復讐日和

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 世の中、なにが許せないって、嘘をつく男。  呼吸をするように自然に、耳ざわりのいい言葉を次から次へささやき続ける男。反吐が出るほど大嫌い。  嘘つきのラスボスのような男、美浦は植物園の入口に立って、待ち合わせていた彼女に手を振っている。 「ご、ごめんなさい。お待たせしちゃって」  美浦のもとへ駆けてきたのは、黒髪をお団子にして引っ詰めた眼鏡女子だった。化粧っ気のない頬をかすかに紅潮させている。  今日のターゲットはこの子らしい。あいかわらず、節操のない男だ。自分にとって利用価値のある相手なら、なんでもいいのだろう。 「大丈夫だよ、由希子ちゃん。俺が早く来すぎただけ。なんか早く目が覚めちゃって。今日のこと、楽しみにしてたから。はい、チケットもどうぞ」 「あ、わ、すみません。あたし、払いますから。いくらですか」 「やめようよ、そういうの。今日は僕が誘ったんだからさ。バラの見頃は過ぎちゃったけど、奥にあるアジサイ園がキレイなんだって」 「あ、ありがとうございます」  大仰に頭を下げる由希子の肩には、大きめのトートバッグが揺れている。 「今日の服、似合ってるね。いつもと違って新鮮だ」 「変、ですか? あの、あたし、あんまり女の子らしい格好したことないから、その、よくわからなくて」 「嬉しいよ。せっかくのデートにオシャレしてきてくれたんだろ?」 「で、で、でー、と?」  わかりやすく動揺する姿が初々しい。こんなピュアな女の子をその気にさせるなんて、美浦はどうしようもなく罪な男だ。 「由希子ちゃんには本当に感謝してるんだ。こんな駄目な俺のこといっぱい助けてくれて、気にかけてくれて」 「そ、そんなことないです。美浦さんは先輩だし、あたしのほうこそ、教えられることばっかりで」 「よかった。俺こんなんだから、呆れられて嫌われたんじゃないかって思ってた」 「いえ、あたしこそ」 「じゃあ、おあいこってことで、これで二人で研究を進めていけるね」  初夏の日差しと、のどかな植物園、それに爽やかな美浦の笑顔。  あ、もう駄目。お腹がよじれて笑い死にしそう。  ていうか死ね、女の敵、人類の敵。  二人はいま、大学院の同じ研究室に所属しているらしい。  まだ学生やれてたんだ、美浦。浪人、留年、プチ留学、学部変更を繰り返していたけど、いま幾つなんだ、あの男。  会話を聞いているうちに見えてきた。  在籍のリミットが迫っている美浦は、由希子という彼女を騙して、論文をでっちあげようとしているらしい。  共同研究とは名ばかりで、大半を彼女にやらせる気だ。発表とかプレゼンとか、美味しいところだけ持っていく気だろう。  研究者の世界がそんなに甘いものだとは思わないが、目の前で一人の女子の人生が捻じ曲げられようとしているのを見過ごすつもりはない。  美浦には、絶対に代償を払ってもらう。  美浦と由希子を追うことに夢中になっていたが、ふとあたりを見渡すと、つばの広い帽子を深めにかぶった紺ワンピース姿の若い女に気づいた。  帽子の女も、広い花壇を眺めるふりをしながら、二人のあとをつけているらしい。 「ねえ、違ってたら申し訳ないんだけど、もしかして、あなたも?」  そっと近づいて声をかけると、帽子の女は手にしていたポーチをかたく握りしめて聞き返してくる。 「え。あの、どちらさま、ですか?」 「美浦と、隣の女の子のことを見ていたんでしょう?」 「どうして、それを」 「わたしも同じだから。今度という今度こそ、あの男に引導を渡してやらなきゃ」 「じゃあ、もしかして」 「そう。わたし達はお仲間ってわけ。あなた、名前は?」 「彩菜、です」 「かわいい名前ね。わたしは千春」 「あの男、まだ同じこと繰り返してるんですね」  アジサイ園を一周した二人は、さらに奥にある小路を進んでいく。  ボートのある池を通りすぎ、サイクリングコースを外れて、人気のない四阿(あずまや)へと入っていった。 「あの、口に合うかどうかわからないんですけど、サンドイッチ持ってきたんです」 「え、由希子ちゃんの手作り? すげー、嬉しい!」 「そんな、たいしたものじゃなくて。パンにピーナツバター塗っただけで」 「俺の大好物だよ? なんか、かえって負担かけちゃったかな」 「いえ、そんなことないです。あたしなんて、休みの日も研究室にこもってるくらいしかすることなくて。趣味とかもないし」  ベンチに腰掛けた二人の様子を、離れた木陰からそっとうかがう。 「あんな真面目で賢そうな子でも、美浦の本性って見抜けないものなんだね」 「男性に免疫ないタイプのほうが、騙されるんじゃないですか」 「それって自分自身のこと、彩菜ちゃん?」 「千春さんだって、同じですよね?」  わたしと彩菜は互いの顔を見合わせて、苦笑するしかなかった。 「おいしいよ。こんな美味しいサンドイッチ食べたことない」 「大げさですよ。あれ、なんだか急に寒くなってきた気が」 「あっち、雲が真っ黒になってる。やばいな。降りだしそう」 「あたし、折りたたみ傘なら持ってますけど」  由希子がトートバッグから傘を取り出したところで、わたし達は二人の前に立ちはだかる。 「騙されちゃダメよ、この男に」 「なんだよ、おまえ。……え?」  怪訝そうな男の顔が、一気に険しくなる。 「美浦がうまいのは口だけ。うまいこと言って、女をまるめこもうとしてるだけなんだから」 「そうそう。騙された女の子がどうなろうと気にもかけない最低な男」  わたしと彩菜の顔を認めて、美浦の顔から一気に血の気が引くのがわかった。 「え、うそ、おまえたちは……」 「わたしを忘れたとは言わせないわ。そうね。忘れてるっていうなら、いまからでも忘れられなくしてあげようか?」 「私のことも覚えてるかしら? 最後の別れにも来なかったこと、私は覚えてるけど」 「千春? 彩菜? まさか、そんなはずは、だって」 「あなたがお別れにも来てくれなかったから、離れられなくなったのよ」 「ひ、ひぃいいいいッ!」  面白いくらいに怯えだした美浦を、間近から覗きこむ。 「まったく、薄情な男ね」 「だ、だって、俺じゃない。俺が殺したわけじゃない! おまえたちが、勝手に死んだんだっ!」 「あなたが借金を返せないと殺されるって言うから、職場に黙って都合してきてあげたのに?」 「腎臓売れって、脅されてるんだって言ってたわね?」 「それが、お金だけ巻きあげてドロン、だもんね?」 「ぐあっ、んぅ、ひぃあああ……!」  恐怖に顔を歪ませた美浦は喉を押さえて、潰れたカエルのように地面にひっくり返って暴れている。 「あら、いい顔色になってきたじゃない? だいぶ、わたし達に近づいてきた?」 「でも、こいつと一緒ってのも、もうウンザリかな」 「だからと言って、このまま放置すると、そこの彼女みたいに被害者が増えるしねえ」  美浦の顔は赤くなり、青くなり、白を通り越して、黒っぽくなっている。口の端から泡が垂れている。そろそろリミットが近い。 「ねえ、どうする、由希子ちゃん? あなたが決めてあげたら?」 「あ、あの、やめてください!」 「でも、こんな最低な奴なのに?」 「こんなところで不審死になったら、あたしが、疑われちゃいます」 「それもそうね。美浦、あんた命拾いしたわね」 「ま、あんたが次にこういうフザケた真似したら、その時は、わたし達が黙ってないから」 「今度こそ覚えておいて、ね」  わたしと彩菜はにっこりと微笑むと、その場に立ちつくす由希子を置いて立ち去った。白目を剥いた美浦の顔など見たくもなかった。
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