■2 会議室

4/5
前へ
/109ページ
次へ
*  1995年4月25日、サンタフェデボゴタの郊外の住宅で、極左組織が襲撃を受ける。夜中に襲撃を受けたためか、ほとんど抵抗はなく五人が死亡。反撃した一名はライフルを持ったまま一発も撃てずに蜂の巣になった。その他は寝ていたところを丁寧に9ミリ弾を二発ずつ脳みそに撃ち込まれて。真っ白いシーツに赤黒い脳みそが散らばる写真が添付されていた。  同年8月、麻薬カルテルの一派が狙撃される。運悪く居合わせた一般人も一名死亡。スケートボードに興じていた中学生だった。死亡者は合計で四名。カルテルのメンバーと一緒にいた、十代の若い恋人も死亡している。大きな目が見開かれた死体写真のおまけつき。  同じく12月、汚職警察署長が車に乗っていて爆死する。特典に爆破映像がついていた。飛び散った体のパーツ。骨らしき白いものが赤黒い水たまりに転がっている。BGMは悲鳴と泣き声だ。  それが十年分、二十八件。達哉は一件につき約一時間の説明を受けさせられ、つまりは合計二十八時間の解説を受けた。もちろん解説者は数時間の交代制で、達哉にも交代ごとに数十分の休憩が入れられたが、三人目の解説者が来たときにはめまいがした。  初日の十時間の授業の後、達哉は水を飲んで意識を失った。それほど疲れていたわけではなかったから、おそらく睡眠薬でも盛られたんだろうと思った。  二日目は残りの十八時間の授業が行われ、最後はやっぱり意識もうろうとして寝た。  起きると、頭が重く、体も重かった。思考能力が減退しているのがわかった。 「食えるか?」  ソマーズがトレイに乗ったサンドウィッチを持ってきた。紙コップの中には熱いコーヒーが注がれていて、香ばしい香りが漂った。  達哉の顔には、新しい傷がいくつかあった。最初に『説明』の席につかせる前に、ちょっとばかり暴れたからだ。スタンガンも使ったし、拳も使った。椅子に座らせてからも話を聞こうとしなかったため、再び腕力を使わざるを得ず、それでも従わなかったので薬さえ使った。達哉は鎮静剤と局部麻酔でぐったりして授業を受けさせられたのだ。  三日目の朝の達哉は初日や二日目よりも従順だった。というよりは、何にも反応を弱めているとも言える。ソマーズの声も聞こえているのかわからなかったので、もう一度大きめの声で「食えるか?」と繰り返すと、机の上に突っ伏していた達哉は迷惑そうにソマーズに向かってまぶたをあげた。
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加