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「……なし。亀梨」
薄目を開けると、触れそうなほど近くに、岡田さんの桜色の唇があった。周りに居た同僚たちは、いつの間にか消えていて。
俺は何だかフワフワした心地で、下から岡田さんのうなじにしっかり手を回し、強く引き寄せた。
「わ」
バランスを崩して、岡田さんが降ってくる。ついに唇が触れ合って、眼鏡の金具が細やかな金属音を立てた。
「いたっ……!」
だけど甘い雰囲気にはならず、岡田さんが小さく悲鳴を上げる。しまった。彼女居ない歴三年の俺は、キスする時に眼鏡を外すことさえ忘れてた。
岡田さんの秀でた額は、切れて真っ赤な血を滲ませている。
「あ。すみません!」
俺はガバッと起き上がって、岡田さんの両手首を掴み、その傷をペロペロと舐める。岡田さんの味がして、何だか夢中になってしまった。
「ちょ、やめ……っ」
俺の下で、岡田さんがもがく。
駄目です。やめられない。血が出てるじゃないですか。
「この……ッ馬鹿! お前は犬か!!」
「ゴフッ」
見かけによらず重い右ストレートが頬に決まって、初めて俺は我に返った。
「あれ。おか……ださん?」
辺りは薄闇に包まれ、頭上の桜ばかりがライトアップに眩しく揺れている。
夢? いや。
あの岡田さんが顔を赤くして、俺を睨み付けている。その額には、ピンク色の傷口が。表情とも相まって、何処かエロティックだなんて思ってしまう。
「いい加減、帰るぞ」
岡田さんが立ち上がる。
「あれ。今、俺」
「彼女の夢でも見たか? 勘弁してくれ」
冗談めかそうとして、岡田さんは失敗していた。怒ったような、傷付いたような口調に、俺も立ち上がって告白する。
「彼女なんて、居ません。岡田さんだって分かってて、キスしたんです。俺……岡田さんのこと」
「ストップ!」
珍しく、岡田さんが大きな声を出した。
「帰るぞ」
つれない態度を取る癖に、その顔色は真っ赤で。唇だけが変わらず、桜色だった。
「帰りたくない、です」
俺は後ろから岡田さんを抱き締める。
「何だその、オトコを落とす時のOLみたいな台詞は……」
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