海に続く道の話

1/1
前へ
/16ページ
次へ

海に続く道の話

790 :人目の名無しさん 夢を見てたんだ。海に行く夢。 身体は不思議なことに高校生まで戻ってて、あの頃着ていた濃紺のジャージを身につけている。 星の眠る深い夜。空にぽっかり、そこだけ穴が空いているように現実味のない月が浮かんでいて、だけど不思議と辺りは見渡せた。 夜目にも美しい、どこまでも続く白い砂浜。 ざーんざーん、穏やかに打ち寄せる黒い海。 自分の立っている辺りから、黒い海の波が引いていって、白い砂の道が出来ていく。 海を歩いていける道。ずっと遠くまで行くことができる道。 ざーんざーん、海が自分を呼んでいるのがわかって、いかなきゃ、って、まだ黒い海の、真っ白い道に足を乗せようとした。 そんな時だ。 「行っちゃだめだよ」って、若い女の声がしたのは。 791 :人目の名無しさん 自分の真後ろ、でも少し離れた場所に、女が立っていた。 夢の中の自分より少し年上。ざんばら気味でも綺麗な黒髪、やや伏せられた彼女の目と目が合った瞬間、彼女のことを思い出した。 自分が高校生の頃、一度だけ、自宅近くの公園で会った人。 日付を跨ぎそうな時刻。家に帰れない事情があると、寒空の下、諦めた目をして笑っていた彼女に、家を抜け出してコンビニに買いに行った菓子の袋を押し付けて、なんとなく、彼女のそばにいたあの日のこと。 たった一度、そばにいて、ぽつりぽつりと吐き出される痛みに耳を傾けただけの学生の前に、どうして現れたのだろう。 止められたくない。止められる価値がある人間でもないのに。 ぼんやりとそう思っていると、彼女は困ったように、だけどひどく優しい笑みを浮かべて、笑った。 「君は私に気づいてくれた。あの時の私を助けてくれた。…だから今度は、貴方をたすけるの」 そう言われた瞬間。視界が、泡に埋まった。 792 :人目の名無しさん 生存本能に従って、身体を起こした。 夢は弾けて目覚めたのは自宅の風呂場。どうやら疲労から眠りこけて溺れていたらしい、と気づいたのはこの時。 咳き込みながらなんとなく、あのまま海を渡れば戻ってこれなかったのだろう、きっと眠るように、なんてことを考えた。 鼻の奥に海の匂いが残っているのは、夢の中の記憶か現実か。 ただ、一つ確かなのは、彼女が自分をこちら側へ引き戻してくれたということ。 なんとなく、彼女はもう生きてはいないのだろうと考える。 高校の頃出会った彼女は確かに存在していたけど、あの寒空の下、服装は夏服で、身一つで、何処にも戻れない迷い子のような顔をしていたから。 馬鹿で、ひたすら幼かった当時の自分に思いついたこと、実行できることなんて、消えてしまいそうな彼女の隣を陣取って、彼女と数時間を共にすることくらいのものだった。 たったそれだけの、その場凌ぎの繋ぎ止めだっただろうに。迷惑ですらあっただろうに。 疲れ、弱り、自分でもわからない内に死に誘われていた自分の前に現れ、引き止めてくれた。 ──彼女も、あの海の音に誘われたのだろうか。 真っ黒い海に浮かぶ白い道。疲れたのなら戻っておいでと誘う穏やかな波のさざめきに、誰に引き止められるでもなく、足を進めたのなら。 ……そんなことを、考えた。 うまくまとめられず、すまない。…何か、彼女のことを忘れないように残しておきたかった。それだけなんだ。 …………………。 もし、もう一度彼女に出会うことがあるなら。どんな形でも、逢えるなら。 次こそは、彼女を救いたいと……そう思う。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

46人が本棚に入れています
本棚に追加