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達哉は眉をわずかに寄せた。「なんだそりゃ」
彼が怒るのも無理はない、とソマーズは思った。が、彼には怒る権利がないことも事実だ。
「言った通りだ」マコーリーは達哉を見た。「『エル・ニーニョ』の影を君に返却する」
「要らなくなったから?」達哉はファイルの上に目を走らせながら言った。
「その通り。要らなくなった」
達哉は苦笑いした。そんなにハッキリ言われると笑うしかない。
「俺も要らないんだけど」
「そういうわけにいかない。元々は君のものだ。ゴミ箱に捨てたいなら、君自身がすればいい」
達哉は黙って息をついた。勝手だ。でも、勝手なのは彼らの専売特許だ。彼らから勝手さを奪い取ったら、きっと何も残らない。
達哉は良識のかけらをまだ持ち合わせていそうなソマーズを見た。ソマーズは一瞬目を合わせたが、すぐに目をそらした。そして目を伏せる。コミュニケーション拒否らしい。達哉は諦めてマコーリーを見る。
「影がやったことを覚える必要があるのかよ」
「必要があるから言ってるんだ。コロンビアでのソンブラ作戦では、時には姿を現す必要があることがあった。文字通りシルエットだけだが、そのせいで『エル・ニーニョ』が実在していると信じている者も少なくない。作戦実行時には君には必ず『休暇』を取ってもらっていた。君の不在に、コロンビアで『エル・ニーニョ』の影が活躍する。そういう構図でやってきた。影を元に戻すなら、影の記憶も君に引き取ってもらう必要がある」
「影は盗まれたんだと思ってたよ」
「いや、君に借りただけだ。貸した謝礼に新しい名前をもらったんだろう?」
「新しい名前も、勝手に押し付けられたと思ってたよ」
「いや、それは謝礼だ。君が受け取るべきものだ」
「なんでコロンビアでの影のやってきたことを、俺が知らなくちゃいけないんだよ。それがわかんねぇ」
達哉は苛立ちを隠さずに言った。頑固な一枚岩みたいなマコーリーと、分厚い鉄の扉みたいな兵士と、高い木の上から眺めているだけの禿鷹みたいなソマーズとを交互に見る。
達哉は、彼がまだ昔の名前だった頃、コロンビアのゲリラ兵だった。父がコロンビア人、母が日本人で、コロンビアで育ったが、小さいうちに両親を失った。ストリートチルドレンになるか、ゲリラ兵になるか、死ぬか、という選択肢が残っており、達哉はゲリラ兵になって生きるチャンスを取った。
で、ちょっとばかり射撃のセンスが良かったので、『エル・ニーニョ』=『神の子』なんて呼ばれてしまったのだ。元々、そのニックネームが気に入っていたわけではなかった。
それを捨てようとしていたら、彼らマコーリーたちが声をかけてきた。捨てるなら、使わせてもらおうと。コロンビアで『エル・ニーニョ』といえば、けっこう名が通っていたし、何かと政治工作に使えたからだ。河瀬達哉という名前になったのもその時で、影が一人歩きし始めたのもその時からだ。
「影を手に入れたいんだろう?」マコーリーは淡々と言う。
「手に入れたいわけじゃない。勝手に使われたんだ」
「借りたんだよ。返すと言っているんだ。そのためには、影のやってきたことが気になるだろう? 何か悪さをしてないかとか、物を壊してないかとかな」
「悪さばっかりしてきたのは、想像できるよ。俺の影だからな」
達哉は自棄気味に言った。
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