至る場所

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至る場所

ここは何?どうしてあんなことが起こっているの?あたしはようやくそう思うことが出来た。今まで疑問に思わなかったことがおかしかった。 「この場所がどういった場所なのか分かったか?」 男の人の言葉にあたしは頷いた。 「そう「死」へと向かう場所だ」 なんとなく察しはついたけれど、どうして自分がここに居るのかが分からない。がたん、ごとん、がたん。電車が揺れる、揺れる。どうしてあたしはここにいるの?あたしは死んでしまったの?そんな記憶は無いのに。どうして?どうして。いくら考えても答えなんて出てこない。がたん、ごとん、がたん。突然誰も乗ってきていないのに照明が消えた。電車はそのまま走り続け窓に映像が流れだし体が引っ張られた。 佐曽利信二は真新しいスーツを着てまっすぐに続く道を自転車で走っていた。無事大学を卒業し晴れて新入社員となった彼は慣れない仕事に四苦八苦しているが、就職先ではよき人たちに恵まれて楽しみながら仕事が出来ていた。朝のすがすがしい風を感じながらランドセルを背負った小学生をぐんぐんと追い越して、電車通学の高校生たちと肩を並べながら駅へと到着した。ここからさらに15分、電車に揺られて職場に行かなければならない。駅についたのは電車が来る五分前。大学生だと思わしき人たちが私服で会話しているのが目に入りついこの間まで自分もそのなかに居たのだと思うとなんだかくすぐったい気持ちになった。がたん、ごとん、音とともに電車がプラットホームに入ってきた。何時もの光景。何時もの日常。それが唐突にかき消された。 「きゃああ!」 「人が!人が落ちたぞ!!」 落ちたのは、学校の制服を着た少女だった。何も考えることなんてなかった、信二の体は勝手に動いていた。少女を助けるために一目散に線路へと飛び降りる。周りがどよめき、悲鳴を上げ顔が引きつっている。なんで誰も動かないんだ、舌打ちをしながらも少女の腕を引っ張り身体を持ち上げようとしてよろめいた、気を失っているのかぐったりとしている。全体重が信二の体にかかってくる。それでもなんとかして体を支えた。 「手伝って!!」 大声を張り上げて、近くにいた人がはっとしたように手を貸した。少女の体を引っ張ってホールの上へと引き上げられた。電車が近づく、事態に気づいた運転士と目が合い急ブレーキがかけられた。車輪が火花を散らしながら急速に止まろうと働く、信二は自らホールに上がろうとしたが遅かった。鈍い音が響いて体が飛んだ。 「きゃああああああああっ!!」 人の叫び声が聞こえ、—気がつくと電車に乗っていた。 「あたし…は、」 映像が消え、車内に灯りが戻る。つり革を握りしめる手が汗ばみ小刻みに震える。彼は線路に落ちた少女を救った。けれど、助けた本人は死んでしまった。あたしが震えている理由はそれじゃない、あれは、あの助け出された。少女は、助け出された人は、――あたしだ。思い出した。あたしはあの時、どこか遠くへ行きたいと考えていた。遠くへ、遠くへ、ひたすら遠くへ、自分の居場所を見つけに、探しに。頭は霞がかかったようにぼんやりとしていて、それでも電車が来たのは気づいていた。でもその時に気が遠くなった。それからは何も、覚えていない。目の前のこの人が助けてくれたんだ。なんて謝ればいいの、どう償えばいいの、どうすればいいの。 「あたし…」 「おれは、お前を助けたのを後悔なんてしていない」 「どうして」 あたしだったら許せないと思う、だって見知らぬ人に殺されたようなものだ。 「おれは最善だと思われることをした、……家族は、許してくれるか分らない。お前のことも、お前の家族のことも。でも、それでも、おれは後悔なんてない」 真っ直ぐな目でそう伝えてきて、言葉に詰まった。あたしはこの人に救ってもらうほどの価値なんてないのに。自分の居場所も分からなくてふらふらしているようなあたしなのに、あたしがこの人の居場所を奪ってしまった。でもここで謝ることはしてはいけないんだ。 「ありがとう」 瞬きをすると、涙が零れ落ちた。あたしを救ってくれた人、どれだけ言葉を尽くしても謝り足りない。でも、この人には感謝の言葉を届けるのが1番いいと、思ったから。 「まだ座ることを望むのか?」 この電車に座ってしまうということは。きっと、そのまま死んでしまうことを意味するのだろう。ここはその境界線。ここは死への旅。あたしは居場所を求めてた、何処か、遠い場所に自分のいるべき場所が、いられる場所があるんじゃないだろうかって。でもそれは、この電車の先にある場所じゃない。帰りたい家があったのに、帰るべき居場所があったのに、それを一瞬で奪われて飛ばされてしまった女の子。人生を満喫して、最後の居場所としておじいさんと一緒に向こう側へと渡ったおばあちゃん。精神的に追い詰められて自分の居場所はもう無いと、逃げ込んできたおじさん。自分の居場所があったのに、それを他人の為に放棄してここへと着てしまった男の人。あたしにはまだこの電車の向こう側は早すぎる。そこはまだあたしの居場所じゃない。あたしはゆっくりと首を横に振るった。 「そうか」 男の人はそういって微笑んだ。電車が止まって、その人は立ち上がった。 「ありがとう」 もう一度お礼をして頭を下げた。彼はぽんとあたしの頭に手を置いてから手を振るってこの電車を降りていった。涙が溢れて頬にいくつも伝っていく。ごめんなさい、ごめんなさい、ありがとう、ありがとう。あなたに心からの謝罪と、溢れないばかりの感謝を。
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