ゾンビ東京五輪へ

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ゾンビ東京五輪へ

出会い  第88回日本陸上競技対抗選手権大会 通称インカレ 青梅国際大学4年の桜岡茂は 100mの準決勝で・・・・いつものように予選落ちした。 腕組みをして見つめる 星野監督も納得したように何回も頷き 優しい目で彼のさびしげな後ろ姿を追っていた。 後輩の冨田がかいがいしくタオルを渡し なにやら話している。 騒がしい陸上のフィールドから ツンと汗臭い選手控え室で 汗を拭き着替えのトレパンに履き替えている最中でも 地鳴りのように声援がこの部屋にも響いてくる 控え室を出て長い通路の奥にある トイレでは控え室同様に選手らでざわついているが 彼の周囲だけは異空間のように静寂を保ち だいぶしょぼくれた自分の顔を鏡で見つめている 桜岡は諦めの言葉を放つ・・・ 「終わったな・・・」  桜岡茂、千葉花畑高校3年の時に10秒26を出し、県大会優勝 地元の新聞でも期待の選手として注目され 青梅国際大学に推薦で入った選手だった。 入学してすぐに左膝を故障、無理して復帰しまた故障し やっとまともに走れたのは2年の終わり 記録は10秒5台を入ったり来たりで 高3の時に出した自己新記録更新を自分でも半ば諦めていた。 完全に過去の人として2年下の後輩で 日本代表候補の月岡に陰口を叩かれていた。 インカレが終わり4年生は2週間後の校内記録会後に 寮を出て引退するのが慣わしであり 殆どのものが就職先を決めている4年生は後輩への受け継ぎや それぞれ体を休めたり引越しの準備をしたり陸上生活卒業の意味のある 記録会のため練習したりと最後の思いで作りの生活を過ごしていた。 桜岡は最後の記録会は出まいと思いながらも 習慣になっている早朝ランニングをし何時のも風景を感じながら これまでの100m人生を振り返りブツブツと独り言と左足の故障の事を悔やんでいた。 そして、いつもの最終ポイントの寮と大学の間にある 公園内のランニングコースに入り いつものように速度を緩めクールダウンのためモモ上げ運動をしたり首を曲げたり ストレッチをしながらゆっくり呼吸を整える走りをし コース途中の急カーブの先にある少ししょぼくれた ベンチではベンチに座り両足を広げての 最終的なストレッチし寮に帰るのが日課だった ところが、桜岡が慌てる様に 「えっ・・・何で・・・?」 早朝に犬を連れて散歩する人は見かけるが 座っているなんてありえないあのベンチに 初老の男が座っている事に、誰が座ろうと自由なのだが 自分のルーティンを狂わされたと腹を立て 自分なりの抗議のアピールするよう派手にモモを上げをして 通り過ぎようとした所 古びたベンチにたたずむ初老の男がジロリと桜岡に目をやり 声をかけた・・・ 「おい、もっと早く走らせてやるぞ」 桜岡は無視して早歩きでやり過ごし走り去ろうとすると 背中越しに初老の男の声がまた響いた。 「おい、これでいいのか・・・9秒台で走らせてやるぞ」       初老の男が懐から紙をくしゃくしゃのボール状にし ヒョイと彼の足元に投げた。 初老の男は上目使いで冷ややかな目でニヤつき 「まぁ来たくなければそれまでだな」 と、冷たく言い放つ・・・ 桜岡は彼の言動をいぶかるり 何故自分が短距離走なのがが分かったのか、何故この時間にいたのか? 疑問は一瞬わいたがベンチを占領された怒りと自分のふがいない記録を 馬鹿にされたように感じるのと いつも使っている公園にゴミのような物を自身に投げつけられ 無性に腹が立ち、足元に落ちている丸まった紙を拾い上げ 初老の男を若干抗議の目で見ると初老の男は腕組みをして偉そうに 「騙されたと思って見てみろ」 と、右眉毛をビクンとあげ得意げに言い放っていた。 紙を拾った時に文字らしき物が書いてあるのは確認できたが あまりの初老の男の自信満々の迫力に圧倒され 何だか分からないが彼の言葉に従い しわになった紙を完全に広げ読もうとすると なにやら下手くそな文字に 住所と名前のようなものを書いてあり 最後に大きく 「君なら出来る9秒台、目指せ東京」と 子供じみたようにも思いながら 呆れて眺めた桜岡は 「何だこれ? 9秒台?東京?真下達彦?」 ふと彼がいたベンチを見ると彼が遠ざかる後姿があった・・・ 「騙された・・・」 桜岡はこの紙をふたたび丸めゴミ箱に捨てようと思ったが そこにゴミ箱が無いのでポケットに紙を入れ再び 気分の悪いランニングを始め、 あの男のせいでルーティーンを崩された思いを詰り 非現実的な男の発言を嘲笑した。 「・・・9秒台・・・・まさか ハハハ」 老人真下 青梅国際大学陸上競技部の寮、 大学から少し離れているが 近くに公園もあり最近出来た口コミで人気の喫茶店もあり 自然豊かな高台の所に寮である青葉第2荘がある。 平等教育がこの大学のもっとうで 寮の掃除は平等に当番制で洗濯や風呂は個人それぞれ学年で時間と曜日で区切り行い 料理作り以外全て平等にが一応のルールで 陸上短距離中心の男子12人と寮母として 星野監督夫婦が住んでいる。 寮の洗濯ルームは本日の時間帯は4年生の時間 3日ほど溜めた下着やトレーニングウエアを洗うため 高校時代から知り合いの同級生 塩田と一緒に桜岡は何やら楽しげに話している。 塩田が桜岡に心配するように話す。 「桜岡、お前は社会人では走らないのか?」 諦めたように薄笑いを浮かべ塩田を見ながら桜岡が 「あぁ、もう走るのは辞めるよ。」 塩田は残念そうに口を少し曲げ 「もったいないよなぁ、力はあるのになぁ~」 桜岡は少し寂しげに左ももあたりをさすりながら笑ったがすぐに真顔になり塩田に 「お前はB食品の陸上部でつづけるんだろう?」 塩田はニッコリ微笑み 「あぁもう少し自分の可能性に挑戦してみるよ」と言った。 続けて塩田は 「じゃぁ4記録会がお前と走る最後の日だな・・・」 と寂しげな目をして見せた。 洗濯のため籠に入れてあるトレパンを手に取りポケットを探ると すっかり忘れていた3日前の例の紙を見つけ見ていると 塩田が何?というような顔をして覗き込んだ 桜岡はその紙をクシャクシャにし片隅のゴミ箱に捨てた 「ゴミが入っていた、この間はティシュを入れたままで大変な事になったからな」 塩田はおどけたように大きな目をよりいっそう大きくし彼なりの桜岡を励ます意味で 「おい、洗濯が終わるまでお茶でも飲まない?」 おどけながら言う塩田を見て気持ちを理解した桜岡が 「おお、いいねぇ」とすかさず言い、続けさまに 「先いってて、ちょっと金持ってくる」と トレパンのポケットの中に何も無い事をジェスチャーでおどけて見せ 塩田を先に行かせ、桜岡は洗濯ルームを出ようとするが 先ほど捨てたゴミ箱の紙が気になり、どうしようかと思案し結果・・ 一度出た洗濯ルームに戻りゴミ箱から紙を荒っぽく取り出し 早足で自分の部屋に戻り パーテーションで区切られた 自分の机にしわくちゃになった紙を捨てるようにポンッと置き 財布を握り出て行った・・・・・ 夜~ 桜岡は腕組をしながら机に向かい考えていた 自分の部屋と言っても寮生活で小さな個室、実の所は6畳部屋の パーテーションで区切られたの一部が自分のスペースであり あと2人の下級生の住人がこの部屋にいて、実質2畳が自分の場所で 4年生は廊下側の角の部屋を取れ、壁に寄りかかれるだけが特権だと桜岡は思っていた。 だからと言って家賃2万で朝夕飯付き 光熱費も無しなんだからまぁ良いかなと思っていたし それに後2週間でこの寮から出て 塩田の借りるアパートに月3万で卒業まで転がり込む約束を 先ほど喫茶店で話したばかりだ。 だから、今机に座っている椅子から 振り向けば硬いベットがあり 手を伸ばせば全てが事足るほどの狭さの部屋を愛おしくさえ思っていた。 高校の時に親からプレゼントされた年季の入った無骨な目覚まし時計の時間を見ながら 先ほど塩田と約束した事を確かめるように 「9時から授業で11時にはこの寮に戻り2時から塩田と映画を見に行くのか・・・」 とブツブツ独り言をつぶやいた。 きれいに戻された例の紙を見ながらスマホで住所と名前を検索し この寮から遠く無い所に、例の初老の男、真下達彦の家がありそうなのを確認していた。 「暇だから・・・行ってみるか・・・・」 スマホには名前で調べた、真下達彦の検索結果もいくつかヒットした物が映っていた。 翌日11時20分ごろ 小奇麗な服装をした桜岡はスマホの地図情報を見ながらとある木に囲まれた 大きな洋館のような家で止まった。 陸上の寮の近くにこんな大きな洋館のような家があるんだなと驚いていた。 頑丈そうな門から見える庭もかなり広く 30mダッシュも余裕で位出来るなと妙に感心していた。 何か大きな車の移動があるかのように庭から北の方角にタイヤの轍がハッキリ流れていた。 桜岡は本当に9秒台なんて走れるなんて公園で会った真下の発言を信用しなかったが 検索し彼の略歴を見て 何やら怪しい学者で学会から追い出されたとの噂話と 靭帯の再生医療と言う項目に何か感じた物があったのか 会って彼の話を聞くだけ聞いて塩田と映画でも行けばいいかなと思い 門横にある洋館に似つかわしくないかわいらしいチャイムを押した。 キンコーン 一瞬の静寂、もう一度 キンコーン 静寂・・・・ ・・・・ 騙されたかな?まぁいいかと思った瞬間、門が厳かに開き 門横のマイクから公園で出会った真下らしい男の声が聞こえた。 「「来たか、さぁ入って」」 早口でまくし立てる声に少しむかついたが中に入り 自動に閉じようとしている門を振り向き見ながら 少々おどおどし部屋の大きな玄関と思われる所まで行き 黒光りし目前に鎖のようなドアベルが付いている扉に圧倒されていると ガチャリと扉が開き 真下がおどけた様に顔だけ出して桜岡を招きいれた 「おお、とりあえず入ってちょっとそこのソファーで待っていてくれ」 真下は桜岡に目配りしソファーの場所を案内し そそくさと自分は地下階段を下りていった。 一人ぽつんと残された桜岡はキョロキョロしながら 不安そうに猫の足のアンティークソファーに座り 広い部屋を見回した。 「SF映画でよく有りがちな変な博士の部屋だな」 とつぶやき高い天井に見て驚いていた。 一通り居間の風景を見終わり 深く沈んだソファーに座り、俺は何のために来たんだろう? まさか本当に9秒台で走れるなんて間に受けていないだろうな? ひょっとすると変な薬を飲まされてドーピング違反で引っかかっちゃうとか・・はは ここに来て間違ったかな?? と心のなかであれこれと考えを廻らしていると 地下からガチャリと音が聞こえ階段を駆け上がってくる真下が 何やら濡れた手をタオルで拭きながら桜岡の前に現れた。 スッと異常に指が長く皺の無い白い右手を差し出して来て 桜岡の右手を奪い取るような力強い握手をし、うれしそうに桜岡に 「9秒台の世界へようこそ」 近くで見る真下の汗で光る顔はこの間の公園の時より無精ひげが目立つが 若々しく思え白髪混じりではあるが老人では無いなと思えるほど 背格好は低いし、着ている白衣はポケット辺りが汚れヨレヨレの印象だが 活力が体中からあふれ出ているように感じた。 真下はタオルで顔を拭きながら 「とにかく地下の研究室に来てくれ」と桜岡に来るように言ったというより命令した。 桜岡は予想していた変な薬を飲まされるのではないかと思い 「出たよ、これ薬を飲まされるパターンだよ」 と心の中で思い 後悔が頭の中を廻っていた。 地下にいる真下が桜岡をせかすように 「お~~い、来てくれ」 と、せっかちそうに叫ぶような高い声でありながら 子供が大切な宝物を見せるような喜びを隠しているような声で 桜岡を呼んでいる。 「えっ、えっ、僕が行くんですか?」 と、怪しい地下室なんて行くものかとやんわりお断りのニュアンスで言うと またも真下の大きな声が 「早く、早く~」と彼を急かした。 ふ~~~、と大きく深呼吸をし桜岡は決意して真下の方へと歩いていった。 これが真下達彦との二回目の出会いにより 桜岡 の人生が大きく変わってしまったきっかけとなる出来事は あと50分ほど先の話である・・・ 死んじゃった  真下達彦(58)、父親の影響で医師を志し大学医学部に入る 卒業後も助教授として大学に残り 人間の品種改良や人体改造の基礎的研究に精を出す やがて優秀な超人の軍隊を作り世界平和に貢献するなど 暴走した考えを持ち始め 大学や研究室からマッドサイエンティストとして追われた。 彼は海外に行ったとのうわさが流れ 研究途中の超人改造研究室は閉鎖され、研究資料全て破棄され 荒唐無稽すぎる彼の研究を受け継ぐものもいなくなった。 当初学会でも彼の研究内容は話題になっていたが 彼の理論の矛盾を突いた教授の指摘により 真下は完全に研究者として死んだ存在になっていた。 それから約20年・・・・・  真下は焦っていた、非常に焦っていた 目は充血し汗も拭かず必死に心肺蘇生を繰り返している。 ベットには桜岡は生気の帯びない半開きの目で横たわり 体中ありとあらゆるところから 血管のように伸びるたくさんのコードの先に何やら 得体の知れない機械があり 腕のところに刺さっている大きな管には液体が流れ 口には空気を強制的に入れているであろう 装置が呼吸を促すかのように一定のリズムを取って動いている。 3度目の電気ショックを試みるも 心電図は水平を保ち動き出すそぶりも無い 画面を見ながら真下が悔しそうに 「・・・ダメか・・・」と言い放つ 部屋からあちこち鳴る機器の音、そのうちの一つの 小さくアラーム音がなっている装置を切ると アラーム音が消え装置の上にあるポンプ状の物が 小さくひしゃげ最後の足掻きのように軽い音を立て停止した。 ドカンと薄汚れた1Pソファーに深く座り 眉間の皺をよりいっそう深くし体を斜めにし この状況を信じられないように何回か首を振り天井を見上げ 「殺してしまった・・・」と唸った。 何故だ、どうして、捕まるのか、逃げるか、 いろんな事が頭の中を駆け巡るが この状況を抜け出せるような考えも浮かばない 何回目かの深いため息をつき 勢いをつけソファーから立ちあがり 桜岡がいるベットに近づき、彼から装置類をはずし丁寧に体を拭き シーツを体全体にかぶせ 真下はふらつきながら地下の実験室から出ようとし もう一度確認のためシーツにくるまれた桜岡を見て この現実から逃れるためのように研究室の灯りのスイッチを消した 一階の居間のソファーで 真下は40分ほど前の出来事を回想していた。 ガチャリ 扉を控えめに開けながらおどおどした表情をして 桜岡が地下の研究室に入っていった。 ニヤリとして真下が 「まあ見ての通りだ」 と自慢の宝物を見せた時のように 研究室にある装置を自慢げに披露した。 研究室の中にある水槽にはミミズのような生物が蠢き 壁にはマウスがたくさんいる水槽や モルモットのような動物が檻の中にいた。 奥を見ると左側には大きな観音開きをする扉 右には潜水艦にるような機密性に優れた扉が素人でも分かった 「1週間前に完成したんだ。」と真下は アンプルに入ったケースを見せ、うれしそうに机に置いた 5本入りのアンプルが透明のケースからわかり、その中にドス黒い液体が入っている事を桜岡も確認した。 桜岡はB級映画ではこの薬を変な理由をつけて 注射される非常にヤバイ展開であり、すぐに逃げようとも思ったけれど 心の中でちょっとだけ、自分自身に起こっても良いかなとなげやりな自分もいた。 真下は桜岡を急かすように 「これを打てば絶対早く走れる・・・・はずだ・・・」 と最後の「はずだ」の文字を小さな声で言った。 やっぱり、このパターンかと 桜岡は呆れるように真下に問いかけた 「昨日、貴方の名前を検索しました・・・貴方の評判はあまり良く無いようですね」」 真下は一瞬ニヤけた顔が素になり、またニヤけて言った。 「じゃあなんでお前はここに来たんだ。」 桜岡は下を向き照れくさそうに 「まぁ100mで優勝してヒーローインタビューも受けたいし テレビにも出たいし、そして東京にももちろん出たいし・・・」 真下は腕組みをして彼の話を聞いている 桜岡はなおも話している。 「1年の時に故障して故障の原因かは分からないけど 記録が伸びなくなり後輩にも馬鹿にされ 就職も希望の所では無いし、もう走るのは記録会の1回で終わりだし 仮にドーピングでもいいかなぁ~なんて・・・」 腕組をしている真下がドーピングの言葉を聞きすかさず 「おいおい、この薬はドーピングになんて引っかからないし」 と、自ら左腕を出し机に置いたケースからアンプルを取り出し アンプル上の薬をピストルのような注射器に入れ左腕をまくし立て打ち込んだ 突然の真下の行為に驚く桜岡を横目に真下は 「これは細胞を活性化させ怪我をした所に効果を発揮する薬で 信じられないかもしれないが一切の危険な薬物、ドーピングにかかる成分は無いよ。」 「だからどう考え・・・・・」 真下は急に黙り込み体全体細かく震えだした。 「う、う、うわぁ~」 突然苦しそうに悶え始め腰を丸め体が大きく震えだした。 ギョッとした桜岡が焦っている姿を見た真下が 笑いながら 「冗談だよ。こんな薬でおかしくなるわけない。変な映画の見すぎだよ。」 と、歯茎が見えるほど笑い桜岡の焦るのを楽しんでいた。 そして目線を傍らの折の中にいるモルモットを見て 「動物実験でも実証済みだよ。」と真剣な目に戻った。 桜岡は真下の下手な演技に騙された自分を恥じたが 薬を打った真下の顔色やそぶりを見て変わらない様子に少し安心した。 真下は一通り薬の成分、安全性、副作用の有無、ドーピング問題 どんな結果になるのか、動物実験の実証検査の結果を見せながら話した。 桜岡もこの怪しい家に入る前の疑いは薄らいだが まだこの薬を打つ事を躊躇っていた。 真下は桜岡を諭すように 「当然、わけのわからない男が出した薬をいきなり打つなんて 出来ないのは当然だよ。」 「だから無理強いはしない、打たないで帰ってもかまわないよ。」 「はい、ご苦労さん、もういい帰ってくれ・・・」 と冷たく言い彼の反応を伺った 机の上にはあと4本分の薬の入っているアンプルが桜岡の前に見える状態になっている 桜岡に考える時間を与えた真下がすかさず言い放つ 「さぁもう帰ってくれ」 真下は先より大きな声で恫喝するように桜岡に迫った。 桜岡は完全には信じていないが古傷である左ひざの痛みは 今でも引き攣るように感じる時があるので、それだけでも治ればいいと思い・・・ 「分かったよ・・・打ってみる・・・・」 真下は再び桜岡の心を揺れ動かす作戦を立て 「いや、もういい、信じていないんだろ?帰っていいよ。」 桜岡の揺れ動く心を弄ぶように真下は冷たくあたり、一つの提案をした。 「この薬は絶対安全だ。」 「だからこの机の上のアンプルをお前が選んでくれ」 「そして俺ももう一度この4つから選んで打つ」 互いに4つのアンプルの中から自分で選んで打つと言う真下の提案に 桜岡は恐怖心よりこの薬への興味と安心感が勝っている自分がいると考えていた。 追い込むをかけた真下が 「じゃあ選んでくれ」 桜岡は真下の心理ゲームのような誘導にアンプルを選ばないといけないような状況に陥り わけのわからない薬を打つ恐怖心はさらに薄らていた。 「じゃあ俺はこれ」 と真下は机の上に4本になったアンプルを選び、新たなピストル状の注射器に 自分の選んだアンプルをセッティングした。 そしておもむろに左腕を剥き出し 「最初に私がもう一度打つとしよう」 と真下が左腕に打とうとした瞬間 焦りながら桜岡が 「待って下さい!、ぼくがそれを打ちます。」 桜岡が思っていた最後の疑いを、アンプル交換の手段で打ち消しにしようと 桜岡自信の戦略で提案した。 一瞬、驚いたような顔をしたが真下はすんなりと桜岡の提案を認め 「あぁいいよ、じゃあ右腕を出してくれ」と言い それとこれで左腕を拭いてくれと 真下はしゃがみこみ、一瞬桜岡から見えなくなったが すぐに机の引き出しから大きなビンに入ったアルコールと脱脂綿を桜岡に渡した。 「打つぞ、いいな」 真下の声と近くで見るピストル状の注射器を見て 桜岡は恐怖はあったが、もうどうでもなれと思い 「ハイ・・・」と小さな声を発し自ら注射を打つ事を認めた 右腕に注射器をあてがいアンプルから赤黒い薬を注入した。 一瞬チクリと感じたがあとは全く普通で注射器を机の上に置いた真下が心配そうに桜岡の顔を覗き込んだ 「どうだ何か感じるか?」 桜岡は予想より、痛みも高揚感も何も無くなんだか変に残念な感じもし 利いているのかな?まぁいいか副作用も無さそうだし これで帰って塩田と映画でも見るかと考えた。 真下がポツリと言う 「お前の左ひざをこの薬で完全に治し事ができる・・・」 真下の話を聞き、ある疑問が湧き上がって来た・・・ 「えっ?」 何故俺の左ひざの故障を知っているんだろう? と桜岡は真下を見ながら・・・ 真下には左ひざの事は教えていないはずなのに・・・と真下に向かい話そうとしたが・・・ 「どうして左ひざの事を・・・・うっ・・・」 グラングランと天井がまわり部屋全体が歪み始め真下の顔が グニャグニャと歪になっている 立っているのか寝ているのかわからない 遠くから真下の声が聞こえたような気がした。 と同時に左ひざや節々に火箸を刺されたような痛みと熱さを感じ 昏倒した。 真下が俺を覗き込むような顔が一瞬私の脳裏にぼんやりと残り 記憶が無くなった・・・・・。 テーブルの引き出しには桜岡が打つはずだった アンプル入りの未使用の注射器が残っていた。 回想終わり・・・ 「何故死んだんだ・・・動物実験だって成功したのに・・」と 真下は結果的に殺してしまった事を悔やみそして 今後の対応を悩んだ。 「とんでも無い事をしでかしてしまった」 思い悩み考え導き出された結果を受け止め 警察に電話をかけようと思いソファーから腰を上げたとたん 地下から大きな音と声が聞こえた 「「ガタン、・・・うわぁ~~~~・・・」」 肩をビクンとさせ驚く真下、地下の研究室の向かった。 一瞬扉を開けるのをためらったが恐る恐る開け 暗がりで何やら動いている死んでいるはずの桜岡のベットを凝視した。 「あーーーーーー」 真下は今まで生きていた中で一番の驚きと恐怖をないまぜにして驚いた。 先ほどかけたシーツが覆いかぶさり 地下研究室の空気口から漏れる日の光で白いシーツが反射し余計に目立ち まるで西洋のゆうれいのようになった物体がベットにちょこんと座っていて 怖さを倍増させていた。 そのシーツが物体から「シュッ」と床にずり落ち 人のような形をした物が真下の方を見ているのを薄暗い中でも確認できた。 生き返っちゃった? 腰を抜かすほど狼狽し半分ほど開けた扉のノブを 片手で手の甲にある古傷から血が出るほど強く握る事で平常心を保ち、 何とか目の前に起きている信じられない現象を理解しようとしていた。 その物体は微かに動き確信は持てなかったが桜岡だったらと思うと 真下には余計に恐怖とすまない気持ちでいっぱいになっていた。 震える手で灯りのスイッチを探り、研究室の灯りをつけ 改めて桜岡らしい物体を確認した。 真下は無意識に扉を閉め3歩ほど前に進み若干震える手で桜岡を指差し 「どうして・・・・・?」と思わず言葉が出た。 桜岡の方も気が付くといきなり真っ暗で 変な布状の物が顔を覆い息苦しいような感覚と恐怖で飛び起き叫び声をあげてしまい 灯りがつくと険しい顔の真下がこちらに指差し何やらつぶやいているのを見て 恐怖を感じていたのと状況を知りたいので真下を指差しほぼ同じタイミングで 「何で・・・・」と叫んだ。 真下は彼の方へ恐怖もあるが 不可思議な現象を現実に見て2歩3歩と歩みを続け もう一度桜岡に話しかけた。 「桜岡か・・・?」 目の前にいるのは確かに顔かたちは桜岡なのだが 自ら死亡を確認したのに生き返るはずはありえないし、超常現象を信じる主義でもないし 座ってこちらを見ている桜岡をどうしても認めてはいけないという感情もあっての言葉だった・・・ さらに語気を強め 「桜岡かっ!!」 桜岡は真下の大きな問いかけに呼応するように 「何言っているんですか俺ですよ」と真下の真剣な顔を見て呆れるように言った。 「何で俺、裸なんですか?」 とベットから落ちているシーツを拾い上げ下半身に巻いた。 真下は彼の様子をつぶさに観察しながらベット脇まで来て 「先注射を打ったのは覚えているか?」と早口で捲し上げた。 桜岡は右腕の注射で打たれた部分をさすりながら 「えぇ覚えていますよ」 真下は尚も早口で 「その後は・・・・・」と荒っぽくたずねた。 桜岡は少し考えながら 「天井がぐるぐる回り体が熱くなり気が付いたら裸で・・・・」 真下は桜岡の言葉をさえぎるように、大きな声でゆっくり確認するように言った。 「何か、自分の体に違和感や痛いところはないか?」 桜岡は彼の言われるままに、とりあえず裸の自分の体をチェックし いつものトレーニング後のクールダウンの時のように 肩をまわしたり首をぐるりと回したり 恥ずかしいのか真下に見られないようにシーツをめくり上げ 下半身をしばらく眺めて、照れるように真下に言った 「べ、別に・・・普通ですが・・・」 一瞬怪訝そうな顔をする真下だが、聞いているのは「そこ」じゃあないと言う様に 「もう一度聞くが、何か体や気分・・・そうだ、昨日喫茶店で塩田と何を話した」 桜岡は座りながらも体を揺らし足首を掴んでぐるぐる回しながら 昨日の喫茶店での塩田との会話を思い出し 「昨日は・・・塩田とプリンアラモードを食べて・・・」 「寮を出た後にあいつの借りているマンションに・・・ん?」 何故昨日の出来事を真下は知っているんだと疑念を感じたのと 先ほど注射をした時、左足の故障の事を知っていた彼の会話にも違和感を覚え 「どうして、それを知っているんですか?」 「それから・・・」 真下はもう桜岡の目の前まで来ていて桜岡の言葉を無視しているかのように 厳しい顔を桜岡の顔辺りに近づけよく独り言のようにブツブツ言いながら観察し さらに嘗め回すように 「触っていもいいか?しっかりと診察したい・・・」 桜岡は自分の質問を無視された上、かってに診察されるのに怒りを覚え 「まず俺の質問に答えてほしい」 桜岡の剣幕に目の前の奇妙な現象からわれに返ったように 「何の質問なんだ?」 と言い返し、桜岡の怒りをさらに炎上させた 「だから、何故俺の左膝の故障と昨日の塩田と喫茶店に行ったのを知っているのか・・・」 一瞬困った表情を見せながらも目の前の出来事の探究心が沸いている真下が 「わ・わかった、わかった・・・とりあえず君の体を診察してから、君の疑問に答えよう・・・」 ゾンビ誕生 触診、機器を用いての診察、何回も同じ検査をしても結果は皆同じ 導き出された答えは予想通り・・・でも、ありえない状況に戸惑っている・・・ さすがに桜岡も彼の慌てぶりと、機器の音や目盛りを横目で見ながら 自身の体が尋常ではない状態になっていると感じていた。 3度目の触診で桜岡のぶたをを大きく指で開き目を診察し、指を離し なかなか戻らないまぶたを見てため息をつき、 よろよろと考え込みながら少し離れたソファーに腰掛け腕を組んだ・・・ 桜岡は自身の体の具合と、先ほどの疑問の答えを聞きたく急かすように真下に聞いた。 「あの疑問の答えと、俺の体はどうなったんですか?」 観念したかのように真下はこれまでの真実を話した。 「まず、君にしでかした事を謝罪する」 と組んだ腕を膝に置きかがみこむ様に桜岡を見ながら語った。 「君は私の事を検索し、ある程度知っていると思う・・・」 「私も君を数年前から調べ知っている・・・性格、身体的特徴、血液型、友達、親親戚」 「だから君の左ひざの怪我の具合も当然知っている」 「昨日の喫茶店も私があの時、陰に隠れて君達の会話を聞いていた」 「そして、君はこう尋ねるだろう、何故そこまでして個人のプライバシーを調べあげるのかと・・・」 真下の話を聞き桜岡は呆然としていた。 真下はさらに 「君が大学3年の時から私の研究の候補として調べ上げていた・・・」 桜岡は搾り出すように 「研究????」と言った。 真下は覚悟を決めたように立ち上がり桜岡の方に向かい、さらに真実を告げた 「君は合格した、体格、精神力、性格、どれをとってもパーフェクトだった・・・」 「だから私はとりあえず公園で仕掛けてみた・・・」 「もっと言うなら、君の早朝のランニングコースも調べ、あのベンチでストレッチをするのも調べ上げていた」 「十分に、調べたのに・・・こんな事になってしまって申し訳ない」 桜岡は彼の話を信じられないような顔をし、聞いていたが 「お・俺をどうしようとしたんですか?」 真下は桜岡をやさしく見つめ、 「超人にしたかった・・・ヒーローを誕生させたかった・・・」 桜岡は険しい顔になり 「狂っている・・・」 とベットから飛び起きこの部屋から出ようとするが、足腰の力のコントロールが聞かず 崩れ落ちそうになるところを真下が彼を抱え込み助けた。 真下は突然言った 「落ち着いて聞いてくれ、君はもう死んでいる・・・」 桜岡は一瞬何がなんだか分からず 「えっ?」 と自分に何か起きたのか分からずにもう一度慌てながら 「えっ・・・どういう事ですか・・・?」 抱きかかえられながらも桜岡は足をばたつかせ抵抗し尚も荒い言葉で真下を糾弾した。 「うそだ、俺に何をした、このヤロー」 桜岡よりはるか年配の真下を振りほどく事もできず 自分の体が思ったように動かず情けなく足だけが自分の意思で関係なく動いているのを見て 桜岡は慟哭いていたが目からは涙が出ていなかった。 真下は強く抱きしめ桜岡に言った。 「とにかく落ち着いて聞いてくれ・・・聞いてくれる・・・な?」 と彼にやさしく桜岡をベットに誘った。 桜岡は突然の死亡宣告や、どうやら実験動物のように計画的に注射を打たれた怒りはあったが コントロールの利かない体と今後の事を悲観的に考え 観念したかのようにベットに座りなおした。 真下はベット横の丸椅子に座り、ベットで落ち着きつつある桜岡に言った。 「君は死んでいる・・・」 「信じられないだろうが・・・これはまぎれもない事実だ・・・」 下を向き真下の話を聞いて子供のようにしゃくりあげ 目を手でこすり泣いている 先ほどありとあらゆる検査をしても結果は死んでいる結果を伝える残忍さはわかっているが 桜岡にも覚悟をもってほしいと思い尚も語る。 「自分で脈を取ってみなさい・・・」 桜岡は自分で脈を取ってみた・・・ 「「・・・・・・・・・ドクン・・・・ドクン・・・」」 桜岡は泣き顔の顔を上げ真下の顔を覗き込んだその頬を一筋の涙が流れた。 「真下さん、脈が聞こえる・・・俺、生きている?」 またもや信じられない事が起こっている、死体が生き返った現象も驚いたが 今度の現象もさらに驚いたが興味深い現象とも思った。 「えっ、まさか・・・」 真下は桜岡の白くなった右腕をまさぐり脈を取ってみた。 「「・・・ドクン・・・・ドクン・・・・・・」」 確かに脈打つ鼓動が聞こえたがやがて小さくなった・・・」 真下は混乱した、検査したときは確かに脈は取れなかったし 身体的には死んでいる状態だ、もしかしてこの急に脈が鼓動したのも なにかしらの今の状態に関連があるのだろうか? 今の状況は・・・、映画で言うとゾンビの状態だよなと思った。 桜岡が不審に思いながらも自分の体をつねりながら 「痛っ、ほら、真下さん俺の体痛みを感じますよ。」 真下はすぐさま桜岡の体を検査し、つねった患部は確かに生気が戻ったようになっている やがて元の状態に戻った。 「もう一度脈を1分間ほど計ってくれ・・・」 真下は桜岡の行動に目を離さぬよう脈を取っている姿や 体のありとあらゆるものを観察し この状況下でありえない事が起きている現実を信じるのか否か 独り言のように頭の中で考えが廻っている。 真下は冷静に桜岡の行動をつぶさに観察し 心の中で行動を反芻している。 座りながら下を向き右手で脈を測り・・・・ 先ほど、慌てていたけど桜岡の目から涙が出ていたような・・・ 泣いていた、目を右手でこすっていた・・・・ つねった時も、右手で・・・・右手? 先ほどの身体検査では両手は調べたが手のひらはじっくりと調べていない それに手術用ゴム手袋を使い検査したし、と今はめている医療用ゴム手袋を見て 「そうか・・・・」 真下は医療用ゴム手袋を手荒に脱ぎ捨てた。 桜岡は言われるまま脈を1分ほど計り 「あのぁ~1分計ったけど・・・」 「よしっ」と言うや否や桜岡の左手首付近を素手で調べた。 素手で触ると改めてよくわかる温かい感触と脈打つ感覚 やがて脈が弱くなり体の温度も下がる。真下は確信したように 「右手を出してくれ」 桜岡は恐る恐る右手を出し真下は自身が考えた理論を確かめようと握手をした。 「やはり・・・そうだったか・・・」 桜岡の右の手のひらは温かい、生きている そして彼が右手のひらで触った部位が少しの間生き返る・・・ 「右手のひらのみ、私の薬の作用が出ている?・・・」 真下は自分の右手の古傷が綺麗に消えている事にも驚きを覚えた 「これは・・・とんでもない事が起ころうとしているのか・・・」 真下の理論をはるかに越える現象が桜岡の体を通して 起きつつある事をかなり興奮していた 一人興奮している真下を横目に桜岡が自分の手のひらを見ながら 「真下さん、俺はこの先どうなるんですか?」 ハッとわれに返り真下は桜岡に答えた 「残念ながら肉体は死んでいるが、生きている、言ってみればゾンビ状態だよ」 桜岡はゾンビというワードを聞き、咄嗟に体のあちこちをさすり 「ゾンビって・・・俺、体硬くなっていないし、意識も痛みも感じるし・・・」 真下は納得し悲しい顔をしながら 「そう、今はな・・・・」 「♪」 突然研究室の桜岡の衣類を入れた籠から音楽が流れた、 桜岡ハッと気が付き研究室を見渡し、小さなデジタル時計を見つけ 時間を確認した。 「塩田からだ・・・」 塩田とは今日の午後映画を見に行く約束をしている、真下に目で合図して出ていいか確認した。 真下は自ら桜岡の衣装を入れた かごの中からスマホを見つけたが一瞬躊躇した 桜岡にスマホを渡したとたん彼が警察を呼んでくれなんて言い出さないか あるいはこの出来事を塩田に話さないのか悩んだが それで警察に捕まるのもしかたがないと思い おとなしく桜岡に渡し大きく頷いた。 桜岡はスマホを受け取り一呼吸おき、電話に出た。 「おぉ、塩田?・・・・・・」 桜岡は塩田に警察を要請するように言おうか迷ったが この異常な状況を考え 「ごめん今日急に用事が出来ちゃって・・・えっどうしてって??」 桜岡は冷たい目で真下を見ると、 真下は申し訳そうな顔をして手を合わせていた。 桜岡は慌てながら 「ま・まぁとにかく今度昼飯おごるから今日はごめん、ちょっと急いでいるんで」 と急いで電話を切った。 真下は桜岡を見ながらホッとしたように安心し白衣のポケットに片手を突っ込んで 「後は寮に電話するのと、彼女にも今日帰らない事を連絡してくれ」 と命令口調の言い方をした。 しばらく帰れそうに無いのは直感していたが、 現実に帰れないと思うと不安感が増したが、真下に皮肉をこめて言う 「僕に彼女がいる事も知っているんですね。」 あんな狂ったように泣き叫んだ桜岡も落ち着いたようで 自分が死んでいる事、でも生きている事、 明日以降大変な事になりそうな現実が待っているのを覚悟し崩れそうな心を 真下に精一杯の悪意ある笑顔で無理やり精神的安定を保たせようとしていた。 真下はそんな健気な桜岡を見て 「とりあえず2時間ほど休憩しよう」 真下は研究室の片隅の机の引き出しをゴソゴソしスマホの充電装置を投げて渡した。 「まぁこの事態は話さないでくれ、後は自由でいいよ」 と言いながら真下は研究室を出ようとし振り向き様に 「一応鍵をかけるが、これは安全のためだから・・・」 「「ガチャリ」」と言う音が地下の研究室に大きく響き渡り なんともいえない恐怖を感じた。 今このスマホで警察に助けを呼べばすぐに警察は来るだろうが 俺はどうなる?死んでいる?嫌死んで無い? 逃げたい?いや、もう逃げられないと自問自答し右手のひらをジッと見て 「俺・・・本当に死んだのかな・・・・」 陸上部の寮に連絡し親戚の不幸がありしばらく寮に戻れない旨を話し 彼女にも電話で直接会う事が出来ないと伝えたが・・・・ 強引な彼女の言葉に従っていた。 母親にも電話をしようと思ったが、心配させると思い控えた。 友人等からもLINEが入るがスルーした・・・。 ベットに寝転び目をつぶるが眠れない、時間が長く感じる。 スマホの電源を切った・・・・ 眠れないが”ホワン”とした全身が痺れるような感覚が訪れ気が遠くなるが 右手を握るとそれが治まる。 座ってみたり、横になったり、 少し歩いてみたりもしてみた 歩く事は出来たが、何かスケートに乗っているような感覚がしてグラグラする。 空腹感は無いのだが何かわからないが、何かほしい気持ちが湧き上がる・・・ 体中の筋肉が波打つような感覚自分の意思と関係なく時々足や体がピクンと動く 寝転びまた痺れを感じ、気が遠くなる・・・・気が遠くなる・・・ 能力者  「ピピピピピ・・・・」 桜岡は目が覚めた・・・ そこは良く見慣れた寮の我が寝室スペース 同室の下級生のいびきが聞こえる 桜岡は寝ながら首を動かし、デジタルの置時計の時間と曜日を確認した。 「はぁ~~~、リアルな夢だった・・・」と小声でつぶやきながら ゆっくりベットから起き、スマホを取ろうとした時の右手が ミイラの異様な干からびた手に驚きおもわず声を出してしまった 「ヒッ!」 左手を見ると半分腐り、そこからウジが沸いて出ている スマホを取り自分の顔を確認すると、顔面が溶けかかり窪んだ目に驚き 「うわぁ」 手で顔面を触るとどろどろの皮膚が崩れ骸骨が露出し目玉がずり落ちた。 「うわぁ~~~~~~~~」 思わず顔面や目が実際に手で崩れ落ちていないかを確認した。 気が付くと遠くの方から声が聞こえる 「ドンドンドン」 「お~~い、いるんなら返事しろ~」 真下が大きな箱を持って何やら地下室の研究室の扉の外で話している。 何で外から話しているんだと思いながらも桜岡は真下に反応した。 「いますよ。」 真下はまたもや大きな声で 「君は誰だ?」 トンチンカンな質問かなと思ったが、 ふと考えると真下が俺が俺では無くなっていると思っているのならば仕方ないとも感じた。 「真下さんに騙されて注射を打たれてゾンビになった桜岡です・・」と 皮肉をこめて大きな声で言った。 「ガチャリ」 苦笑いを浮かべて真下が実験室に入ってきた 「具合はどうですかぁ~?・・・」 桜岡は軽蔑したような目で真下を見たがこの状況を解決できる可能性があるのは彼だけと思い 「まぁ、変わりが無いですが・・・」と冷たく答えた。 真下はそそくさと桜岡の近かずきしゃがみ込みながら様子をみ体を触診し 脈をとっても生体反応の無い体を頷きながら 「うん、とりあえず変わらずか・・・」 「だが、肉体は硬直していないし、脳と右手はむしろ活性化している」 と桜岡の右手を両手で握りながら話した。 苦笑いを浮かべた桜岡がフト出入り口の扉を見て 「あの箱は何ですか?」 真下は出入り口の方向を見て思い出したかのように扉の方に歩き始め 「あぁ~そうだ」 そして3~4歩歩いた時、ハッとし振り向き 「どうして、扉の外にある箱の存在に気が付いたんだ」と桜岡を見た。 桜岡は指摘されるのが不思議かのように 「えっ、だってそこにあるでしょ」 と箱があるであろう所を指をさして言った。 真下は驚きを隠せないように 「見えるのか・・・?」 桜岡は普通に感じ見えた事を報告していたが 確かに研究室の壁で隠れて見えないものが自分には見えている現実に少し驚きかけている 「ええ、なんとなく見えていましたが・・・確かにそうか・・・普通見えないですよね」 真下は扉の外の箱を研究室に入れ込み 「この箱の色や形はわかったか、で、この中に何が入っているかわかるか?」 桜岡は真下の矢継ぎ早の言葉に戸惑いながらも 「影のような感じに見えたし・・・中身は・・・う~~ん、見えないです。」 と集中して見ようとしたが今は見えなかった 真下はもう1つ質問をした。 「目を右手で触ったか?」 桜岡は気絶状態の時に見た悪夢を思い出し 「そういえば目を触りました・・・」 真下は納得したように 「そうか・・・右手の力で一時的に視力に新たな能力を得たのかもしれないな・・・」 独り言をブツブツ言っている真下に業を煮やし桜岡が怒ったように 「いったい僕はどうなるんですか・・・」 あれやこれや考えていた真下が桜岡の大きな声に気が付き 「おぉ、そうだった」 と研究室の隅にあった重そうな机をベッドの近くまで引っ張り込み 大きな箱を開け桜岡を見ながら 一つ一つ子供に示すように丁寧に 机の上に液晶のテレビとノートパソコン、消臭剤、お菓子、カップラーメン化粧品等を置いた。 「とりあえず君はここで一定期間検査のために暮らしてほしい」 桜岡は今の現状では当然の判断だが 真下の子供をあやす様な言葉使いと所作と命令口調に苛立って 「いったい検査はあと何日かかるんですか?」 と破棄捨てるように真下に尋ねた。 せかせかと研究室を桜岡のために快適に過ごさせるように整理している真下の動きが止まり すまなそうな顔で桜岡を見て 「今のキミの状況は厳しい事はわかっているね?」 「・・・でも必ず治すから・・・・」 真下は明確に検査や治療は何日までかかり、治す事が出来るのか言わなかった それは桜岡も自分の置かれた尋常ではない現状をわかっているので 真下にそれ以上、突っ込んで罵倒したり意見を飲み込み天井を向き「フ~~~ッ」と息を吐いた。 この嫌な空気を消すように勤めて明るく真下は 「とにかく・・・とにかくだ、キミは生きている、意思はあるんだ」 キンコ~~~ン 研究室のモニターに玄関付近の映像に作業員ら5人ほどが映り込んでいて 真下は待っていましたと言うように玄関にいる人々の対応をしている 「よし、今から彼等の対応に行くから少し待ってくれ・・・」 真下はポケットからおもちゃのような手錠を取り出し困った顔で 「悪いがキミにこれをかけるのを許してほしい・・・なっ」 と許しを請うような寂しげな目をした 桜岡は異論や拒否感はあったが仕方ないとも思い黙って彼に同意して手錠をかけられた 真下が研究室から1階に出ようとした時に桜岡が不意に 「先電話で明日、彼女がこの家に見舞いに来るみたいですよ。」 真下は驚いたように開けようとした扉から手を離し 「そんな重要な事をどうして早く言ってくれないんだ」 イラつき話すが、玄関の作業員の事も気になり 「まぁ・・・とにかく、その事は後で話し合おう」 「それからちょっとこの研究室がしばらくうるさくなるが黙っていてくれよ」 そそくさと階段を上がり玄関を開け真下が対応している声が辛うじて聞こえた。 研究室のモニターには玄関の様子が映っているようだが ベットに手錠でくくられているので見えないし おもちゃの手錠なので本気になれば壊れそうなのだがあえて壊そうともしなかった。 ただ真下と玄関の作業員達が気になり右手とベットが手錠でつながれているので 体をからバキバキと何かが折れるような音がしていたが無視をして 異様な体勢で右手をしばらく耳にあてがい 真下達の会話を聞いてみた。 少々感度が悪いラジオのようにいろんな言葉が聞こえてきて 自分の意思で真下等の声を聞きたいと思ったとたん クリアに音声を聞く事が出来た。 真下はいつもの事のように作業員達と2トンユニック車と2トン車を招きいれ 外から直接地下の研究室に入れるところに誘導し 作業員達も良く知っているように、地下にユニックで重量物を下ろせるように準備をした。 作業員の責任者が 「真下さん今日は珍しい依頼ですね。」 と2トン箱車の扉を開けそこにある棺おけと、防水シート、大量のドライアイスを見せた。 桜岡の遠くまで聞こえた聴力は5分ほどで無くなったが こんどはそんな能力を使わなくても騒がしく 重機が動く音と人がざわざわしている声がしている。 この研究室を良く見ると地下から1階に上がる扉の他に隣の研究室らしい所に行く厳重な扉の他にも 大きな観音扉がある事を確認し、彼等の話から そこから日ごろ研究室へ実験装置や重いものを運んでいる事がわかった。 真下の「開けるぞー」とのわざとらしい言葉から観音扉の鍵が開き 真下が桜岡に向かい 「ちょっとここに人が入ってくるからしばらくおとなしくしてくれ」 と大きなシーツのようなものを桜岡が寝ているベット全体にかぶせた。 作業員が何回も外階段で何かを運ぶ音、何か大きな荷物を運ぶ音 そして人がこの研究室に入ってきて隣の研究室の何やら搬入している音 真下が作業員に何やら指示をしている声 1時間ほど音がしていたがやがて作業員の声とトラックの遠ざかる音がして 研究室は静かになった。 真下が地下への階段を降り研究室の鍵を開け研究室に入ってきて 真下はシーツを取り手錠をはずし桜岡にやさしく語りかけた。 「すまなかったな・・・」 真下は正直に桜岡のこれから体調と生命維持に必要な ドライアイスの事、棺おけ、その他諸々を搬入した事を伝えた。 「と言う事だ、あくまでも簡易の対処ですぐにもっと良い物を用意するから・・・」 「それよりだ・・・」 「キミの彼女の事だが・・・」 24時間後の桜岡 あれから約24時間がたった 桜岡の様態の変化も見られた 当然ながら生理学的には死んでいるが死後硬直が起こらず 腐敗進行も遅れている。 詳しく体を調べる機器が無いので何ともいえないが触診や簡易検査の結果は 本人の意識、意思はあり、右手の平に強力な治癒能力を持ち その手を自身の体の部位に一定時間触っていると その部分が驚異的に働き活性化される事がわかった ただしその効果も今のところ短時間に終わりまた元に戻ってしまう。 死んだマウスに右手をかざす実験をしたが マウスは生き返らなかったが外傷は治す力がある事がわかった。 真下自身も実験体となり自傷し桜岡の右手の治癒能力を試し 見る見るうちに傷が消える現象を確認した。 その能力を使った後の桜岡の疲れが見て取れ 連続的に治癒能力の実験を控え右手にカバーをして様子を見ている。 肉体的には下半身の筋肉の発達が見た目でもわかり普通に歩けるようになった 言語は明瞭、視覚、聴力はあるが味覚、触覚、は無いのでこの24時間で7回ほど骨折をしているが 右手の力で瞬時に治すことが出来た。 痛みは右手のひらしか感じない。 ただし右手の力を使うとその部位には痛みや生命活動が一時的に復活し 部位によっては驚異的な能力を手に入れた。 右手の治癒能力を自身の部位に触った一時的に手に入れられる結果 (現在わかっている実験結果) 1、視力は無機質や生き物全ての透視能力を手に入れた 2、聴力も人間に聞こえない音もわかり遠くの声も自分で仕分けて聞く事が出来る。 3、嗅覚、人がわからないような臭いや毒薬なども臭いでわかる 4、味覚、舌に右手の力を使うと味を感じられるが生きている時代とは味覚が変わった。 5、体中の骨折も右手により治る。他人より自分自身の方が治りは早い 6、脳、人の考えている事や動物が何を喋っているかはこの力ではわからないようだ 7、右手の効果は長時間部位を触っていても今のところ5分しか効果を発揮できない 8、感情に波があり怒りっぽくなっている。 その他、各からだの部位で緩やかな腐敗の進行具合が違い 脳はまったく人間と変わり無く、右手の治癒能力は驚異的である。 この緩やかな腐敗を防ぐため簡易的に用意した棺おけに防水シートを張り ドライアイスで埋めたところに桜岡を寝かした。 呼吸をしていないのでドライアイスから出る二酸化炭素の心配はいらない ただし根本的な腐敗を防ぐため、防腐剤の注入による肉体の変化の実験も考えている そわそわと研究室を普通に歩く桜岡 見た目は完全に普通の人間だが、圧倒的に具合が悪そうな顔色であり 皮膚が収縮しているのか不精ヒゲが伸びているような顔をしている。 真下は腕組みをして困り果てながら 「ウ~~~ン、キミの彼女か・・・・」 真下は当然桜岡の他にも関係者もちろん彼女である佐々木七美の事も調べ上げ ある意味危険性も認識していた。 「何時に来る・・・」と真下が桜岡に尋ねた 部屋中を歩き回っていた桜岡が真下の方へ振り向き 「午後3時です・・・」 真下は研究室にある時計を見ながら 「絶対2時には来るな・・・」 桜岡も同意したようにコクリとうなづき 真下は、この研究室に彼女を迎えるのはマズイと思い2階の意ある客室を 一時的な桜岡が病気で寝ている部屋にするよう 「よし、今から2階に移動しよう」 その前にこの顔色はまずい、化粧をして後はこれをもっていこうと 桜岡に消臭剤とマスクをポンッと手渡した。 最強の彼女 キンコーン、キンコーン、キンコーン彼女の性格を現すように 矢継ぎ早の3回のチャイム 予想通り時計は午後2時を指している。 桜岡には病人使用で肌を見せないように手袋と靴下をはかせマスクもし部屋には消臭剤 体には真下愛用のコロンも吹きかけた。 真下と桜丘は顔を見合わせ 「準備はいいな」 「メールもLINEも拒否しているな」 「私はキミのおじさんという事」 桜岡は 「はい・・・」 「僕は風邪を引いて寝ている事」 「あれから電話もメールLINEもしていません」 お互い目で合図をし頷いた。 真下は彼女の出迎えで1階に降り玄関を開ける音がした。 真下は彼女をもう何回も見て全て調査済みなのだが 初めて会ったかのように 「いやぁ~~ようこそ・・・えぇ~~~と・・・」 七美は真下の話をさえぎる様に薄汚れた白衣と無精ひげに、 眉間に皺を寄せたががすぐさま 「こんにちは、桜岡君のおじさんですね?」 「桜岡君は何処にいますか?」と 甲高く早口で理路整然と真下に話した。 真下はちょっと慌てて 「えぇ~~と・・・」 すかさず七美が指を指しながら 「1階ですか、2階ですか?」 真下は慌てて 「2、2階の部屋にいますので、さぁ、ぞうぞ」 真下の言葉が終わるか終わらないうちに七美は2階へ上がる階段付近まで歩いていった。 桜岡が階段を上がってくる七美の足音で 彼女の今の心境を表すようにこちらに近づいてくるのがわかり もう一度手鏡で、顔の化粧や体から発する臭いを点検し 真下に言われた無精ひげは病人らしいから残せと言ったが 剃らなかった事を後悔した。 そして真下愛用の時代遅れのナイトキャップをかぶり、布団を鼻元までたくし寄せ彼女を待った 「ガチャ」 七美とベットに寝ている桜岡の目が合った 瞬間、緊張と少しの不満顔の七美の顔から笑顔が零れ落ちた。 「モッチー、大丈夫?」 桜岡茂と佐々木七美は学部は違うが同じ大学に通い 陸上部と大学新聞部という関係で付き合いが出来 彼の入院で親密になり1年前から本格的に付っている間柄で 積極的な彼女と全てにおいて従順な桜岡という関係性で じつは怪我続きで諦めかけていた陸上競技を大学4年まで続けてこれたのも 彼女の励ましや助言によるものだった。 桜岡の顔を見つめながらすばやく彼の方へ行こうとしたが 何かの異変に気が付いたのかあたりを見渡し臭いをかぐ素振りを見て 「ねぇこの部屋なにか変な臭いがしない?」 七美は窓の方へ行き、古びた観音開きの窓を全開した。 2階に移動中に外の光と風景は少し見たが24時間前までは普通に見ていた 午後2時の日差しと外の風景に めまいが起きそうな感覚に陥った。 七美はバックをベットのそばに置き ベットのそばにある椅子に座り桜岡の様子を観察しながら手を桜岡のおでこに当てようと伸ばすが 桜岡はとっさに体をよじりおでこを触らせないようにし 自らベット内で手袋をはずし右手の力を利用して自分のおでこにあてがい 自分でおでこの熱を測る様におどけ 彼女におでこの熱を見てくれと言うようにアピールした。 七美は桜岡のおでこに手を当て 「う~~ん、それほど熱はないわね」と言ったが 先ほど見えたしわの多い右手の甲の様子が気になり 「どうしたのその右手・・・」と熱の事より右手の変化が気になっていた。 桜岡は照れながら 「風邪を引いた影響で体が乾燥してしまってさぁ・・・」 直感的に明らかにいつもと違う桜岡に七美はさらに 「顔色も悪いし・・・」 「それに・・・そんなコロン使っていたっけ?」 全てばれていると思い、桜岡は緊張したが そこに真下が花瓶と紅茶を持ってやってきた。 「茂君は風邪でどうやら脱水症状が出ていて十分水分を取り薬を飲まし安静にさせているんですよ」 七美は紅茶と花瓶のお盆を受け取る。 真下はニコリと笑い 「私も一応医者なんで大丈夫ですよ」 「ただ彼は少し弱っているから、ね、」 と置時計を見ながら間接的に早く帰りなさいと言った。 七美も十分承知したように、花瓶に持ってきた花を差し入れようとしたが バラの棘がささり人差し指から少し血が出たが桜岡に気を使わせないようにした。 タッパーに入った食べ物を桜岡に渡し 「これ後で食べてね、あまったら冷蔵庫に入れといてね」 マスクで隠れているがニコリとした表情の桜岡が 「わかった・・・」 違和感はあるが桜岡の笑顔と声を確認し熱もそれ程ない事で 少しホッとしたのか 先ほどまで開けていた窓を閉め 「寒いだろうけど換気は頻繁にね」 「それじゃあ私、・・・帰るよ」 桜岡は思わず 「えっ、もう帰っちゃうの?」 と本来なら今の状況を悟らせないために彼女を早く返したのだが 思わず本音の言葉を発してしまった。 七美は持ってきた花束のゴミをバックに入れて 「うん、モッチー元気そうなのをわかったからそれでいいんだよ」 笑顔の彼女を帰らすのは後ろめたさがあったがこれ以上バレるのも怖かった。 七美はこの部屋から出る前にもう一度桜岡の方を向き 「今度は電話やLINEに出てね」 と頬を膨らませ怒っている素振りを見せた。 桜岡はすぐさま 「わかった、明後日の記録会には出るから・・・」 つい記録会に出るなんて言ってしまったが 今の俺は出られるのか、走れるのか、そこまで生きているのか彼女を見ながら考えてしまった 彼女は明るく 「無理すんなよ」と いつものように人差し指を立てて左右に振るしぐさをした。 桜岡は右手を布団から腕が完全に出ないように出し 「ん、ナナちゃん握手」とおねだりした。 ささっと桜岡の方へ戻りスカートで手の汚れを擦り七美は握手をした。 桜岡の右手の温かさに、今まで感じていた 何ともいえない不安感と違和感が晴れたように 七美はニッコリと微笑んで 「じゃぁね、あとで電話するから出ろよ」 残り香を残して出て行った・・・ 桜岡は右手の力で自身の鼻を触り 彼女の残り香と花瓶のバラの香りを鼻空いっぱいに吸い込んだ。 そして右手を目にやると一筋の涙が流れた。 1階の居間で真下と話している七美、扉が開き出て行く音 そして、真下が2階に駆け上る音 「ガチャリ」 真下はホッとしたように 「はぁ~~帰ったよ・・・」 真下は桜岡に向かい少し厳しい目で 「バレてないだろうな」 ベットに座っている桜岡は実際には家の壁と外の木々で 邪魔になり見えないのだが 彼女が帰って歩いていると思われる外の風景を見ながら 「何も言わなかったけど、彼女は何か察知したかも知れない・・・」 険しい顔の真下は彼女の洞察力を十分わかっているしこの先、 桜岡の事を隠し通せるとは思っていなかったが 「今バレるのはダメなんだ・・・今は・・・」 一瞬の静寂が流れたが 真下の険しい顔が柔和になり 「まぁ~とにかく・・・少し休んで地下に移動して検査をしよう」 「明後日の記録会に参加するんだろ」 桜岡は真下を見て 「えっ、聞いていたんですか?」 真下はニヤリと笑った。 大きな洋館から歩道を歩く七美 先ほど恋人である桜岡に会い様子を伺い嬉しいはずなのに 何ともいえない違和感と一方で何ともいえない幸福感が入り混じり とりあえず桜岡にLINEで励ますコメントを入れてみた。 「ん?」 右手で操作している指先を見て 先ほどバラの棘が刺さり出血したのにと思いあらためて指先を見てみた 「あれっ?傷が無い・・・?」 先ほど桜岡と握手した手を見ながら考え込んだ 「・・・・・どうして・・・・?」 驚異的成長 その日彼女が去った午後3時過ぎ地下の研究室に行く前に 桜岡は2階の部屋から出て中庭にいた。 真下が桜岡の状態を見て大丈夫だと判断して中庭に出した。 ただし桜岡がまぶしいと言ったのでサングラスをかけさせ 肌が直接太陽に当たらないようにタイツやマスク、帽子でガードさせた。 桜岡は西日のまぶしさに戸惑い、 昨日まで見ていた風景に若干の違和感を感じていた事を真下に報告した。 「緑色が違う・・・木が葉っぱがいつもより薄いような黄色いような・・・」 すると真下が 「何か風景や体の違和感があれば正直に言ってくれ」 風景の違いに戸惑いながらも、真下の言葉に従い 周りの風景の色を見て感じ、風は少し吹いているようだが感じる事は出来ず臭いも感じない 鳥の声、遠くから車の音は明瞭に聞こえる、肌に感じる寒暖さはまったく感じない事を つぶさに報告した。 真下がメモ帳に彼の報告を書き込みながら 「風景はすぐに脳が補正し昨日の風景のようにじきにもどるだろう」 「そして聴覚の方は問題なく、嫌、むしろはっきり聞こえるようだ・・・ただし」 真下は険しい顔を作り 「風を感じたり温度を感じる事、臭いをかぐことも今の段階では取り戻すのは難しいだろう・・・」 真下は自分の右手の平を桜岡に見せ 「この力を使えば一時的に能力は戻るがな・・・」 桜岡は真下の言葉を聞きつつ、次第にいつもの癖のように柔軟体操をしだし パンパンと手のひらで体を刺激し屈伸運動を繰り返していた。 ただ汗もかかないし、息も上がらない体を不思議と感じていた。 桜岡は思いっきりその場でジャンプしてみた。 その跳躍力に驚いたのは真下の方だった 「おっ、なんだ・・・・」 桜岡は当然のようにその場で垂直とびを何回もしながら涼しそうな顔で真下を見ている。 「え、?そういえばいつもより飛んでいるかも?」 真下は桜岡に近づき 「ちょ、ちょっと止まって・・・」 と言い、その場でしゃがみ込み桜岡の両太ももを大事そうに両手で撫ぜてみた。 まったく息切れをしていない桜岡は触られている感覚は無いのだが なんとも変な気分になっていた。 真下は太ももの皮膚は死んだ体のように弾力は無いのだが 中にある筋肉はブリブリと発達しているのがわかり表面皮膚との感じとの違いに 驚き感心していた。 真下はおもむろに立ち上がり 「これは・・・凄い・・・では今度は柔軟度を調べてみよう」 桜岡はスッと座り込み大またを開いて前屈をして見せた かなりの角度で曲がるが思っていた程ではなく、柔軟度は残念ながら期待値まで行かず ただベキベキと骨が折れる音がして即刻中止にした。 痛みを感じられない体は限度を知らず強引に曲げたゆえの骨折 少し骨折部分を右手のパワーで治癒し5分ほどで元に戻った。 真下はその後、反射テスト、瞬発力テスト、バランス力等いろんなテストを試みた結果 柔軟性以外は全て常人とかけ離れパワーを持ち右手のひらの力を用いると よりパワーを獲得できると確信していた。 最後に真下は彼の得意種目でもある短距離を走らせた。 「ちょっと走ってみるか」 桜岡は30Mほど直線で走れそうなところに歩き クラウチングから自分からスタートしようとした。 真下は慌てて時計を見て 「ちょっとタイムを計ってみる・・・よ~~し、ヨーイスタート!!」 真下は声を出して驚いた 「あっ!!」 30Mほどある直線の庭をものすごい速さで駆け抜け、庭の木に当たって転がる桜岡がいた。 広葉樹の葉がバラバラと雪のように舞い落ち 「だいじょうぶかぁ~~~」 と真下は息を切らして駆けつけたが桜岡の様子を見て驚いたように 「お、おい・・・生きているか?」 そこには変な方向に足が捻じ曲がり、真下を見ている桜岡が 「昨日死んでるから・・・」 と皮肉を言ってみた。 夕焼けに反射され陰影を深く残す桜岡の絡まり変形された体を見ながら 真下と桜岡はこの先の覚悟を共有した。 1階居間ソファーにて 辺りは薄暗くなっていた。 真下が宝物を愛でる様に桜岡の体を触り調べている 桜岡は先ほど全体的に骨折した部分を治し今は右足に右手の平を当て あれほど変形していた右足がもう治ってきている。 真下がその足を見ながら 「凄い治癒能力だ・・・そして、あの走りは驚異的だ」 桜岡は屈伸運動をしながら、高いジャンプをして 「明後日の記録会出られるかなあ~」 真下は呆れながらも真剣な顔をして 「あの走りは驚異的過ぎるんだ・・・わかるだろ?   早すぎるんだよ」 桜岡は少し不満顔で真下に口を挟んだ 「でもあなたは記録会に出させてやると言ったでしょ」 そう言いながら右手で左腕をさすっていたので、かゆみを感じているのか ボリボリと皮膚を掻いている。 真下は強い口調で 「キミの能力は危険すぎる・・・もう少し時間が・・・」 真下の言葉をさえぎるように桜岡は大きな声でいい 先ほどまで掻いていた左腕の」掻き傷から体液が流れ出していた。 「貴方は俺を実験動物のようにしか見ていないのでしょ?」 一瞬痛いところを突かれたと感じた真下は下を向き黙ったが 「そんな事は無い、キミを救いたい・・・」 桜岡は怒りの表情で 「うそだっ」 怒りに任せ思いっきり左の拳をソファーにたたき付けるとソファーの足が壊れた。 そして左腕から痛みを感じ苦しんでいる桜岡 「痛っ・・・」 真下は心配しながら駆け寄り左腕を診た。 左腕は折れているし、それ以上にベソファーを壊すパワーに驚きを隠せないでいる。 「とにかく右手を折れたところに当てなさい」 真下は壊れたソファー足が壊れ斜めになってこちらを見ている桜岡に言った そして真下は 「キミが自分の力をコントロールできたら絶対記録会に行かせてやる」 真下は桜岡の目を見て真剣になおも 「明後日までがんばろう・・・な・・な」 真下は許しを請うように、子供をあやすように桜岡に言った 桜岡は一時われを失ったが今はもう正常に戻り 真下を悲しげに見ていた。 真下はニコリと笑顔を見せ 「さぁ地下研究室に行こう」 桜岡を先に歩かせ地下に降りる後姿を見ながら われを忘れるほど感情的になる姿に一抹の不安を感じた。 この日の午前中、業者に頼んでおいた簡易ベットに 研究室右奥の機密性のある扉を開け桜岡をいざなった。 地下実験室では簡易ベットであるドライアイスを入れた棺おけに入り 体中に脳波形等計測装置の線に繋がれ 桜岡はおとなしく入り真下の質問に答えている。 2時間後、真下は桜岡がいる簡易棺おけを隣の研究室から ガラス越しに見、脳波計やモニターをチェックしながら 桜岡のこれからを考えていた。 彼が怒った時の肉体的なパワーを危惧していたが、一方でこのパワーを使えるとも思い いかにして彼に怒りのコントロールとより強いパワーを持続的に発揮できないか あるいは右手のひらの治癒能力の研究にもっと力を入れ本当の意味での超人を 作りたいとも思っていた。 桜岡の右手の平の細胞サンプルしたプレパラートを灯りに照らし取り出し眺めていた。 実験室にある時計のデジタルが事実であるならば午前3時 真下は隣の研究室にいる事は直接は見えないが、右手の力を使って確認していた。 桜岡は眠ることなく棺おけの中にドライアイスとともに押し込まれ白いスモークの中 あれこれ考えをめぐらしていた。 「「「俺はこの先どうなるんだろうか??」」」 映画のように突然ゾンビとなり人間を襲うのだろうか? あるいはこのままあの男、真下の研究用モルモットとして生きるのだろうか? 唯一ついえるのは。医学に疎い自分でももう昔のようには戻れない事は感じていた。 「俺はどうなるんだろう・・・」 「どうしてこの家に来てしまったんだろうか?」 後悔と自分自身の浅はかな考えに悔やんだりもした。 そして本来睡眠に使っていた時間をどうすればつぶせるのだろうかとフッと思った。 このドライアイス入り装置が良かったのか、急な意識喪失は起こらず時計を見ると朝を迎えた。 「記録会か・・・」 そうして検査や少々肉体的運動を伴う同じ日を もう一度繰り返し眠れない朝をまた迎えた。 程なく真下がやってきて 「おはよう、気分はどうかな?」 と言ったが桜岡には皮肉と受け取り 「最悪ですよ、2度殺す気ですか?」と棺おけに入れられているジョークを軽く飛ばした。 桜岡に取り付けてあった計測機器らを取り外し 昨日頼んでおいた急遽アマゾンで取り寄せた全身タイツを着るように命じた。 もちろん皺になっている肌を隠すためと臭いを防ぐ目的なのは理解したが 子供のころよく見ていた 何処かのバラエティーで見たタイツそのものでおもわず 「モジモジ君・・・」と言ってしまったが、真下は意味がわかっていない様子だった。 真下が気を使い研究室から出て行き 桜岡はタイツを持って研究室の隅にある鏡の前に立ち 全身タイツを着る前にまじまじと自分の裸を見た 肌の色が最悪に悪いし背中やお尻にかけては赤黒くなっている。 肌の弾力は無くなり、触って押すとはりの無い肌がそのままの状態で陥没している。 あぁ人間ではなくなってしまったんだと実感した。 ただ筋肉はアンバランスに発達している部分もありこの2日での激変に戸惑っていた。 階段を上がり1階の居間に行くと真下がやさしい目で待っていた。 傍らには桜岡がここにきた時の服装がぎこちなくもきちんと折りたたまれていた。 「おぁ来たか・・・」 真下はよりいつそう笑顔になり彼を迎えた。 桜岡は少々はずかしそうに照れながらも彼の前に歩み寄り 「まさか僕がこんな格好をするとは・・・」と 自虐的に喋った。 真下は桜岡の格好が似合っているような笑顔をし 「今日の午後の記録会のためこの服装で最終チェックをしよう」 「その前にこれを着て中庭に出てくれ・・・」と ドライアイスの入ったモコモコのダウンジャケットと 雪山に登るようなドライアイス入り厚手のズボンを桜岡に渡した。 見た感じまだ残暑の残る秋空に似つかわしく無いような 丸々太ったような異様な格好の桜岡は帽子とサングラス、マスク、厚手の手袋で 完全に南極観測体のような格好で中庭に出て行った。 前日より格段の安定感で走り、桜岡も今の走りに適合しようと いろいろ走り方を研究しているようだった。 そして最後に真下が 「さぁ~最後に脱いで走ってみよう」と言い 桜岡はダウンジャケットやズボンを脱ぎ捨て軽くその場飛びをして 30Mダッシュをした。 凄い走りに驚く真下に桜岡がうれしそうに歩いてきた。 真下は驚いている顔から我に返り 「よしっ、早く家の中に入ってくれ」と言った。 ドライアイスの冷気で地下の実験室は 凄く冷え込んでいる。 体のチェックのため各種検査装置を取り付け グラフを見て確かめている。 真下が納得したように何度も頷き 「よし、数値はまったく問題ない」 少し休んで大学に行こう 真下はこれまでのデーターを見ながら 彼の驚異的な肉体と何故体が腐らず 筋肉が硬直しないのかある仮説を立てて 彼の体内にある体液がまるで不凍液のような役割に 変化していて滑らかに体が動くと推論していた。 ただ・・・午後からの記録会で 長時間日に照らされる体を心配していた。 「腐敗が進まなければいいが・・・」 真下は受話器を取り何やらどこかに連絡をした。 3時間後 「さぁ出発だ」 真下の掛け声に全身タイツの上ここに来た日の服装を着て武装し 凛とした表情の桜岡が日の光を浴びた。 すぐさま洋館の前に待機していたワゴン車に真下と桜岡が乗り込み 青梅国際大学に向かった。 運転手は真下の親友でマッドサイエンティストと言われ 学会を追われても影で支援をしてくれた藤原医院院長 真下は桜岡の事を打ち明け記録会の後に 藤原病院で本格的に桜岡を調べる約束もしていた。 真下は桜岡に 「この運転手は俺の悪友でね、信用できる」 運転しながらも右手を上げ後部座席に挨拶をする藤原 「よろしく・・・藤原です。」 「事後報告になってすまなかったが、後でこいつの病院で精密検査をする」 桜岡は知らないところで物事が決められている事に腹を立てたが 今は記録会に集中する事に心がけた。 「はぁ」と気の無い返事が彼の抗議だった。 「さぁここまでだ」 真下の言葉でドアを開けると 見慣れた大学の校舎内の駐車場 体にドライアイスを詰め込み 真下と一緒に歩いてグラウンドの方へ向かった 記録会青梅国際大学グランド 正門から入り校舎へ続く大きなイチョウの木が居並ぶ通りを 少し歩いた先にある校舎を横切り 木々に埋もれた森の中を通ると開けた所があり にすり鉢上の大きなグランドと青梅の町並みが現れた ひと目でこの大学は運動部に力を入れているんだろうと思うほどの 立派なグランドで、その中で何人かのランナーが贅沢に動いていた。 散歩コースになっている整地された グラウンドを見渡せる 遊歩道のベンチを見つけ陣取る桜岡と真下 桜岡がグラウンドを見つめ、遠くからでも特徴ある動きで誰だかわかったが 右手を目にしばらく当て、見ると 双眼鏡で見るように彼等の顔がはっきり確認できた 桜岡はグラウンドに来るときは この通路をよく使っていたが 今の目で見る校内風景やグラウンドの違和感と 木々が揺れ風が吹いていたであろう感覚が肌に感じない恐怖と 音もラジオを通じて聞こえるような感覚に戸惑い 自身の五感に変調をきたしている事を実感するとともに この先もこんな生活をしなくては成らないんだというのを覚悟した。 それを見越してなのか真下が 「やはりキツイか?」 桜岡は何気ないしぐさで今の自分に感情を見透かされたのか あるいは記録会のグランドに行くのを嫌がっていると思われているのか分からないが 少々の自分の荷物を真下にたくし 「それじゃ行って来ます・・・・」 グランドに行こうとする桜岡を呼び止め真下が 「最終チェック」 と言い、桜岡のサングラス、帽子、マスク、全身タイツ、体つきすべて嘗め回すように調べ上げ 最後に彼に向かい 「あのパワーは十分注意して使えよ」と言い 彼を見送った。 グラウンドを軽快に走り練習している生徒達が突然グランドの脇から現れた 全身黒尽くめのサングラスタイツ男に驚き 一斉に彼の奇抜な服装を見いってしまった。 星野監督がその全身タイツ男に目をやり一瞬訝しがったが タイツ男の綺麗なランニング姿のフォームを見て すぐに彼だと理解し 「おぉ、桜岡風邪は良くなったのか?」 と元気に迎えてくれた。 一瞬照れくさそうなそぶりを見せたが右手をちょこんと上げて 元気よく監督等の方へやってくるタイツ男 ようやくそれが桜岡とわかった親友で同級生の塩田がよって来て 「おいおいその格好は何なんだよ」 桜岡は照れながらも 「実は風邪を引いて蕁麻疹が出ちゃってさぁ」 とおどけて見せた。 塩田は彼の風貌の変化に戸惑いを覚えたが いつもの話し方であり風邪を引いているようなくぐもった声ではあるが 元気そうに屈伸運動をしている彼を見て素直に受け入れていた。 この日の記録会は通常4年生の送別会を兼ねているが 今回は五輪候補で100m日本ランキング6位 アジア選手権から帰ってきたばかりで桜岡の後輩でもある月岡選手の お披露目式の色合いが強く地元地方紙の取材や 桜岡の彼女である七美が所属している大学のマスメディア研究会も 忙しなく取材活動をしていた。 当然七美は桜岡の奇抜すぎる存在に気が付いたが 知らぬふりをして彼を横目で見ながら月岡選手らの取材していた。 月岡は桜岡の遅れた登場に場の雰囲気が 一気に明るくなる感じを察知し少し憮然とした態度をとりつつ 準備運動をしていた。 冷たい目で桜岡の黒タイツ姿を見ながら 「所詮は道化、走ったら悲しい結果が待ち受けているし・・・」と 独り言で鬱憤を鎮めた。 それらグランドの輪から離れた高台で木々が生い茂るところに 風体の悪い記者とやたら背の高いカメラマン陸上部の面々を吟味していた。 「知念さん、変なタイツ男が現れましたよ。」 とカメラマンはファインダー越しに見る奇異な男の格好を面白がって知念に伝えた 週刊実話パンチの知念は月岡選手のスクープ狙いだったので 突然出てきたタイツの男は無視 月岡の動きをつぶさに観察していた。 「おーい、集まれ、記・・記録会を始めるぞ」 ケーブルテレビが入っているので 少々緊張気味に監督の星野が皆を呼んだ。 それを見ていた桜岡は普段は厳格な監督が緊張している姿が やけに滑稽に見え笑ってしまった。 桜岡の歯をむき出しにして笑っている姿に 月岡は背筋が凍るほどの怖さを覚えた。 「え~~っ今日はケーブルテレビの中継もあります。」 「皆さん一生懸命がんばっていきましょう」 普段使わないような監督の言葉使いに 選手がクスクスと笑いをかみ殺している。 このケーブルテレビも代表候補の月岡の記録と活躍があっての事は 監督一同皆理解している。 それに今日は手動の計測装置ではなく正確な電動の計測系があった。 当然月岡のための記録会の意味合いが強く ケーブルテレビや七美がいる マスコミ研究部の集団も月岡に付きっ切りである。 「さぁ1年から走ろうか~」 緊張気味の星の監督の合図から記録会が始まった。 1年、2年、3年、4年と続き記録はそれなりの低水準 残りはこの日の主役の月岡と4年生の塩田と全身黒タイツ姿の桜岡 秋空の日差しにやられ桜岡が少しふらつく それを見た塩田が 「おい、大丈夫か?」と聞いた。 桜岡はしばらく当たり続けた太陽に自分の体力や体内の水分を奪われる感じがしたし 実際に表に出ている部分の 唇や指先がかさかさになっているのが分かった。 「あぁ、大丈夫、最後の走りだからな・・・」と 桜岡は気丈に塩田に語った。 その風景を横目に見た月岡は わざとらしく大きく屈伸運動をはじめ 捨て台詞で 「卒業するお二人ともお怪我をしないようにお願いします。」と 皮肉たっぷり言い放った。 月岡は上級生の2人に付き合う走りなんかしないし 当然言い記録を出してぶっちぎりの1位でこの記録会を閉めようと考えていた。 ただ強い向かい風2.5~2.7の影響で 自己新は出ないと諦めていたがそれなりの速さで 回りを驚かせてやろうと目算を立てていた。 スタートラインに立ちスタート版に足を入れ神経質に調整する月岡 その姿を見る、塩田と桜岡はのんびりスタート位置に付き そのまま調整もせずにスタート版へ フンッと2人のもう走りを諦めたかのように感じた月岡は 位置に付き静かになったときに2人に聞こえるように呟いた 「こんなやつ等に負けるか・・」 位置について、ヨーイスタート!! 軽いピストルの音がグランドに響き渡る。 真下は桜岡だけを凝視した。 心の中でどうか無事にこの競技が終わり早く戻ってきてくれと願った。 そしてあのパワーをセーブしないとえらい事になると思っていた。 念仏を唱えるように 「桜岡よ、怒るなよ、怒るなよ、怒るなよ・・・」 取材で来ている桜岡の彼女である七見も 一昨日の彼の様子に一抹の不安を抱きつつ やさしく見守っていた。 ただし記録を狙うと言うより 無事に走り終えて欲しいという事だけを祈りつつ・・・ 驚異的な走り ピストルの音に反応よく飛び出したのは 当然であるが月岡であった。 短期間の海外でのダッシュ練習で身につけた 獣のように低い姿勢から飛びす走りで あっという間に2人に差を広げた。 塩田もそれなりに反応はしたが 所詮は10秒4秒台の選手であり 月岡のダッシュスタートには当然かなわない 完全に遅れたのは桜岡であった。 自分でも苦笑するほどのスタート失敗 筋肉が思うように反応しないのもあるのだが 直前の月岡の怒りの一言に感情が高ぶっていた。 「クソっ」 ふがいない自分と怒りが混ざり合い、コメカミ辺りが熱くなるような感覚に襲われ 感情を爆発させた。 「あいつを抜いてやる・・・」 星の監督は3人のそれぞれの走りを見て 納得していた。 少し自分勝手である月岡も短距離走では まじめに取り組みオリンピツクを目指し日々努力しているのを評価しているし あのダッシュスタートは努力の結果だと認識していた。 4年の2人にしても卒業の意味合いを込めて感慨深く見ていた。 記者の知念も当然と言う顔をしながら 他の2人と距離を広げた月岡のロケットダッシュを 腕組をして眺めていた。
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