森林浴

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森林浴

 週末の朝、起きたてでテレビをつけると丁度天気予報をやっている。 「……今日は関東・甲信越地方全域で朝から穏やかに晴れています。絶好のお出かけ日和ですね……」  実際、俺の部屋の窓にも、既に明るい陽射しが燦燦と差し込んでいる。空を見上げると雲一つ無い青空が、まるで早く出てこいと言わんばかりに視界いっぱいに広がっている。  降水確率も、どこも0か……よし、久しぶりにドライブとしゃれこむか。  お気に入りの音楽を流しながら、西へと走る。軽快なメロディが流れる車内は陽光で溢れ返り、嫌が上にも気分が高まってくる。時々「一人でドライブとかしてて寂しくないか?」とか、変な気遣いをする奴もいるが、まったくもって余計なお世話である。一人身の長い俺としては単独行は慣れたものだし、好きな音楽をかけながら、気持ちの赴くままに自分のペースで車を転がしていられるこの時間は、俺にとって何物にも代えがたい貴重なものなのだ。  今日は特に渋滞も無い。特に焦る旅でもなく、ぽかぽかした陽光を楽しみながら流すように運転していると、ぼちぼち正午になってきた。丁度サービスエリアが近くなってきたので、そこで昼飯を食べることにした。  腹ごしらえは済んだが、まだまだ十分時間がある。丁度真上に昇った真昼の太陽に照らされて、気温はぐんぐん上昇している。涼味が恋しくなった俺は、早々と森林浴をしに行くことにした。  お目当ての森林地帯の近くまで車を進める。駐車場には充分空きがあり、苦労せずに入れることが出来た。いつも森林浴のお供にしているリュックを背負って早速歩き出す。目の前には奥深い森が延々と広がっている。  森の中に分け入ると、すぐに心地よい涼気が肌を冷やしてくれる。生い茂る木々の葉が陽光を丁度良くブロックし、柔らかい木漏れ日が差し込んでくれるので、周囲の景色も見える。落ち葉や下草や苔に覆われた、緩やかな起伏のある地面の深い緑の色も楽しめる。  少し速足で森の奥の方まで進んでいく。五分ほど歩いたところで、空気の中に幽かに森の匂い以外のものを感じた。俺の感覚に訴えるあの匂い……ひょっとして獲物か……動物に帰って、勘を研ぎ澄ませながら、匂いの源の方へ歩き出す。はたして、ものの三分もすると前方の地面にお目当てのものが見えて来た。地面に横たわるそれが、近づくにつれてだんだんはっきりとした形をとってくる。間違いない。人間の体が横たわっているのだ。  足下に横たわるそれは、長い髪をした女の死体だ。比較的新しいと見えて、まだあまり腐敗は進んでいないようだ。仰向けに寝転がり、安らかな表情で胸の前で手を組んでいる。傍らに空になったガラス瓶が転がっており、覚悟の睡眠薬自殺というところだろう。まあ、死因や動機は俺には関係ないが。  早速ボディチェックにとりかかる。まずは青い上着のポケットには何もない。次にデニムのパンツを探す。足先で死体を転がして俯せにしてヒップポケットを探す。小銭入れが一個出て来た。開けてみると硬貨が何枚か光っているが、ざっと見た所では500円玉は見当たらない。  ふと左手を見ると、中指に指輪をしている。色味から見てトルコ石のようだ。まあ、パチモンの可能性もあるが、一応これも貰っておくか。あとで、ゆっくり鑑定してもらえば良い。左手を持ち上げて、捩じるように回しながら、指輪を抜く。途中、中指が「パキッ」という音をたてた。指が折れたようだが、死体は勿論何も言わない。大人しいものだ。  かがんだまま、チェックを続けたが、結局他に金目のものは無かった。 「何だよ、これっぽっちかよ」  周囲に誰もいないので、思わず大きな声で悪態をついてしまう。  まあ、しょうがないだろう。そもそもこんな所に自殺しに来るような奴が金目の物を持っている方がおかしいのだ。小銭入れと指輪をゲットしただけでも良しとしよう。  手をパンパンとはたいて立ち上がった時、俺の視界に、もうひとつのものが飛び込んできた。  今まで地面ばかり見て歩いていたので気付かなかったが、立ち上がりざま何気なく顔を上げたら、少し離れた場所の高いところに、それがあった。  まずは、ゆっくりと左右に揺れている男物の靴。さらに視線を上げると、木漏れ日の中に、ロープで吊り下げられて振り子のように揺れる首吊り死体の全身が、はっきり見えた。  立て続けに獲物を見つけるなんて、これはツキが回って来たということか。今度は期待できるかもしれない。急ぎ足で死体の方へと向かう。  森の中にそびえる大木に張り出した太い枝に、白いロープが結ばれている。かなり高い所だ。3メートルぐらいあるだろうか。何でこんな高いところまで登ったのだろう。他に良い枝がなかったのか。それとも最後くらいあたりを俯瞰しながら大らかな気分で死にたかったのだろうか。あるいは、死後に野良犬なんかに食い散らかされるのを避けたかったのだろうか。  まあいい。俺にとって死因や動機は無関係だ。とにかく、ボディチェックだ。リュックから取り出したナイフを口にくわえて、両手を使って木登りを始める。ビジネスシューズのこいつでもここまで登れたんだから大丈夫だろう。確かに木の肌がかなりでこぼこしており、意外に上手く登れた。  手を延ばして、ロープの付け根に刃を当てる。下に重量がかかっているロープは、切れやすくなっていて、ものの数秒もナイフを往復させるとあっさり切れた。落下した死体が、俺の足下で、ドサッという音をたてた。 ゆっくり地面に降りて、死体を検分する。死後二、三日ぐらいだろうか。まず目についたのは腕時計。一応海外の高級ブランドだ。これも東南アジアあたりのパチモンかもしれないが、一応貰っておく。  次に安物のダークグレーのスーツをチェックする。内ポケットには何もない。上着の左ポケットに硬いものの感触がある。出してみると、スマホだった。古い機種だが、リサイクルショップにでも持っていくか。右ポケットは空だった。  次にズボンのポケットをさぐる。右のヒップポケットから財布が出て来た。開けてみると、3千円ほど入っている。いいじゃないか。やっぱりツキが回ってきたかな。財布のホルダーに運転免許証が入っていた。これには興味が無いが、一瞬考えて財布ごと貰っておくことにした。暗証番号を生年月日にしている奴は結構多いから、あとで獲物のスマホを覗くことが出来るかもしれない。  ボディチェックを終えた俺は、立ち上がると時刻を確認した。3時か。今日はこのぐらいにしておくか。あらかじめ森の入り口で結んでおいたひもを巻き戻しながら、俺は樹海を後にした。  ということで、今日の収穫は、外国製高級腕時計1点(但し、パチモンの可能性もあり)、トルコ石の指輪1点(これも要鑑定)、スマホ一台、そして現金が3,364円というところだ。  思ったよりは、稼ぎになったと言える。こういう場合、ガソリン代や高速代を勘案してどうのこうのという見方もあるかもしれないが、そういう比較は的外れだ。あくまでも俺は単独行のドライブを楽しみにしているのであり、そのついでに気が向いたら森林浴も行うことがある。それだけのことだ。そしてそのまたついでに、そこで落ちている“不用品をリサイクル”しているだけのことである。こういうのを趣味と実益を兼ねて、というのだろうか。勿論、雨がふったり天候が悪かったりしたら、わざわざ樹海まで出かけるようなまねはしない。天気が良くて、深い森の中でも陽射しが差し込んで、何が落ちてるか見えるような日が、やはり“絶好のお出かけ日和”ということになるわけだ。  腕時計と指輪は明日にでも買取業者に持ち込もう。後は、スマホの動作確認だ。電源を入れてみると、一応パスコード画面が表示された。後はコード次第だ。  免許証の生年月日を試しに入れてみると……見事に通った!やはり正解だったのだ。勿論俺自身はそういう数字はパスコードには使わない。  興味があるのは、やはり画像関係だ。写真のアイコンをタップして一覧を見ると、たった一つだけ動画が残っている。興味にかられて動画を開いてみる。 画面には、何となく見覚えのある映像が広がっている。苔むした地面。そのうえに蛇のように這いまわる太い木の根。画面の一部を照らす木漏れ日……これは……  さっきまで俺がいた樹海の映像……?  つまり、あの自殺した男が、この世の見納めとばかりに最後に自分の周囲を撮影したということか。確かに地面の映像は、あの首吊り現場付近の地面の特徴を備えているようにも見えてくる。こいつ、首吊り直前に木の上から自分の足下を撮影したのか。どうせ自分では見る事のない映像なのに。発見されたときに、自分の死ぬ直前の状況を見て貰いたいという未練がましい心理だろうか。 「何だよ、これっぽっちかよ」  画面を見ていると、突然スピーカーから音声が鳴ったので、思わずドキっとした。  え?……今の言葉は……あの場所の近くで、俺がついた悪態……?  なおも見ていると、ザッザッと足早に近づいてくる足音が聞こえてくる。  やがて左上の方から一人の人間が画面に入り込んできた。木の根元まで到達したそいつは、俯瞰するカメラの方を見上げた。  そこに映っていたのは、まぎれもなく、俺の顔だった。
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