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 車内のクーラーなんかいらなかった。開けた窓から、少し湿っぽい緑色の風が吹き込む。 「ふわぁ、涼しーい」  汗だくの身体が冷やされるのを感じる。車が道路として整備された山道をのぼるにつれて、空の青と木々の緑が濃くなっていく。太陽の光は強いけれど、不思議と不快に感じなかった。  やっぱり都会とは全然違うんだなぁ……なんて、わたしは陳腐なことを考える。 「そりゃ、この辺は避暑地だからな」  お正月ぶり、実に七ヶ月ぶりに会ったおじいちゃんが運転しながら答える。もう七十歳なのに、うちのお父さんより丁寧な運転だ。 「一花(いちか)ちゃん、ここからは九十九折りの坂道よ。気持ち悪くなっちゃわないようにね」  後部座席のおばあちゃんが心配してくれる。わたしが返事をしようと振り返ると、ぱっと四葉(よつば)ちゃんと目が合った。小さくてまるっこい二.五頭身(たぶん)の身体が大きなチャイルドシートにちょこんと座ってる。四葉ちゃんが、ぷくぷくほっぺたで、にこぉっと笑ってくれた。 「可愛いぃ~」  もうそれだけでめろめろだった。今日初めて会った生後七ヶ月の従妹に、わたしは完全に骨抜きにされていた。  そんなわたしたちに、おじいちゃんとおばあちゃんが優しいまなざしを送っていた。 (やっぱり、来てよかったな)  照れくさく感じたけど、わたしは心からそう思った。  小学校最後の夏休み。もうすぐお盆を迎える八月十日。  今日からわたしは、おじいちゃんの家にお世話になる。  期間は夏休み最終日まで。  去年までお母さんたちとお盆に帰省して、三日くらいで帰ったのに、こんなに長く滞在するのには理由がある。  今年の夏が、暑すぎるからだ。  猛暑を通り越して炎暑、いや地獄。梅雨が明けた途端、来る日も来る日もカンカン照りで、気温も三十六度とか三十七度とかで、毎日火あぶりにされてるみたいだった。  学校でもニュースでもSNSでも「熱中症に気をつけて」って口を揃える中、わたしは――まさかのクーラー病になってしまった。  クーラーの使いすぎで体調を崩す。そんなことがあるの? って思ってたけど本当だった。身体中が風邪みたいに痛くて頭も重い。クーラーの冷たい風に当たるだけで気持ち悪くなる。  でもクーラーを使わなきゃ死ぬ。おかげで、夏休みに入ってからずっと家から出れなかった。  どうしたらいいの……って毎日汗と一緒に涙が出て、無駄に水分と塩分を垂れ流していたら、おじいちゃんから電話があった。  ――『一花、おじいちゃんの家に来なさい。うちの村は山あいにあって、地形のおかげで涼しいんだ。クーラーなんかいらないホンモノの涼があるぞ』  食欲が落ちて五キロも痩せてしまったわたしに、おじいちゃんは言った。  クーラーがいらない。なのに涼しい。  わたしは一も二もなく、おじいちゃんの家に行くことを決めた。 「一花、家に着いて一休みしたら川に行こう。今なら鮎が泳いでるし、夜は蛍が見れるぞ」 「あなた、今時の子は川なんかで遊びませんよ」  四葉ちゃんをあやすおばあちゃんが言った。でもわたしは首を振って、 「ううん、わたし鮎釣りやってみたい! 川で泳ぎたい!」  そう言うと、おじいちゃんが嬉しそうに口元を緩めた。四葉ちゃんもきゃらきゃらと笑う。 「――ね、おばあちゃん。さつきおばちゃん、いつ退院できるの?」  無邪気な笑顔を見て、四葉ちゃんのママである叔母さんのことを思い出した。 「予定では来週だって。こんな小さい子がいるのに熱中症で入院なんて、本当に都会は暑いのねえ」 「四葉ちゃん、ママ恋しがったりしない?」 「たまにグズるけど、ずっとご機嫌さんよ。ねぇ四葉ちゃん。四葉ちゃんはいい子だもんねぇ」  おばあちゃんに頬を寄せられて、きゃあ、と四葉ちゃんが嬉しそうな笑い声を上げる。 「ん、さすがワシの孫だ」  おじいちゃんがいわゆるドヤ顔をして、また笑いそうになった時だった。  ドン! ――という大きな音と共に、車が大きくバウンドした。
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