エラ、100年後にここで。

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
―――『百年後に迎えに来るよ』   何処ヘ行ッテシマウノデスカ 私ハ連レテイッテハクレナイノデスカ 私ヲ…一人二シナイデ………  ふっと目を開けた。しとしとと、外から雨の降る音が聞こえる。窓の方に顔を向けると、ぼんやりと自分の顔が映っていた。感情の分からぬ無表情な顔。しかしその目から一筋、流れ落ちるものがあった。  驚いてそれに手をやる。それは、人間ならば涙と呼ばれる物であった。しかし何故それが自分の目から流れたのか分からない。 ―――『エラ、人はね、嬉しい時、楽しい時、悲しい時、怖い時、そういった心が動かされた時に、涙を流すんだよ』   遠く、あの人の言葉がよみがえってくる。私は、なぜ泣いたのだろう。指についた滴に目を落としながら考えた。あの人の夢を見たからだろうか。  いや、ただ体の不調だろう。そもそも人ではない自分に、涙を流す機能はついていない。体の内部で破損か何かして、水が外部に流れてしまったのだろう。  あの人に再び会えるまで、このまま壊れずにいられるだろうか。  あの人と別れてからもうすぐ百年が経とうとしている。約束したその時まであともう少しだ。  ゆっくりと椅子から立ち上がる。それから細かく砕いた木の実が入った小さな籠と、傘を持って家を出た。  灰色の雲から静かに雨が降り注ぐ。サビが浮き出始めた体に雨を当てたくはなかったが、それでも傘からはみでた部分が雨に濡れてしまう。 ―――『エラ、濡れてしまうよ』  そう言ってこちらに傘を傾けたあの人の行為を、あの時は理解ができなかった。ワタシが首を傾げると、あの人は少し笑みを浮かべて、言葉を重ねた。 ―――『濡れると、寒いでしょう?』  あの時ワタシは何と返したのだろう。自分の言葉は忘れてしまったのに、あの人の少し困ったような笑みは覚えている。きっと自分は人ではないから寒さなど感じないとでも答えてしまったのだろう。  雨が当たる腕にそっと触れる。今なら少しわかる。寒いとはどういうものか。あの人と共にいた時は分からなかったのに。  ふと、雲の透き間から光が差した。天を見上げると、雲の切れ間は徐々に広がり、そこから青空が見えた。光を反射し、細かな雨粒がキラキラと煌めく。いつの間にか雨雲は散り散りになり、すっかり晴れてしまった。東の空の方には、薄っすらと虹が架かっている。 ―――『エラ見て、虹だよ』  あの人はそう言っていつも嬉しそうにワタシに教えてくれた。ワタシはなぜ嬉しいのかやっぱり分からずに、ただあの人が指し示す方を見ていた。 ―――『いつか二人で虹の足元まで見に行こう。虹の足元には、宝物が埋まっているんだって』 ―――アノ人ト再会シタラ、宝物ヲ探シニ虹ノ足元マデ旅ヲシヨウ  そう思うと自然に笑みがこぼれた。  あの時できなかったことを全てやろう。共に歌を歌いながら、世界中を回ろう。 街へと続く森に足を踏み入れると、小鳥たちが周りに集まってきた。そして、籠の中の木の実を啄んでいく。食事を楽しむ小鳥たちの邪魔をしないように木の実を手ですくって地面に撒くと、更に森の奥からも鳥たちが集まってきた。 籠から木の実がすっかり無くなってしまうと、再び歩き出した。 雨上がりの森の香りが体を包み込む。あの人はこの香りが好きなのだと言っていた。だから雨が上がると二人でゆっくり森の中を散歩した。籠に入れた木の実を撒きながら。 森を抜けると目の前に街が広がる。陽の光で石畳はほとんど乾いていた。所々にある水たまりを避けながら、街の中央にある広場に向かう。 やっと雨が上がり外に出られるようになったためか、街はいつも以上に活気にあふれていた。広場にも多くの人が憩いに来ていた。  広場の中心にある噴水の傍に居場所を定めると、噴水の淵に閉じた傘を立てかけ、木の実を入れていた籠を少し離して置いた。それから目を閉じ、すっと息を吸う。  あの頃ほど綺麗な歌声にはならないが、それでも一人二人と人が集まってくる。ベンチや芝生に座っている人達も、うっとりとその歌声に耳を傾けた。  幾つか歌を披露すると、籠の中にはコインが集まっていた。間を開けてからもう二、三曲歌い、今日はこれでお終いだという意味を込めて深くお辞儀をする。最後まで聞いてくれた人達からぱらぱらと拍手をもらい、頭を上げると離れていく人達の背中が見えた。しばしその背中を見送ると、傘とコインの入った籠を持って広場を後にした。  広場を出ると、街の花屋へ足を向ける。花屋には色とりどりの花が置いてあり、悩みながら黄色を基調とした小振りの花束を作ってくれるよう店員に頼んだ。  出来あがった花束を抱え、森へと向かう。太陽はいつの間にか大きく西へ傾き、空は茜色に染まっていた。家に着く頃には陽はすっかり沈み、山際だけ仄かに赤く照らすのみだった。  籠と傘を置き、ランタンと花束を持って再び家を出る。そして家の裏にある小高い丘に足を向けた。 ―――『エラ、一番星だ』  耳元であの人の声がする。空を見上げると、藍色の空に銀色に星が一つ、瞬いていた。黄昏時、家に帰る途中あの人と一緒に一番星を探していたことを思い出す。 ―――『もし僕が死んだら、一番星になって君を見守っているよ』  丘のてっぺんに着くと、低い草しか生えていない中、一本だけ中央に胡桃の木が植わっているのが見えた。そこに近づき、そっと花束を置いた。それから木の根元に座り込むと、枝の間から空を見上げた。 ―――あの人は星になり、今も見守っているのだろうか  一つ、二つ、星が現れ始めた夜空を眺めながら、あの人と出会った頃を思い出した。 ―――あの人と出会った頃、この世界は今よりもっと発展していた。天に届きそうな高いビルが立ち並び、車は空を飛び、多くの仕事はロボットが行っていた。  ワタシは子供のお世話をするロボットとして生み出された。その時代、一般家庭でも家事を補助するロボットを持つことは当たり前の事で、ワタシもとある中流階級の家族に買われた。  しかし、ワタシは欠陥品だった。通常のロボットは人の様に表情があった。感情を持っていたかは分からないが、それでもその場その場にあった表情をすることができた。  けれどワタシにはそれができなかった。ずっと無表情でいるワタシを気味悪がったその家族は、スクラップ置き場にワタシを置き去りにした。  その時ワタシを見つけてくれたのがあの人だった。あの人は町工場で働く青年で、傷んだワタシの体を直してくれた。 ―――『君の名前はエラだ。エラはね、昔の言葉で女神って意味なんだよ。君は僕が想像していた女神様の姿に似ているんだ』  そう言って、あの人はワタシに名前をくれた。前にいた家でも名前を付けられていたが、どんな名前だったか忘れてしまった。とにかくその日からワタシは『エラ』になった。  あの人はワタシに色々なことを教えてくれた。春の陽の暖かさ、新緑の森を抜ける風の心地よさ、長夜の虫の音の美しさ、踏む雪音の楽しさ。あの人と一緒に、いつまでも新たな発見をする日々を過ごすと思っていた。けれど、気づかぬ内に世界は醜く歪んでいっていた。  何がきっかけだったのかは分からない。気が付いた時には人間は科学の使い方を誤っていた。いつの間にか世界は戦争に巻き込まれていた。日々新たな兵器が開発され、その兵器によって街は破壊され、多くの人間が死んでいった。争いは増幅され、果てることが無かった。  あの人は戦争に巻き込まれる前にワタシを連れて逃げ出した。転々と場所を変え、ようやく辿り着いたのがここだった。   ―――『狩人が仮眠場所に使っていたのかもしれないね』  森の奥にぽつんと立つ小さな荒ら屋を見て、あの人はそう言った。 ―――『もう、持ち主もいないだろう』  こうしてワタシ達はこの小屋をできる限り手入れをし、なんとか暮らせる環境を作った。しばらくあの人と一緒に森でキノコや木の実を採ったり、猟をしたりして暮らしていた。けれどある時、あの人は風邪をこじらせ、そのまま寝こんでしまった。 ―――『エラ、歌を歌ってよ』  度々あの人は夜具の中から、ワタシに歌ってほしいとねだった。子供の世話用のロボットとして生み出されたワタシは、幾つかの歌をインプットされていた。ワタシが歌を歌うと、あの人は穏やかな表情で耳を傾けるのだった。 ―――『やっぱり君は女神だ』  あの日、そう言ってあの人は夜具の中で笑った。 ―――『君の歌を聞くと楽になる』  あの人はそっと腕をのばしワタシの手をとって言った。 ―――『ねぇエラ。僕たち人間は道を誤ってしまったけれど、どうかもう少し見守っていてほしい。いずれこの争いも終わり、人々はきっと瓦礫の中から立ち上がる。僕はもうすぐ君の元を去るけれど、君は君の歌で皆を癒してほしい。』  ズキリと胸に痛みを感じた気がした。人ではないのだから、痛みなど感じるはずは無いのに。 ―――ワタシモ共ニイキマス  あの人は僅かに頭を横に振った。 ―――『君を連れてはいけない。君には人々の行く末を見守っていてほしい。お願いだ』  まっすぐな目で見つめられ、頷くしかなかった。  あの人は安心したようにふっと笑い、瞼を閉じた。それからぽつりと呟いた。 ―――『人間はなんて愚かなんだろうね』  初めて聞いた冷たい声音に、ワタシはとっさにあの人の手をぎゅっと握った。 ―――『勝手に君をここまで付き合わせて、そして置いていくなんて、僕も相当に愚かだけど』 ―――ワタシハ、アナタト一緒二イレテ楽カッタデス  思いもかけず言葉が出た。あの人に辛い顔をさせたくなくて。  あの人は驚いた顔をこちらに向け、指先でワタシの頬に触れた。 ―――『ごめん、エラ。君に悲しい顔をさせてしまったね。エラ、この世界に君一人残していく身勝手な僕だけど、一つだけ約束しよう。百年後、必ず君を迎えに来るよ』 ―――百年後… ―――『そう、百年後だ。待っていてくれるかい?』  頷くと、あの人は嬉しそうに笑った。それから目を細め、最後の願いを口にした。 ―――『エラ、君の歌が聞きたい』  上手く歌えるか分からなかった。声が震えてしまうかもしれない。けれど、あの人に笑っていてもらいたい。あの人が一番好きだという、故郷を想う歌を歌うと、あの人は微笑みを浮かべ静かに目を閉じた。歌を歌い終わる頃には、あの人はワタシの手が届かぬ場所へ行ってしまった後だった。  あの人と別れた後、しばらく動くことができなかった。けれど生前あの人と交わした約束を果たさなければと、その思いでなんとか立ち上がれた。  死後は小屋の裏の丘のてっぺんに埋めてほしいという言葉通り、あの人の亡骸はそこに埋めた。そして目印になるよう、木の実を一粒植えた。今ではそれは立派な胡桃の木に成長した。  それから森を抜け、外の様子を見に行った。あの人の言っていたように、戦争は終わり、人々は立ち上がり懸命に平和な日常を取り戻そうとしていた。  ワタシはその様子を見守りながら歌を歌った。人々は手を止め、時に涙を流しながらワタシの歌を聞いていた。ワタシの歌がどれほど助けになるかは分からなかったが、出来る限り歌い続けた。  そうやって時が経ち、世界は平和を取り戻していった。けれど先の戦争は想像以上に大きいものだったようで、世界は多くのものを失い、戦前のものを全て取り戻すことはできなかった。科学もまた大きく後退し、自分と同じようなロボットに未だに会うことはできていない。 ―――モウスグ、アノ人ニ会エルノダロウカ  あの人と別れて百年近く経つ。早く、会いたい。  ふっと眠気を感じた。今まで疑似的に眠ったことはあったが、今の様に睡魔に襲われることなど一度もなかった。抗いがたい眠気に負け、目を閉じる。  一体ワタシはどうしたのだろう。あの人に会うこともなく壊れてしまうのだろうか。そう思いながらも、意識がどんどん沈んでいく。 ―――アア、アナタニ会エヌママ、ワタシハ…  その時ふと、微かに自分の名を呼ぶ声が聞こえた。 ―――『エラ』  目を開けると、目の前にあの人がいた。 ―――カム  あの人の名を呼ぶ。あの人はワタシに微笑みを向けた。 ―――『迎えにきたよ』  やっと会えた。百年。なんて長かったのだろう。話したいことが沢山ある。ワタシは立ち上がり、あの人の傍に寄った。あの人は強くワタシを抱きしめてくれた。 ―――今度ハ一緒二、虹ノ足元マデ旅ヲシマショウ  ワタシが言うと、あの人は嬉しそうに微笑みを浮かべた。 ―――夜が明け、朝日が昇る。陽の光は動かなくなったロボットと、寄りそうように立つ胡桃の枯木を優しく照らしていった。  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!