帰る場所

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帰る場所

揺れる、揺れる、電車がゆれる。がたん、ごとん、がたん、音を鳴らして。次の停車駅へ着くまでも男の人は無言のままだった。停車駅に着いて電車が止まり扉が開くとひとりの女の子が乗り込んできた。小学生低学年くらいの子。どうして小さな子供がひとりで電車に乗ってくるの?不思議に思いながら女の子を見ているとその子は近くの座席に座った。男の人を見たけれど彼はなんのアクションもせずに座ったまま。あたしの時には文句を言っていたのに。不機嫌になりながらも男の人を見る。扉が閉まり出発する。がたん、ごとん。突然ふと電気が消え暗闇になった。 「停電?」 「いいや、残像だ」 残像? 「記憶の残像だ」 男の人はもう一度繰り返した。そんなことを言われても分からない、電車が進んで、窓ガラスに何かが映る。風景が後ろに早く流れるように始めは何が映っているのか分からなかったそれは次第に流れが止まり、くっきりと鮮明にあたしの目に映った。電車に乗り込んできた女の子。麦わら帽子を被って森のなかを歩いている。映像を見つめていると不思議な感覚に襲われた。まるでその映像のなかに吸い込まれていくような、ぐんと引っ張られる感覚。あたしは怖くなってぎゅっとつり革を握りしめた。 ミーン、ミンミンミン、夏の日差しの中けたたましく蝉が鳴いていた。小学二年生の白鳥めぐりはカブトムシやクワガタが大好きな女の子だった。父親と一緒に虫取りや釣りをして色々とめぐりに教えてくれる。彼女にとって父親は、親であり博士のような存在だ。めぐりはいつもはふたりでやってきている公園にひとりやってきていた。たくさん捕まえて驚かせてやるのだ。手に持つのは大きな網、たすきがけにしている小さな虫取り籠。頭にはママに買ってもらった可愛らしい麦藁帽子。持っているのはその3点だけだった、熱い日差しに汗が流れてくるけれど、でも目の前にカブトムシやクワガタが現れればそんなことも忘れて、必死になって昆虫を探してまわった。虫かごの中はカブトムシが2匹、両方ともメスだから、角がなくて少し残念。他にももっともっといっぱい捕まえたい。めぐりはどんどん、森の奥深くへと入っていく。蝶々を見つけては当ても無く追い掛け回して、網を振るう。なかなか捕まえられなくて、くやしいけれど、今度こそと網を振るいようやく捕まえた。網の中でひらひらと舞っている蝶々を虫かごの中に入れようと手を入れた瞬間にめぐりの手をかいくぐり空へと戻ってしまった。残念、せっかく蝶を捕まえてパパに見せようと思っていたのに。米神から汗がぽつりと落ちてきて虫取り網を持った手で拭う。そうえいば喉が渇いた。家に帰って麦茶が飲みたい。一歩踏み出してめぐりの足が止まった。 「ここ、どこ?」 自分のいる場所が分からなくなってしまっためぐりは、走って走って走り回った。何処なのか分らないという不安感、早く家に帰りたいという焦燥。がむしゃらに走った。足を滑らせて転んでしまい、足をすりむく。涙が出そうになったけれど唇を噛んでやり過ごす。早くお家に帰りたい、今はそれしか頭になかった。5時を告げる夕焼け小焼けのメロディーが流れてきて、もう帰る時間なのにと余計に焦る。そして走り回ってようやく森の外に出た。反対側の道路へと渡ればもうそこには家がある、ママが夕飯の支度をして待っていてくれている。めぐりは自分の帰る家だけを真っすぐに見て走り出す。タイヤが地面をこするブレーキ音が大きく響いて、はっとして振り向いたときには時はすでに遅く空高くに体が舞って、何が起こったのか分からないまま― 気づくと、電車に乗っていた。映像が消え、あたしは電車のなかへと意識を引きずり戻された。電車内は再び電気がついていた。あの映像はなんだ。まるで、あの女の子が死んでしまったみたい。そんなことあるわけがないのに、だって女の子はそこに座っている。 「お姉ちゃん」 声に視線を上げる。女の子は座ったままこちらに話しかけていた。 「この電車に乗っていれば、お家に帰れるのかな。パパとママに会えるのかな」 あたしは声を詰まらせてなにも言葉を発することが出来なかった。あたしは今何が起こっているのか把握出来ていない。 「まもなく    駅、    駅、」 車内アナウンスが流れる。ノイズばかりで聞き取れないそれに女の子ははじかれたように立ち上がった。誰も立っていない扉の向こうを見て笑顔で走り出し、開く前から早く出ようとまだ開かない扉の前でそわそわ待っている。電車が止まって扉が開く。 「ばあば!じいじ!」 あたしには何も見えなかった。それなのに女の子は両手を誰かふたりと繋ぐようにして電車を降りて行った。暗闇の中に溶けるようにして女の子は消えてしまった。しゅっと音がして扉が閉まる。あたしは無言でそれを見送る。女の子は何処へと消えたのか。この電車はなんなのか。がたん、ごとん、がたん、電車がまた動き始めた。目の前に座る男の人は静かに目を閉じていた。何かを知っているはずなのに何も話さない。説明がしてほしいと言えばいいのに、あたしは結局何も言わずにただつり革に掴まっていた。
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