変わる日常

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変わる日常

 夢を見ていた。  そこは暗く、寂しく、冷たい場所だった。  どこかの洞窟だろうか?  自分の体は仰向けになっていて、動かすことはできない。  ああ……またこの夢か、と思うと、足先の方から一層濃い影が這い寄ってくる。  これもまた同じ展開。たぶん結末も同じだろう。  足元から這い寄る影は次第に輪郭を露にし、胸元まで来る頃にはその姿が視認できるまでになっていた。 「だんな様……だんな様……」  白い着物を着た女性が自分に語りかけてくる。  そこで――    『ジリリリリ』    不意の電子音、急に頭を引っ張られるような感覚に思わず目を閉じてしまう。 「う……」  次に目を開くと、カーテンの隙間から射し込んだ光が天井板を照らしているのが視界に入った。  頭の上ではけたたましく鳴り響くRAIJIN製の目覚まし時計。  爆音のアラームが、いつもと変わらない一日の始まりを知らせてくれる。 「またあの夢か……」  俺は頭を掻きながら時計のアラームを止める。  体の鈍りを取るように首を回すとコキコキと小気味の良い音がした。 「あれかね、精神的に不安定になるとあの夢を見るのかね」  悪友が聞いたら大笑いするであろう台詞を口にしてしまったことに思わず苦笑してしまう。  時計を見ると、数十分後には悪友であるアイツ迎えが来る時間だ。  また急かされる前に仕度を済まさないとな。  朝から恋人ではなく悪友の顔を思い出すなんて、俺の人生はなんて寂しいんだろう、と、思いながら毛布を蹴り飛ばして起き上がった。 「おはようツクモ。もう朝餉の準備は整っているぞ」  居間へ向かうと、ちょうどしゃもじ妖怪のミシゲーさんが俺の茶碗にご飯を盛っていた。  毎度の事ながら、自分もしゃもじのくせに、しゃもじを片手にご飯を盛る姿はかなりシュールだと思う。 「まったく、もう少し早く起きてこんか。稚児でもあるまいに」  ブツブツと小言を溢しながらミシゲーさんは俺の席に茶碗を置いた。 「いつもすまないねぇ」 「そう思うのなら少しは自分で準備せんか!」 「大きくなったらね」 「お前が大人になった時にはもういんわ!」  毎朝恒例の台詞の応酬を楽しみながら、俺はミシゲーさんが作った味噌汁をすすった。うん、うまい。 「まったく、こんな事ではこの先が思いやられる……」  ミシゲーさんも小さい箸を手に取ると、ブツブツ言いながらご飯を食べ始めた。  妖怪もご飯は食べるらしい。  以前その事をミシゲーさんに聞いたら、「ご飯を食べると妖力の出力が上がるのだ」と言われた。  妖怪本人からそう言われたので間違いはない。  以来、少なくとも俺の中では妖怪はなにかを喰う(・・・・)と力が出しやすくなるという認識になっている。 『……ということが最近この地区ではあってですね。付近の住民は不安になっているんです』  ミシゲーさんは普段なら食事中はテレビなんてつけないのに、最近はニュースが気になるらしく、食事中でもテレビを見ている。 「また小動物の大量死?」 「らしいな。しかもまたこの町で起こったようだぞ」 「最近この手のニュース多いね」 「ああ。こういうのがある時は大地震とか来るんだ。お前も気を付けるんだぞ」  ミシゲーさんは漬け物を噛みながらなんて事ないように言うが、天変地異の到来なぞ、どうやって気を付けろというのだろうか? 「何かあったら学校で大人しくしているんだぞ。家に居るよりは安全だからな」 「ん、わかった」  そんな何気ないやり取りをしていると、家のチャイムがキンコンと鳴った。 「む、勝也が来たか」 「みたいね。行ってきます」  残りの朝食を掻き込んで食器をシンクに突っ込むと、俺は鞄を担いで家を飛び出した。 「おっすー」  玄関を出ると門扉の前に勝也がいた。外したヘッドフォンから爆音がシャカシャカ溢れている。 「つか俺らさ、高校入って一ヶ月もしないうちに毎日遅刻スレスレで登校するとかワルじゃね?」  勝也はウキウキしているのか、そんなことを言ってくる。  俺は別に好き好んで遅刻スレスレで登校しているわけじゃない。  ただ最近夜になると、妙にリアルな夢を見るので起きるのが苦手なだけなのだ。  勝也にも高校生になったのだから、別に付き合って登校しなくてもいいと言っているのだが、現状、朝の迎えを止めるつもりはないようだ。 「知ってるか? うちのクラスに新しい奴が来るらしいぞ」 「こんな時期に?」 「って言ってもまだ五月だけどな」 「そういえばそうだな」  きっと親の都合で入学が遅れたりしたのだろう。  やんごとない家庭の事情だとはいえ、また微妙な時期にそいつはやって来たものだ。  俺たちが高校に入学してすぐに来たのなら、まだクラスの連中も馴染めていないから溶け込むのは容易だろうが、一ヶ月もすれば気の合う奴ら同士で固まっているから中々上手くはいかない。 「ツクモはどんな奴だと思う?」 「えー、別に興味ないわ」 「かーっ! 枯れてるねえ。俺は可愛くて黒髪ロングの清楚な子が――」  勝也の理想の女子像論は教室に着くまで長々と続いた。  道中それを聞きながら、たしか先週はショートボブで胸がでかくてタートルネックのセーターが似合うお姉さんがいいとか言っていたな、と、ぼんやり思い出しながら適当に相槌を打っておいた。  勝也の女の好みは一週間ごとに変わるので、まともに相手をしていても疲れるだけだ。  もしかしたら勝也は女なら誰でもいいのだろうか?  胸に手を当てて考えてみても、勝也の本心など分かるはずもないので、俺はそこで考えるのを止めた。  席に着くと同時に予鈴がなった。  教室に散っていたクラスメートたちもゾロゾロと自分の席に座っていく。 「どんな奴が来るんだろうな」  勝也は鼻唄を歌いながらジーンズのポケットから折りたたみの式のクシを取り出して髪を整えている。  コイツってけっこうナルシストだよなぁ。隙さえあれば自分磨きをしているんだから。  いくらうちの高校が私服登校可とはいえ、毎日デートにでも行くみたいな服装をしてるし、ことあるごとに「今日の俺は輝いている」とか言って、手鏡で自分の顔を見つめるのだ。ぶっちゃけ少々ウザい。  口には出さずにそんなことを考えていると、教室の扉が開いて担任の高田先生がイスと机を抱えて入ってきた。 「みんなー、静にしろー」  高田先生はイスと机をドカリと教壇の横に置くと、教室の入り口に向かって「入ってきなさい」と言った。  その瞬間―――教室がざわめいた。 「おいおい、なんだよありゃあ」  勝也がぼそりと呟いた。  たぶん教室中の誰しもがそう思ったであろう。  なんせそいつは巫女服姿だったのだ。 「皆様ごきげんよう。白一桃(しらいちもも)と申します。訳あって登校が一月も遅れてしまいましたが、今日から皆様と共に勉学に励みたいと思います」  桃と名乗ったソイツはペコリと頭を下げると教室中をゆっくりと見回す。  ニコリ――   「え?」  その時、俺とアイツの視線が交差した瞬間に、アイツが微笑んだのような気がした。  いや、自己紹介の時から笑顔を浮かべてはいたが、そうではなく、俺にだけ微笑み掛けて来るようなそんな気がしたのだ。 「まさかな」  勝也じゃあるまいし、と、そんなくだらない考えを頭の中から追い出して窓を彩る青空を見る。  若干寝不足気味なのを除けば、本日も何一つ変わらない日常を過ごして帰宅するはずだった。  それは放課後になってからの事である。 「え? 学校の案内? 俺が?」 「はい、(わたくし)本日が初めての登校でしたし、職員室から直接教室に来ましたから、まだこの学校のことがよくご存知ありませんの」 「でもなんで俺に?」  そう聞くと白一は少しだけ悲しそうな顔をした。  いかん、少し態度がぶっきらぼうになってしまったようだ。  休み時間にクラスメートの女子達の反応から鑑みるに、白一を傷付けたという悪評がたってしまえば、噂に尾ビレ背ビレがどんどんついて、俺が悪者になってしまう。  そうなれば女子グループから目の敵にされてしまうのは容易に想像ができる。  あまり馴れ合いたくはないが、それでも敵視されるのは気持ちの良いものではない。 「すまん、別に嫌って訳じゃないんだ。ただなんで俺なのかなって思ってな」 「そうなのですか。それでしたら理由はとても簡単ですよ」 「簡単な理由?」 「はい、一目見て私確信致しましたの。貴方様だって」  いまひとつ釈然としない理由ではあったが、白一が納得しているならとりあえずそういうことにしておこう。薮蛇になるのも嫌だからな。 「じゃあ行くか」 「はい」  俺と白一は鞄を持つと教室を出た。  学校を案内しながら白一と話をしていたが、コイツはこの町に昔からある神社が実家だという。 「私、今世では一度も神社の敷地から外に出たことはありませんの」  そういう白一は何もかもが珍しいらしく、事あるごとにあれはなんだと聞いてくる。 「九十九様、あの大きな溜め池は何ですか?」 「溜め池って……あれはプールだよ」 「ぷーる?」 「あそこで水泳の授業をするんだ」 「はあ、水練の為の場所なのですね」  そんな感じの会話をしながら学校内の施設や設備を解説していく。  時折、白一は時代掛かった物言いをするが、それはたぶん閉鎖的な場所で育ったからだろう。  だからなのか、白一本人も家業を継ぐ気があるらしく、社会勉強と結婚相手を探しに来たのだと、頬を赤らめながら話した。 「白一家は代々黄泉禍津(よみまがつ)神社の奉る神、十六夜之命(いざよいのみこと)を見守る存在として、血を紡いできました。私もその使命を果たしたいと思うのです」  白一は笑顔には悲壮感等なく、むしろ嬉々としている風にも感じられた。 「人それぞれなのは分かるけどさ、決められた人生って嫌じゃない?」  先の事を考えている人が眩しくて、俺はつい嫌味で返してしまう。 「同じことを言うのですね」  だが白一は、嫌な顔一つせずコロコロと笑うだけ。  前にも誰かに同じようなことを言われたのだろう。  もしかしたらクラスの女子たちかもしれない。 「俺は嫌だけどなあ。誰かに決められた人生なんて」 「私は自分で決めたのです。家の者は誰も無理強いなんてしてませんよ」  本当かよ。  そう思いながら屋上へ続く階段を登り切り、白一の方へ振り替えると、夕陽のオレンジ色の光に染まった顔がそこにあった。  逢魔ヶ時に物の怪は活発になる。  ガキの頃、帰りの遅かった俺にミシゲーさんが、厳しい口調で言った言葉だ。  そんなことを思い出してしまうのは、白一が巫女の姿をしているからだろうか。  学校に巫女なんて、ちぐはぐだなと思う反面、妙に視線が吸い込まれてしまう。  不思議な調和、幽玄。  そんな考えが頭を過ぎると、最近よく見る夢のを思い出してしまう。 「九十九様、何か?」 「いや、この時間に巫女ってさ、なんか退魔師みたいだよなって」 「そうでしょうか?」  俺は適当なことを言ってはぐらかすと、白一は不思議そうな顔をした。  俺はドアノブに手を掛け屋上の扉を開いた。 「ここで最後だ」  屋上へ出ると、ぬるい一陣の風がびゅうと吹いた。 「だいたいこの学校のことは分かったろ?」 「本日は私のためにお時間を割いていただき、誠にありがとう御座います」 「頭を上げてくれ白一。そんなに畏まられても困る」  深々と頭を下げる白一の体を上げさせたが、助け起こすような形になってしまったせいで、白一の顔が目の前に来てしまう。  くっきりとした眉の下にあるつぶらな瞳が俺の顔を映している。 「あ、悪い。ついな」  思わず体に触れてしまったことを謝り、離れようとすると、白一は俺の腕をツイと引いて体を密着させてきた。   「九十九様、私のことは、どうか桃とお呼びくださいな」 「ちっ近いって――」 「ね?」  ズイ、と白一の顔がさらに近くなる。  ちょっと顔を前に出せば、キスすることができる距離だ。  白一は大人しそうな見た目によらず、中身は結構大胆な性格をしているらしい。  それにこの体勢を誰かに見られたら、あらぬ誤解をされてしまうだろう。  俺はモラトリアムを平穏無事に過ごしたいんだ。  男女問わずに好意的な注目を浴びている白一とキスしようとしていたなんて噂が広まれば、俺の安らかなる学生生活は瓦解してしまう。 「わ、わかったよ桃。ほら、これで満足だろ?」  俺はそう言って体を離そうとするが、白一はさらに俺の腕を引き込んだ。   「いいえ、桃はまだ満たされておりません。九十九様との百年ぶりの逢瀬……この日をどれだけ待ちわびていたことか……」 「何を……言って……?」  白一が突然放ったトンデモ発言に、俺はポカンと口を開けて固まってしまう。 「何を……? いやですわ。九十九様はこの桃と、永久(とわ)の契りを交わしたではありませんか。……と言っても今世の九十九様は忘れてしまっているようですが。でもご安心ください。必ずやこの桃が思い出させてあげましょう。嗚呼(アア)九十九様……私のだんな様……」  白一は両頬に手を当てて恍惚な表情で顔を(とろ)けさせている。 「まっ待ってくれ白一――」 「桃」  キリリとした顔になる白一。  どうやら目の前の人物は、今日会ったばかりだというのに前世での色恋沙汰を信じきっているらしい。  これは本物(マジモン)の電波さんだ。 「待ってくれ桃。仮に俺とお前が前世で婚約関係にあったとして、今は女同士なんだぞ。結婚は無理だ」 「九十九様、何を言っているのですか?」  白一は子供の冗談に付き合う大人のような微笑みを浮かべて俺の事を見つめてくる。  勘違いさせて申し訳ないが俺は女だ。私服通学が可能で男らしい口調と服装だとはいえ、この事実は変わらない。  それにこの国では同性婚は認められていないのだから、結婚などできるはずもないのだ。しかし―― 「それならばご安心を」  白一は握っていた俺の腕を絡めとると、自分の股下に導いて撫で回させる。  手のひらに広がる柔らかい感触。 「ね? わかりますでしょう?」 「これは……お前……男だったのか」 「これで何も問題はありませんね」  白一はあらかじめこうなることを予期していたかのようにそう言うと、俺の腕を思いきり引き込んだ。  俺より身長も低く華奢な体のどこにそんな力があるのかと思えるくらい、その力は強い。  俺は為す術なく白一を押し倒すような形で倒れ込んでしまう。 「白一っ、こんな所を誰かに見られたら……」 「うふふ、誤解されてしまうと?」  白一は不敵な笑みを浮かべると、目にも止まらぬ早さで身に纏った巫女服をはだけさせた。 「誤解なんてとんでもない。私と九十九様の仲は前世からのものなのですから。それにこの空間には誰も立ち入ってなど来ませんよ。結界を張りましたから」 「けっ結界?」 「巫女ですから。そのようなこともできるのです」  冷静さを欠いた俺は「ああ……巫女だからそんなこともできるのか。そいつはすごいなぁ」と思ってしまった。 「前世のことは覚えていないのに、九十九様は、やっぱり九十九様なんですね」  今やあられもない姿と言わんばかりの半裸の白一がクスクスと笑う。  両親のいない俺にとって、保健の教科書でしか見たことのない部分までがチラチラと見えている。  恥ずかしさで目を背けたいはずなのに、俺は白一の姿から目を離すことができなかった。 「さぁ九十九様、百年前の……いいえ、幾百、幾千年も前から結んでいた約束を果たしましょう」  そう言って白一は両手を俺の首に回す。  そこから先のめくるめく未知なる体験は、夢なのか(うつつ)なのかわからなくなるほど、蠱惑的なものだった。 「九十九様、大変美味(おい)しゅう御座いました」  行為が終わった後、白石はいそいそと身仕度を整えた。 「九十九様はお疲れのようですから、少しお休みになるとよいでしょう」  白石はそう言って三つ指着くと頭を下げた。  先程の捕食者めいた行為からは想像もつかないほど乖離した立ち振舞いに半ば唖然とするしかない。  白石が屋上から出て行ってからしばらくして、俺は重い体を起こすと、這うようにノロノロと帰路についた。 「……ただいま」  やっとのことで家に帰ると、ミシゲーさんのいつもの「おかえり」がない。  疑問に思いつつも居間へ行くと、ミシゲーさんはテーブルの上にちょんと座っていた。  気のせいか朝よりボロっちくなった感じがする。 「ミシゲーさんどうしたの? なんかいつにも増して古めかしい感じだよ」  ボロいっていうとミシゲーさんは怒るので、若干言葉を濁してみた。 「ツクモ、そこに座れ」    しかしミシゲーさんは真面目な顔で一言。  これはまたやってしまいましたなぁ。 「どうしたのミシゲーさん、そんなえらく真面目な顔して?」 「いいからそこに座れ。それにワシはいつだって真面目だ」  俺はミシゲーさんの前に座ると、ミシゲーさんは妖力で四角い何かを取り出した。 「なにこれ?」 「開けてみろ」  真新しい包装紙を破くと、それは二世代くらい前のスマートフォンの箱だった。 「お前も高校生だからな。そろそろこういうのがあってもいいだろう」 「いいの? 今まで俺が欲しいって言っても許してくれなかったのに」 「この先、色々と忙しくなるだろうからな」  ミシゲーさんは含みを持たせた言い方をする。  俺が学校に行っている間に何かあったのだろうか? 「突然ですまんが、ワシはもう長くない」 「……は? なに言って――」  ミシゲーさんの体が一段とボロくなる。  それは俺の気のせいではなかったのか。 「我々のような人の理から外れている存在にも決りというものがある。ワシの場合、お前が子供の間は側について庇護するというのがそれだった」 「俺、まだ未成年なんだけど」 「ワシの時代では既に元服を迎え大人になっとるわ……と、もう時間がない。手短にすまそう」 「マジで冗談はやめろよ。ミシゲーさん」  口の中が乾いてうまくしゃべることができない。  そんな俺にミシゲーさんは箱からス取り出して俺に握らせてくる。 「このスマホにはワシの分御魂(わけみたま)を入れてある。気休めにしかならないが、何かあったときに使え」 「なんだよそれ……意味わかんないよ……」 「大丈夫、お前は一人じゃない。それに勝也もいる。あやつは退魔の血筋を引いているからな。ワシの分御魂よりは頼りになるはずだ」  ミシゲーさんの真面目な顔が和らぐと、また一段とボロくなった。 「ミシゲーさん!」 「では、達者でな」  蛍のような光がミシゲーさんの体から放たれると、ふっ、と、ミシゲーさんの顔や手足が消えてパタンと倒れた。  テーブルの上には古くて所々ひび割れた木のしゃもじだけが残った。  俺は今起こったばかりのことが信じられず、部屋に戻るとベッドに寝転がって目を閉じた。  ――暗い場所。  闇の中に白一の姿があった。 「やっとこの時が……この現し世を要として、高天ヶ原と黄泉比良坂の門を開けるこの時が……」  白一は嬉しそうにクルクルと回っている。 「さあ始めましょう。神降しの儀を。九十九様を覚醒させ、私のだんな様にしましょうね。ウフフフ」  白一は腕を大きく広げると、光を放つ門と、禍禍しい瘴気を放つ二つの門を開いた。  光と闇の奔流で視界が塗り潰される。 「うおっ……夢か……」  気付けば朝になっていた。 「おいツクモ! いるか!」  朝から勝也が家の外で騒いでいる。近所迷惑という言葉を知らないのだろうか?  俺は部屋を出て玄関に向かう。  通り過ぎ様に居間を見ても、テーブルの上は昨日のままだった。  ミシゲーさん……。  扉を開けると勝也がものすごい顔で立っている。 「どうしたんだよ勝也、そんなに焦って」 「この町は死んだ。百鬼夜行が始まっちまったっ!」 「なんだって?」 「説明している暇はない! 早くここから逃げ――」  その時、手に持っていたスマホが突然震え始めた。 『神魔調伏システム起動』  この時の俺は、百年前に闇に葬られた闇黒儀式が再び始まったことなど知りもしなかった。 「嗚呼、九十九様、早くここまで来てこの桃を――いいえ、この十六夜之命の伴侶になってくださいましね。ウフフフ」
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