只今の表紙『笹屋伊織のどら焼』

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只今の表紙『笹屋伊織のどら焼』

7ce365f6-3e33-4ee6-be62-d01ad8597e7c       ↑ 笹屋伊織の代表銘菓『どら焼』……の商品型立看板(笑)  『どらやき』と言えば、国民的アイドル・ド◯え◯んの大好物。しかし!  えッ! 『どら焼』!? Σ(゚Д゚;) ナニコレッ!?  と、驚かれた方が多いのではないでしょうか。  こちらは京都・大宮七条西(いる)にあります京菓子の老舗、笹屋伊織の『どら焼』です。  時は、江戸時代中期。  伊勢の和菓子職人であった初代(笹屋伊兵衛)が御所の御用を仰せつかって、京の都に暖簾を掲げたのが笹屋伊織の始まりです。  それは丁度、徳川吉宗が八代目征夷大将軍に就任した年でした。  そして時代が下ること、江戸時代末期。  五代目(笹屋伊兵衛←当主はお(たな)と一緒に、名前も引き継ぎます)が東寺(京都・九条)より副食の依頼を受けました。「殺生」を禁じられた仏教の教えに沿って卵を使用せずに作り出されたのが、この『どら焼』です。  いえ、写真は『商品型立看板』ですから、原寸大ではありませんよ! お間違えなく!  東寺の副食として作られたお菓子ですから、勿論、一般に流通していませんでした。しかし美味しい物は噂になるもの。東寺にだけ納めていた筈の『どら焼』が、どういう訳か、京の都で評判となっていったのです。きっと口にした誰か……それは当時の笹屋伊織の菓子職人か、それとも寺男か。が、うっかりか自慢か。とにかく口を滑らせたのでしょうね。 「笹屋伊織が東寺にだけ納めているお菓子は、大変美味しい」と。  そして「弘法さん」と呼ばれる、弘法大師の月命日の21日。この一日のみ、一般販売する事になりました。現在は、毎月20・21・22日の三日間のみ販売しています(写真は『葵祭』での特別販売です)。  さて、ここまで読まれて、『どら焼』が東寺に納められていたお菓子であるのは解ったよ。じゃあ、何で『どら焼』って名前なのよ。ソコが!ι(`ロ´)ノ゛ソ、コ、がッ! 知りたいのよ! と、思っていますよね。  笹屋伊織には「鉄板の代わりに、お寺の銅鑼(どら)の上で焼いた」、これが『どら焼』と名付けられた理由であると伝えられています。  お寺の、銅鑼(どら)の、上で、焼く!? Σ(Д゚;/)/  この「銅鑼(どら)の上で焼いた」ですが、一体、何を銅鑼(どら)の上で焼いたのか──それは、僧侶が寺院でも作ることができるよう、鉄板の代わりに銅鑼(どら)の上で薄生地を焼いた、という意味なんだそうです。  これは推測の域ですが、『どら焼』は副食。切った『どら焼』を……ええ、(さお)菓子ですから、羊羹(ようかん)の様に切って食べるのです。それを、銅鑼(どら)の上で温めて召し上がっていたのかもしれませんね。やはり食するものは、冷たいよりも温かい方がよいもの。僧侶が温めた石を懐に入れて空腹を紛らわせるのは、()(かな)っているのです。  写真の右側にちらっと見えておりますが、更に『どら焼』の切り口も……。  この後は、笹屋伊織の公式HPでご確認ください! 『京菓子 笹屋伊織』https://www.sasayaiori.com
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