第6話

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第6話

「本日は夕食会が行われますので、朱月様は俺達と別室で食事をして頂きます」  その日の午後五時になって、部屋にやって来た夕凪がそう言った。 「夕食会っていうか、普通の飲み会だろ……」 「一応は夏祭りや選挙についての話し合いもされるそうです。梅吉様のご要望で斗箴様も是非参加をと」  それじゃあ本当に仲間外れなのは俺だけか。嫌な感じだけど、夕凪と一緒に食事ができるなら大歓迎だ。久し振りに会話をしながら食事ができると思うと、それだけで心が弾む。 「厨房の隣に俺達の食堂があります。嵐雪と、斗箴様の世話役である春雷もいますが」 「ら、嵐雪……?」  昼間の件もあって、彼と顔を合わせるのが気まずい。だけど当然夕凪はそんな俺の心中を知らずに、「準備ができましたらお越し下さい」と残して先に部屋を出て行った。気付けば俺は下着を穿いていないままだった。慌てて散らばった服をかき集め、溜息をつく。  一階に下りて親父の部屋の前を通りがかった時、襖の向こうから話し声が聞こえてきた。 「……次期頭首としての自覚が足りないのではないか、夜霧」  親父の声だ。夜霧もいる。思わず俺はその場で立ち止まり、息を潜めて聞き耳を立てた。 「だからこうして謝っています。自覚が足りないなど、親父の思い過ごしです」  夜霧の声はほんの少し苛立っているような感じがした。一体何を話しているんだろう。 「聞けば、会合を抜け出した時に朱月の部屋へ行ったそうだな。何のためだ」  突然そこへ俺の名前が出てきて、心臓がビクリと跳ね上がった。夜霧は何と答えるのか。まさか馬鹿正直にさっきのことを言うはずは── 「来客のもてなしの件で、礼を兼ねて可愛がってやろうと思いました」 「………」  夜霧……一体何を言ってるんだ。俺も親父も、程度は違えど恐らく同じ気持ちになったと思う。 「お前は昔からそうだった。一つの物事に興味を覚えると途端に他が疎かになる。好奇心が旺盛なのは良いことだが、夜霧。……矢代家頭首交代で周りが一丸となっている時に、当のお前は朱月と戯れていただと。何を考えているのだ、馬鹿者がっ!」 「っ……!」  初めて聞いた親父の怒声。その凄まじい剣幕に俺の身体は竦み上がり、襖越しだというのに思わずきつく目を閉じてしまった。 「朱月の教育を任せたのは親父だろう。やり方に口出しはしないと言っていたはずですが」 「お前は朱月の教育係である前に、矢代家の五代目頭首だろう! 立場をわきまえろ! それくらいのことが分からなくてどうする!」 「………」  何だか俺も一緒に怒られているみたいで気が気じゃなくなってきた。流石に夜霧も黙り込んでいる。どうかこれ以上、親父を激昂させるようなことは言わないでほしい。 「聞け、夜霧。俺は今までお前の勝手な振る舞いには多少目を瞑ってきたつもりだ。だが今後もその自己中心的な態度を改めないと言うのなら、俺が死んだ後も頭首の座は譲らん。お前は永遠に次期頭首のままだ。それがどんなに不名誉なことか分かるか」 「……分かっている」  ひどく弱々しい夜霧の声に、俺の方が申し訳ない気持ちになってしまう。夜霧が会合を抜けて俺の部屋へ来たのは、元はと言えば俺のせいなんだ。  初めから俺が、何もかも手際よくこなしていれば……。 「分かったらもう下がれ。念のために言っておくが、お前に次は無いぞ。肝に銘じておけ!」  夜霧が立ち上がる気配がして、俺は慌てて廊下の角に身を隠した。  開いた襖から出て来た夜霧は苦虫を食い潰したような顔をしている。何度も額を擦るその仕草で、相当汗をかいているのが分かった。何か声をかけるべきか。一言謝った方がいいのか。迷っているうちに、夜霧は広間の方へ行ってしまった。 「………」  重い気持ちで食堂の扉を開けると、 「朱月様、初めまして。お待ちしてました!」  斗箴の世話役と言われていた春雷がにこやかに俺を迎え入れてくれた。短く尖らせた金髪が特徴的な春雷は、同じ黒服を着ていても夕凪や嵐雪と比べると幾らか若く見える。 「初めまして。春雷、今朝は斗箴の送り迎えの仕事取っちゃってごめん」 「いえいえ、俺、朝弱いんで……むしろありがとうございました」  ニッと笑った春雷が、金髪をかき毟りながら軽く頭を下げる。 「ああ、朱月様。もういらしてたんですね、どうぞこちらへ」  遅れて部屋に入って来た嵐雪が、俺のために椅子を引いてくれた。昼間のことなんて一切顔に出さずにこやかに笑っている。俺の方が赤くなってしまっていたかもしれない。 「あ、ありがとう……」  腰を下ろし、テーブルの上の料理を見た。  大皿に盛られた唐揚げや色とりどりのサラダ、パスタにリゾット、ポテトグラタン、それから鍋にはミネストローネやポタージュのスープ。本家の食事とは全く違う、まるで誕生日パーティーのようなメニューの数々。 「これ全部、俺達だけで食べるの?」 「今日は朱月様がこちらに来るからと、女中達が普段より腕をふるってくれたようです」 「まぁ、栄養バランスなんて何も考えてない内容ですけどね! 腹が膨れれば問題ありません」  春雷が待ちきれない様子でフォークを握り、そのまま手を合わせた。  四人で頂きますを言ってから、俺は少しずつ料理を皿に取って行った。まるでバイキングみたいだ。俺以外の三人は、自分の皿に片っ端から料理を大量に盛っている。俺が久し振りに食べるパスタの味に感激しているうちに、春雷は既に盛られた一皿分の料理を完食していた。  嵐雪も春雷に続いて一皿目を完食している。夕凪は自分のペースで黙々と食べているけど、それでも俺に比べたら物凄く食べるスピードが早い。  端正な顔立ちの男が揃いも揃って、腹を空かせた子供みたいだ。 「みんな、食べるペース早過ぎじゃない? 腹壊すよ」  溜まらず問いかけると、嵐雪がグラスの水を一気に飲み干してから言った。 「俺達はいつ、オヤジやそれぞれの主に呼び出されるか分かりませんからね。食えるうちに出来るだけ腹を満たしておくという習慣が癖になってるんです」 「そ、そうなんだ……」 「随分前ですが……他県へ視察に行かれた夜霧様にお供した時、丸三日食事無しなんてこともありましたし」 「えっ。三日間、何も?」 「単に忙しかったということもありますが。夜霧様の機嫌が途中で悪くなって、食事どころじゃなくなったという理由が大きいですかね」 「……大変なんだね、嵐雪」  当然ながら嵐雪は俺よりもずっと夜霧との付き合いが長い。その分、苦労も相当味わってきたんだろう。 「だけどさ、今は夜霧様が朱月様にご執心だから、嵐雪もやきもきしてるんだろ?」  春雷の発言に、嵐雪の眉がヒクリと反応した。 「嵐雪、夜霧様のこと愛してるもんな!」  軽い調子で言う春雷の顔を睨みながら、嵐雪が「これだから馬鹿は」と溜息をついた。 「世話役が主にそんな感情を持つ訳ないだろ。俺が夜霧様に抱くのは愛だの恋だの、そんな俗なものじゃねえ。絶対服従と、命に代えてもお守りすること。それだけだ」 「出たよ、嵐雪の『世話役たる者の心得』。俺には真似できないな」  クックと笑う春雷に、嵐雪が目を細めて言った。 「じゃあお前は弟様に対して服従の気持ちを持っていないのか?」 「勿論持ってるさ。でも俺がお仕えしている斗箴様はまだ幼いし、一般常識がきちんと身に付いてらっしゃる。……夜霧様ほどの性格レベルの方を相手に絶対服従なんて……普通じゃとても身が持たないさ。それこそ、あの方に適応できるくらいのマゾっ気があるなら別だけど」 「………」  言い返せなくなった嵐雪が、一人黙々と箸を動かしている夕凪に向かって唾を飛ばした。 「夕凪、お前なら俺の言ってることが分かるだろ? 朱月様に忠誠を誓ってもう十五年だもんな。仕える相手が夜霧様だったとしても、朱月様に対するのと同じように接するよな?」 「さぁ、どうでしょうか。俺には分かりません」  相変わらずの無機質な声で、素っ気なく答える夕凪。 「なんだよ、もっと想像力を働かせて考えてみろ」 「俺のお仕えする方は朱月様ただ一人ですから。例えこの場限りのことだとしても、他の方に仕える想像など朱月様に対して失礼かと」 「夕凪……」  普段はその無表情の下で何を考えているのか分からない男なのに、そこまで俺のことを思ってくれているなんて。気恥かしいけど、素直に嬉しかった。 「はぁ……頑固だな、お前は」 「夕凪の『心得』も、そこまでいくとちょっと理解できないな……」  俺は満面の笑みを浮かべ、夕凪の肩を叩いて言った。 「大丈夫、俺には伝わってるよ!」  それから四人で色々な話をしながら、結局料理の皿を全て空にしてしまった。勿論、その殆どを平らげたのは夕凪達だ。 「久し振りに楽しい食事だったよ。ありがとう、みんな」 「いえいえ。俺達も朱月様とお話しできて良かったです。また機会があった時は、ぜひ」  皿を片付けながら笑う春雷に軽く頭を下げて部屋を出た俺を、嵐雪が小声で呼び止めた。 「朱月様。少々お時間を頂いても宜しいでしょうか」 「え? う、うん」  瞬間的に、俺は昼間のことを思い出した。  夕凪に部屋に戻る旨を伝えてから、嵐雪の後に続いて廊下を歩く。一体何を言われるんだろう。嵐雪の夜霧に対する思いはさっきの会話で充分理解したつもりだ。無言で先を歩く彼の背中を凝視していると、妙な緊張から手のひらに汗が滲んでくる。  沓脱石に用意されていたサンダルを突っ掛け、中庭に下りる。見上げた夜空には無数の星が輝いていて、東京の猥雑な夜とは比べ物にならないほどに幻想的だった。 「この時間は風が涼しいですね。外で一服するには丁度良い季節です」  俺は黙って嵐雪が咥えた煙草に火を点けるのを見つめていた。  紫煙が夜空に吸い込まれて行く。 「……オヤジと夜霧様の会話内容は、他言無用でお願いします」  唐突に切り出されてギクリとした。俺が親父の部屋の前で盗み聞きしていたことを、どうやら嵐雪は知っているらしい。 「普段のオヤジは寡黙な方ですが、矢代家のこととなると途端に人が変わりますからね。夜霧様が唯一逆らえないお方、それが現頭首であるオヤジです。そのことは朱月様も先ほど理解されたでしょう」 「……うん。でも、どうして俺が聞いてたって分かったんだ……?」 「俺も縁側に面した襖越しに聞いてましたんでね。そこから朱月様が来られたのを見たんです」 「そうだったんだ。……それにしても夜霧はどうして、わざわざ親父を怒らせるんだろ。部屋で何してたか聞かれた時だって、何とでも答えられたのに」  俺の疑問に、嵐雪が困ったような笑みを浮かべて答えた。 「朱月様ならその気持ちも分かるかと思いますが」 「え?」 「朱月様自身、夜霧様に敵わないと知りながらも反発したくなる時がありますでしょう」 「……確かに、それはある」 「夜霧様は子供の頃から次期頭首としての教育を詰め込まれてきました。勉学や作法は勿論、話し方、考え方、人の扱い方。物心つく前から毎日、繰り返し……様々な教育をされてきたそうです。ここまでくると一種の洗脳と言えるかもしれませんね。……まぁ、オヤジも先代からそうされてきたらしいのですが」 「………」 「夜霧様はそれに耐えられなくなって、オヤジに反発するようになったんです。きっかけは、中学の終わり頃ですかね」  そこで嵐雪は遠くを見るような目で、吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出した。 「夜霧様は同年代の若者達と同様に、いつからか将来の夢というものを意識し始めました。矢代家の五代目頭首という決まった道を歩まされながら、それでもご自分の夢を捨て切れなかったのでしょう。毎晩のように、オヤジを説得しようと頭を下げてらっしゃいました」 「夜霧の、将来の夢って……」  月明かりの下、嵐雪の目が寂しそうに揺らいでいる。 「夜霧様は何も無いこの村に学校を建てて、子供達に勉強を教える教師になりたかったそうなんです」 「えっ……」 「その為に高校へ行って、東京の大学へ通って……なんて、当然ながらオヤジが許すはずありませんでした。結局その夢は叶うことなく、今に至る訳です」  知らなかった。あの夜霧が、教師になる夢を持っていただなんて。 「月日が経って、夢は叶わないと悟られてからも夜霧様は毎日猛勉強されていました。中学でも成績は常にトップでしたし、それに加えて毎日オヤジの頭首教育と、重役の方々との会合、宮若神社への参拝、全てこなしてらっしゃいました。今思っても大変な苦労だったはずです」 「………」 「その頃の俺は世話役ではなく矢代会の下っ端だったので、夜霧様を取り巻く数々の事情から彼をお守りすることができませんでした。何しろ当時の俺には声をかけることすら叶わない存在だったのです。……が、今は違います」  段々と、嵐雪の言いたいことが分かってきた。 「ですから、朱月様。──夜霧様に、これ以上の負担をかけないで頂きたいんです」 「………」  夜霧に付けられた「印」の部分が、微かに痛んだ。  嵐雪の目は夜霧への純粋な思いで満ち溢れている。どこまでも夜霧を支え、愛し、尽くすと決めた男の目。俺はそれを直視できなくて、逸らした視線を自分の足元に落とした。 「ご存じと思いますが、夜霧様にとって今が一番大切な時期です。将来の夢も若い時にしかできないことも全て諦めて、頭首になる道を選ばれたのです。その決意が無駄にならないよう、他のことに関心を持って頂きたくありません。朱月様はまだ理解してらっしゃらないかもしれませんが、今この時、何よりも優先すべきなのは夜霧様が無事に五代目頭首となることです。俺達だけでなく、全村民がそれを念頭において生活しているのです。単に頭首が変わるだけじゃないかとお思いかもしれませんが、俺達は夜霧様に村の未来を託しているんです。夜霧様はたった一人で、丑が原村全村民の夢を背負って頭首になるんです」  喋っているうちに嵐雪が興奮してきているのが分かった。  だけど、そんなことを急に言われても困ってしまう。どちらかというと俺は夜霧の欲求不満に対する被害者なのに、何故俺ばかり怒られなければならないんだろう。 「ご理解頂けますか、朱月様」  俺はその場で縮こまり、嵐雪を怒らせないよう出来るだけ言葉を選んで言った。 「……でも、夜霧の方から俺に絡んでくるんだ。親父が夜霧に俺の教育を命令したから」 「ですから、教育されなくても済むように努力して頂きたいのです」 「努力?」 「失礼ながら申し上げますが、朱月様は矢代家の次男として引き取られると知った時から、今日まで何か努力をしてこられましたか? 自分の住む村のことを事前に調べるのは当然だと俺は思います。そうすれば宮若神社がどれほど神聖な場所かも分かったでしょうし、参拝の作法も勉強することができたでしょう」 「………」  痛いところを突かれて黙り込む俺を見て、嵐雪が苦笑した。 「……すみません、少々意地悪すぎましたかね。散々言ってしまいましたがこう見えて俺も、突然村で生活することになった朱月様の苦労を理解しているつもりです。努力するのはこれからで構いませんので、どうか朱月様もご理解頂きたく」 「分かったよ嵐雪。そこまで言われたら俺も、やらない訳にいかない」 「有難うございます」  俺は頭を下げた嵐雪を前に、強く拳を握って決意を固めた。この村では生活の全てが今までと全く違うけれど、どんな道も自分から前に進んで行くしかない。東京から来た新人扱いされるのもせいぜい一カ月くらいだし、今から村や屋敷の生活に慣れておいた方が後々楽なのも目に見えている。  妾の子だからとやさぐれて何もしないよりも、運命を受け入れて最善の道を行く方がきっと楽しい──。 「それにしても、嵐雪って本当に夜霧が好きなんだな。斗箴と良い勝負だよ」 「自慢じゃありませんが、弟様よりも俺の方が夜霧様との付き合いは長いですから」 「子供と張り合うほど好きなんだ……」 「俺に勝てるのは亡くなられた奥様だけです。悔しいですが、流石に母親には敵いません」  そう言って本当に残念そうに肩を落とす嵐雪が面白くて、俺は声をあげて笑った。
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