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海に続く道の話
790 :人目の名無しさん
夢を見てたんだ。海に行く夢。
身体は不思議なことに高校生まで戻ってて、あの頃着ていた濃紺のジャージを身につけている。
星の眠る深い夜。空にぽっかり、そこだけ穴が空いているように現実味のない月が浮かんでいて、だけど不思議と辺りは見渡せた。
夜目にも美しい、どこまでも続く白い砂浜。
ざーんざーん、穏やかに打ち寄せる黒い海。
自分の立っている辺りから、黒い海の波が引いていって、白い砂の道が出来ていく。
海を歩いていける道。ずっと遠くまで行くことができる道。
ざーんざーん、海が自分を呼んでいるのがわかって、いかなきゃ、って、まだ黒い海の、真っ白い道に足を乗せようとした。
そんな時だ。
「行っちゃだめだよ」って、若い女の声がしたのは。
791 :人目の名無しさん
自分の真後ろ、でも少し離れた場所に、女が立っていた。
夢の中の自分より少し年上。ざんばら気味でも綺麗な黒髪、やや伏せられた彼女の目と目が合った瞬間、彼女のことを思い出した。
自分が高校生の頃、一度だけ、自宅近くの公園で会った人。
日付を跨ぎそうな時刻。家に帰れない事情があると、寒空の下、諦めた目をして笑っていた彼女に、家を抜け出してコンビニに買いに行った菓子の袋を押し付けて、なんとなく、彼女のそばにいたあの日のこと。
たった一度、そばにいて、ぽつりぽつりと吐き出される痛みに耳を傾けただけの学生の前に、どうして現れたのだろう。
止められたくない。止められる価値がある人間でもないのに。
ぼんやりとそう思っていると、彼女は困ったように、だけどひどく優しい笑みを浮かべて、笑った。
「君は私に気づいてくれた。あの時の私を助けてくれた。…だから今度は、貴方をたすけるの」
そう言われた瞬間。視界が、泡に埋まった。
792 :人目の名無しさん
生存本能に従って、身体を起こした。
夢は弾けて目覚めたのは自宅の風呂場。どうやら疲労から眠りこけて溺れていたらしい、と気づいたのはこの時。
咳き込みながらなんとなく、あのまま海を渡れば戻ってこれなかったのだろう、きっと眠るように、なんてことを考えた。
鼻の奥に海の匂いが残っているのは、夢の中の記憶か現実か。
ただ、一つ確かなのは、彼女が自分をこちら側へ引き戻してくれたということ。
なんとなく、彼女はもう生きてはいないのだろうと考える。
高校の頃出会った彼女は確かに存在していたけど、あの寒空の下、服装は夏服で、身一つで、何処にも戻れない迷い子のような顔をしていたから。
馬鹿で、ひたすら幼かった当時の自分に思いついたこと、実行できることなんて、消えてしまいそうな彼女の隣を陣取って、彼女と数時間を共にすることくらいのものだった。
たったそれだけの、その場凌ぎの繋ぎ止めだっただろうに。迷惑ですらあっただろうに。
疲れ、弱り、自分でもわからない内に死に誘われていた自分の前に現れ、引き止めてくれた。
──彼女も、あの海の音に誘われたのだろうか。
真っ黒い海に浮かぶ白い道。疲れたのなら戻っておいでと誘う穏やかな波のさざめきに、誰に引き止められるでもなく、足を進めたのなら。
……そんなことを、考えた。
うまくまとめられず、すまない。…何か、彼女のことを忘れないように残しておきたかった。それだけなんだ。
…………………。
もし、もう一度彼女に出会うことがあるなら。どんな形でも、逢えるなら。
次こそは、彼女を救いたいと……そう思う。
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