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 おじいちゃんが急ブレーキをかける。おばあちゃんと四葉ちゃんから笑みが消える。  固い空気の中、おじいちゃんが外に出た。わたしも思わずそれについていく。  ドアを開けると、いっそう濃い緑の香りと、熱を含んだ空気がわたしを包んだ。 「あー……やっちまった」  おじいちゃんの、うっとうしげな声。それだけでなんとなく理解できた。  わたしは車体の後部を覗き込むおじいちゃんの方へフラリと向かった。後ろで、おばあちゃんが小さく「やめなさい」と止めたけど。  道路の脇には、文字や絵が薄くて読めなくなった古い看板や、タイヤのない赤い自転車が打ち捨てられている。わたしはゆっくり下を見た。  灰色のアスファルトが赤黒く汚れていた。赤い墨汁をつけた筆でざっと刷いたように、大きな弧を描いている。  鉄の臭いを風が運んでくる。血の臭いだ、と思った。  おじいちゃんの足元に、まっくろな毛が生えた動物が、まっかな血だまりの上に倒れていた。遠目には黒い子猫みたいだけど、 「狸の子だな、これは」  ……狸。  都会育ちのわたしは、狸をイラストや動画くらいでしか見たことがない。ホンモノの狸ってあんな黒いんだ……。  まだ子どもらしい小さな狸に、わたしは歩み寄ろうとした。すると。 「やめろ!!」  鼓膜がビリッと震えた。心臓も一瞬止まる。顔を上げると、おじいちゃんが目を釣り上げてわたしを睨んでいた。  おじいちゃんが怖い顔をするのも、怒鳴るのも、初めて見た。  泣きそうになるわたしに、おじいちゃんは背を向けた。そして狸の血で汚れている道路に膝をつき、ぴくぴくと微かに動く狸に、囁きかけた。 「おまえが悪い」  小さな声だけど、はっきりと。 「おまえが悪いおまえが悪いおまえが悪いおまえが悪いおまえが悪いおまえが悪い」  くりかえしくりかえし。  おじいちゃんが狸に、そう囁きかける。その途中で、狸が動かなくなった。命が消えるのもわたしは初めて見た。  わたしは汗びっしょりだった。でも少しも暑くなかった。 「――ああしないとね、だめなのよ」  車のドアが開いて、おばあちゃんが下りてきた。わたしの横を通り過ぎ、おじいちゃんの隣に立つと、おばあちゃんはサンダルの足先で狸の死体をつついた。 「な、何してるの……っ?」  信じられない思いで、声が引きつる。狸の死体を見下ろすおじいちゃんとおばあちゃん。その横顔は氷みたいだった。冷たくて固い。 「狸はね、わるい動物なのよ。一花ちゃん」 「祟りやすい生き物なんだ。こうしとかんと、こいつはワシらに仕返しに来る」  おじいちゃんも足先で、小さくてふわふわした体を軽く蹴る。「おまえが悪い」と追い打ちをかけて。  よく見ると、狸の目は開いていた。まっくろな目が、おじいちゃんたちを見上げている――ようにわたしには見えた。  おじいちゃんは、安心させるようにわたしに笑いかけた。 「これでもう大丈夫だ」 「さ、早く行きましょう」  おばあちゃんがわたしの肩を押す。ふいにその手を振り払いたくなった。 「あ、あの子……た、たぬき……あのままにしておくの……?」  わたしが尋ねると、おばあちゃんが首を振った。 「死骸を埋めて弔ってもいけないのよ。同情したら付け込んで悪さをする。それが狸なの」  呆然とするわたしを、おじいちゃんたちは車に押し込めた。血の臭いが車の中まで漂ってきて、おばあちゃんが窓を閉める。  四葉ちゃんがきょとんと無邪気な目でわたしたちを見ていた。  出発する寸前、車のサイドミラーに黒い影が映った。小さな狸の死体に、大きめの狸が近づくのが見えた。  もしかしてあの子の親、だろうか。  キュウ、キュウ……  ……キュエェ――エ  そんな声が聞こえてきた。サイドミラーに口を開けた親狸の姿が映る。動かない子狸の姿も。  狸の鳴き声もわたしは初めて聞いた。  ひどく悲しげで、……胸が潰れそうだった。
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