エピローグ

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エピローグ

 桜もすっかり散って、新緑の季節がやって来た。  おばあさんの暮らすS市にある、最寄りの駅名が変わって、もう二年になる。今でも、古い駅名で名前を呼ぶ人もいるが、大方の人は新しい名前で馴染んでしまった。  巷では、元号が「平成」から「令和」に変わる話題で持ち切りとなっている。  生きていると、変わっていくものと、変わらないものを両方経験する。  おばあさんの孫娘は、ついこの前まで小さかったのに、今は大人になって、夏には結婚を控えている。こどものときとはまるで変わってしまった。  でも、孫娘がおばあさんのことを「おばあちゃん」と呼ぶときのそのひとみは、孫娘が赤ちゃんだったときのそれとなんら変わっていない。  数年前、森で体験したあの出来事のことを、おばあさんは、まだだれにも話せていなかった。買い物に出かけてから二日間、おばあさんは行方知らずになっていたらしい。 「お母さん、一体どこに行っていたの!?」 「いやいやいや……。ねえ」  心配で疲れ果てた顔をして、厳しく問いつめる娘のことを、おばあさんは適当にごまかして抱きしめることしかできなかった。  娘が、あんなに自分のことを心配してくれたのは、あのときがはじめてだったからだ。  娘のむこは、ただ間のぬけた顔をして「うん、うん」ともっともらしくうなずいている。おばあさんは、分かったような顔をしてハンカチを目にあてている、その娘の夫の顔をハリセンで思わずはたきたい衝動にかられたが、大事な娘と孫にめんじてゆるしてあげることにした。知ったかぶりの多い男だが、これでもいいところもある。なにより、娘親子にとっては大切な家族なのだ。  おばあさんは、あのとき以来、くつ屋のふたりのことが、ずっと心のかたすみに残っていた。  血のつながっているわけでもない、あかの他人なのに。それも、夢を見ていたような不思議な体験で出会った、本当にいるのかも分からないふたりのことを。  心理学の世界では、森とか海は、人間の無意識の心の動きなど、深層心理を表すときに、心の奥深くのたとえとして使われることを、おばあさんは大学で勉強しているときに知った。 「あの森は、心を見失った人だけが行くことができる森だったのかしら。いや、それとも……」  そんなことばかり考えているおばあさんは、あるとき、生まれて初めて、海外旅行に行くことになった。本当は行けるはずのないツアーだったが、大金を貸してくれる人が現れて、急に行けることになったのだ。  その国は、おばあさんにとって、死ぬまでに一度は訪れてみたい国だった。はじめて訪れた国なのに、なんだかなつかしく、おばあさんには感じられた。その国の通貨も、どこかで見おぼえがあると思った。  旅行の途中、おばあさんは、くつ屋に立ち寄ることになった。ツアーの予定には組み込まれていなかったものの、ガイドの先生がお気に入りのくつを買いたいから、ということで、なぜか参加者も同行することになったのだ。  ガイドの先生によると、そのくつ屋の主人は、日本語がペラペラだから、通訳の必要がないという。  そのくつ屋のくつは、どれもセンスがよく、はきやすく使いやすいと評判の店だった。おばあさんも、気に入ったくつが見つかったので、そのくつを買うことにした。  レジを担当している青年の顔に、おばあさんは見おぼえがあった。でも、だれなのかは思い出せない。  店には、レジがふたつあったが、どちらも客が列を作っている。もうひとつのほうのレジにいる店主らしき人が、青年の名前を呼んだ。レジの台には、白髪のおじいさんの写真がかざられている。  その声をきいて、おばあさんは、はっきり思い出した。そのおじさんも、おどろいた顔をしたあと、笑いながらいった。 「森のくつ屋のお客さんは、けっきょくあなたひとりでしたよ」  そして、あわててもうひとこと付け加えた。 「お店を訪れたのは、あなた以外にも、いましたが……」
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