ忘れてた。  岡田さんの秀でた額は、切れて真っ赤な血を滲ませている。 「あ。すみません!」  俺はガバッと起き上がって、岡田さんの両手首を掴み、その傷をペロペロと舐める。岡田さんの味がして、何だか夢中になってしまった。 「ちょ、やめ……っ」  俺の下で、岡田さんがもがく。  駄目です。やめられない。血が出てるじゃないですか。 「この……ッ馬鹿! お前は犬か!!」 「ゴフッ」  見かけによらず重い右ストレートが頬に決まって、初めて俺は我に返った。 「あれ。おか……ださん?」  辺りは薄闇に包まれ、頭上の桜ばかりがライトアップに眩しく揺れている。  夢? いや。  あの岡田さんが顔を赤くして、俺を睨み付けている。その額には、ピンク色の傷口が。表情とも相まって、何処かエロティックだなんて思ってしまう。 「いい加減、帰るぞ」  岡田さんが立ち上がる。 「あれ。今、俺」 「彼女の夢でも見たか? 勘弁してくれ」  冗談めかそうとして、岡田さんは失敗していた。怒ったような、傷付いたような口調に、俺も立ち上がって告白する。 「彼女なんて、居ません。岡田さんだって分かってて、キスしたんです。俺……岡田さんのこと」 「ストップ!」  珍しく、岡田さんが大きな声を出した。 「帰るぞ」  つれない態度を取る癖に、その顔色は真っ赤で。唇だけが変わらず、桜色だった。 「帰りたくない、です」  俺は後ろから岡田さんを抱き締める。 「何だその、オトコを落とす時のOLみたいな台詞は……」
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

32人が本棚に入れています
本棚に追加