■4 聖真女学院

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 ときどき『中尉』がなつかしく思える。彼なら本当に達哉のこめかみに銃口をつけて言っただろう。警察をなめていると痛い目にあうぞ。  東岡は達哉と年齢も近く、中尉とは性格もまったく違うから、きっと殴ることはないだろう。嫌というほど罵られることもないし、椅子を投げつけることもない。中尉は考えてみると酷い警官だった。達哉はそれでも空港で中尉がにやりと笑ったとき、確かに嬉しかった。捕まえられることがわかっていながら逃げたのも、殴られることがわかっていながら抵抗を試みたのも、彼が好きだったからだ。  中尉は俺のせいで左遷されたんだ。達哉はそれを確信していた。  現場復帰なら彼ならVIP警備やカウンターテロの指揮官なんかもできたはずで、空港警備もそりゃ大事だろうが、給料がそれほど増えたとは思えない。俺が去年、黒崎副総監経由の仕事を断ったから。  その時に言われたのだ。そういうことをすると、小川を左遷するぞと。達哉はそのとき、何度目かのスーダムからの帰国後で、足の骨を骨折していて、しかも感染症で倒れていた。電話に出られたのも偶然で、今は動けないと言ったら、それは反抗だと副総監は言った。熱があるから飛行機に乗せてもらえない、とも言ったのだが、聞き入れられなかった。  達哉は煙草を灰皿に押し付けた。そしてぐちゃぐちゃの頭の中をさらにかき回すように、髪の毛をかきむしった。洗面台に行き、顔を洗う。鏡で自分の顔を見てため息をつく。俺の顔ってこんなだったか?  鏡の中の顔が歪み、血が流れる。達哉は首を振り、目を閉じ、そして開いた。  2000年8月、解放神学の神父が教会の裏で焼死体で発見される。聖書と一緒に焼かれている。手には杭が打ち付けられ、まるで殉教したように。解剖の結果、生きながら焼かれていたこともわかる。彼はあまりにも異端の神父だったので『エル・ニーニョ』に罰せられたらしい。  達哉はその映像を思い出し、膝を折った。あの神父とは話をしたことがあった。神父にしてはラフな人で、達哉が大量殺人を繰り返していることを知っても責めなかった。懺悔しろとも言わなかった。ただ「神は神の子を許す」と言った。達哉はそのとき、神父を撃ち殺したくなったが、マリア像の前だったからやめておいた。神父は笑って、そういう君が好きだと言った。  達哉は立ち上がり、もう一度鏡を見た。グレイの瞳が自分を見る。関わった者を全員死に追いやる死神がそこにいる。達哉は洗面所を出て、クローゼットに入っていた新しいシャツを出した。東岡が手配してくれていたものだ。それに着替え、テレビボードの前のミネラルウォーターを取って一口飲む。  そしてホテルを出た。
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