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第2話
強烈な陽射しが目蓋に当たっている。
眩しさから逃れようとして寝返りを打つと、今度は後頭部に強い熱を感じた。どうやら朝になったらしい。
「………」
俺は自分のベッドの中で薄らと目を開け、視界に広がる見慣れた天井に溜息をついた。
今日から夏休みに入ったのだ。40日間の長い休み。高校最後の夏休み。
その第一日目、俺の予定は無し。
「彪史ー」
リビングから母ちゃんの声が聞こえた。ベッドから上体を起こして、枕元のデジタル時計を見る。時刻は午前9時。今朝の気温は29度。
「彪史、起きてる? 起きなさいー」
「……起きてるよ」
吐き捨てるように呟くと、部屋のドアが開いて母ちゃんが顔を覗かせた。
「お母さん仕事行ってくるから。朝ご飯ちゃんと用意してあるから食べなさいね」
「ん」
「それと、お隣の人にこれ持って行ってあげて。クッキーの詰め合わせ」
「え。なんで?」
「男の人の一人暮らしだからね。高いお菓子なんて買う機会ないだろうし、引っ越し祝いみたいなものね」
「そんなことする必要ないってば……。善人ぶるとつけ込まれるぞ」
頭をかきながらあくびをする俺に、母ちゃんが眉を吊り上げる。
「引っ越してきた人に親切にするのは当たり前のことでしょ。お隣は角部屋だから、ウチがまず仲良くしてあげないとね。ちゃんと持ってってあげてよ」
「分かった、分かったよ」
「じゃあ、行ってくるわね」
ドアが閉まり、俺は溜息をついた。
今どき、隣の部屋の住人と仲良くする人間なんているのだろうか。身近にいる相手がどんな奴で普段どんなことを考えているか分からないこの時代、母ちゃんは少し他人を疑うことを学んだ方がいいと思う。そんなだから父ちゃんとも離婚する羽目になったのだろうか?
いや。
男の一人暮らし……。ひょっとしたら母ちゃんの好みのタイプだったのかもしれない。昨日挨拶に来た時に一目惚れでもしたか。父ちゃんと別れたのはずっと昔で、俺が幼稚園に通い始めたくらいの頃だ。母ちゃんはまだ36歳だし、俺が言うのも何だけどまあまあ悪くない容姿だから、この先、余裕で再婚もできるだろうし。
「どっちにしろ、面倒臭せえなぁ……」
とにかく腹が減っている。朝食を済ませてテレビでも見よう。時間は腐るほどある上に、やることは何もない。こうなったら、一日だらけて過ごしてやる。
歯磨きと洗顔を済ませてからリビングに行くと、昨日の夕飯の残りと一緒にテーブルの上に置いてある、いかにも高級そうな紙袋が目に入った。中身は母ちゃんが言っていたクッキーの缶だ。こんな物をあげたところで、甘い物が嫌いな男だっているだろうに……。
「………」
軽く朝食を食べた後、俺はぼんやりと紙袋の中から包装されたクッキーの缶を取り出した。無意識のうちに包装を剥がし、缶の蓋を開けてみる。中に詰まったクッキーはきちんと味ごとに仕切られていて、チョコレート、イチゴ、ブルーベリー、カスタードの四種類がそれぞれ十個ずつ整列していた。
「美味そうだな」
好物のチョコレートはもちろん、カスタードも魅力的だ。果物味のお菓子は好きじゃないからそのままにしておく。俺はテーブル前の椅子に腰かけ、適当につけたテレビを見ながらチョコレートクッキーの封を開けた。
「ん!」
二層になったクッキーの間にチョコレートクリームがサンドしてある、俺好みの味だ。少しビターなチョコレートと、クッキーの甘さが絶妙に重なり合っている。口の中がふわりと柔らかくなるような、そんな感覚。
「……食っちゃってどうすんだ!」
それに気付いた時には、既にチョコレートの列が半分になっていた。
テーブルの上に肘をつき、頭を抱える。何やってんだ俺は。慶介のことがショックすぎて善悪の判断すらつかなくなってしまったのか。
仕方なく俺はクッキーの蓋を閉めて元通りに包装し直し、紙袋に入れてから腰を上げた。適当な服に着替え、そのまま玄関へ向かう。
黙って渡せばバレない。後でバレたとしても、一度あげた物にケチつけられるようなことはないだろう。黙ってスルーしてくれるはず。世の中そんな人間の方が圧倒的に多いから。
隣の部屋は207号室。呼び鈴を鳴らすと、ややあってインターホンから応対の声が聞こえた。
〈はい?〉
寝起きなのか、いやに低い声だった。
「えっと、おはようございます。隣のモンですけど。飯田です」
〈……ああ。何か?〉
「母に渡すように頼まれた物があって」
〈ああ、……ちょっと待ってて〉
それから少しして、鍵の開く音がした。開いたドアから男が顔を出す。
「っ……」
想像していたよりも若く、そしてでかい男だった。身長171センチの俺が見上げるほどの、とにかくでかい男だった。寝ぐせで散らかった黒髪がライオンのようで、それが更に男の巨大さを演出しているようだった。
「ど、どうもこんにちは……。これ、どうぞ」
上からじっと見つめられ、俺は引き攣った笑みを浮かべて紙袋を差し出した。
男があくびをしながら頷き、眠たげな二重瞼を手で擦る。――そしてそのまま、部屋の中へ戻って行った。
「え? ちょっと……」
慌てる俺に、中から男が声をかけてくる。
「入って来い」
「………」
知らない人間の家に入っていいものかどうか。だけど手にしたクッキーの紙袋を渡さない限りは部屋に戻れない。俺は少し考えた後、思い切ってドアを開いた。
「お邪魔します……」
リビングには開封していないいくつかの段ボールが積んであり、それ以外はソファとテレビとテーブル、パソコンの置かれたデスクがあるだけだった。間取りは俺の部屋とだいたい同じで、一般的な2LDKだ。男一人で暮らすには広すぎるとも言える。金に余裕のある人なんだろうか?
「あの、これ。俺の母ちゃんが。クッキーだそうです」
「ん。どうも……」
「あっ!」
紙袋を渡した瞬間、男がその場で包装を開け出したから思わず焦ってしまった。
「あ、あのっ、それ……」
「……なんだ。食いかけじゃねえか」
「ご、ごめんなさい。腹減ってたからつい、食っちゃって……」
「………」
男が露骨に呆れた顔をする。俺は頭をかきながらへらへらと笑うことしかできなくて、そんな自分が情けなくなった。
「まぁいいや。お前、名前は? 俺は柊龍吾だ」
「あ、俺は飯田彪史です。帳が丘学園の、高校三年生で……」
「高校生ってことは、今日から夏休みか? どっか行ったりしねえのか」
喋りながら、柊龍吾がキッチンの方へ歩いてゆく。火の消されたフライパンの上に、目玉焼きが二つ作られているのが見えた。
「俺が高校生の時は、家なんかいないで朝から晩まで遊び回ってたモンだけどな」
「………」
「海行ったりキャンプしたりよ。今はそういうの流行ってねえのか?」
流行ってるに決まってる。たぶん今日だって、クラスメイトの中には海に行ってる連中もいるだろう。俺だって行きたい。むしろ行く予定だった。慶介と――
「彪史、朝飯食ったか?」
「……え?」
「食ってくか? 適当に作った飯だけど」
柊龍吾が片手でソファを指さした。「座れ」という意味らしい。俺は数瞬迷った後、ソファの上にぎこちなく腰を下ろした。何となく、断るのが怖かったのだ。
目の前のローテーブルに、目玉焼きとトーストの乗せられた皿が置かれる。
「……お兄さんは」
「龍吾でいい」
「龍吾は、今何歳なの?」
「23だ。仕事はイラストレーター。今はゲームのキャラクター描いたりしてる」
「ふうん……」
気のない返事をする俺を見て、龍吾が意外そうに眉を吊り上げた。
恐らくは俺が高校生だから、興味があると思って職業を言ったんだろう。だけど生憎、俺はゲームの類は殆どやらないのだ。飽きっぽい性質だから、どんなに綺麗なCGを使った流行りのゲームであっても数分で投げ出してしまう。それはたぶん、今のゲームが複雑すぎてストーリーやシステムが理解できないっていうのもあるんだろうけれど。
「……ま、いいけど。それじゃあ、適当に食え」
「いただきます」
こんがりと焼かれたトーストを手に取り、片手でマーガリンを塗ってゆく。今日二度目の朝食だ。龍吾が割箸で目玉焼きをつつき、醤油をかけてから半熟の黄身を潰した。とろりとした黄色が白身の部分に広がってゆき、たちまちテーブル付近が朝の匂いに包まれてゆく。
なんで俺、知らない人と一緒に朝飯を食べてるんだろう。
「………」
テーブルを挟んだ俺の向かい側、床に直接あぐらをかいている龍吾の顔を盗み見た。
顔のパーツは悪くない。むしろ男前の部類に入る。眠たそうな二重瞼は嫌いじゃないし、キリッとした眉毛も男らしいし、鼻筋だって整っている。
しかし……。
それだけのパーツを持っているというのに、このやる気の無さは一体なんだ。
朝だから仕方ないのかもしれないけど、それにしても髪がボサボサすぎる。着ている服だって、一応は客である俺がいるにも関わらず、くたびれたTシャツとスエットパンツだ。明らかについさっきまで寝巻きにしていた物である。不精髭もそのままだし、よく見ると頬の辺りに、寝ていた時についたと思われる線がくっきりと残っている。
せっかく恵まれた顔立ちと身長を持っているのに、何だか冴えない男だ……。
「何見てんだよ?」
そして、初対面であるにも関わらず容赦の無いこの口調。これじゃあ到底、新しい出会いとして期待できそうにない。
「龍吾は、どうして八上町に引っ越してきたの?」
もはや敬語すら使わない俺に顔色一つ変えることなく、龍吾はトーストを齧りながら小さく笑った。
「俺が担当してる仕事は基本的に、データのやり取りができれば日本中どこにいたって構わねえんだ。この街を選んだのは何となく、家賃が安かったからかな」
「田舎で悪かったな」
「別に俺は貶してねえだろ。住みやすくていい街じゃねえか。駅も近いし、電車でどこでも行けるし」
「まぁ、ね」
龍吾の言う通り、電車で帳が丘まで出ればそこからどこにでも行ける。帳が丘は都会だけど、そこから下りの電車で三駅、俺達が住んでいる八上町は決して都会ではない。かと言って緑豊かな田園風景が広がる田舎というわけでもなく、俺は都会人にも田舎者にもなることができない自分の街があまり好きではなかった。
「昨日挨拶しに行った時に聞いたけど……。彪史のところは母ちゃんと二人暮らしなんだってな。母ちゃんは今日、仕事か?」
「ん。平日はだいたい夕方までパート行ってる。夕方から夜まで、別の仕事してる日もあるよ。だから夏休み中は家で好き放題できるってわけ」
「母ちゃんばっか働かせてるんじゃねえよ」
「別に生活のために働いてるんじゃないよ。別れた父ちゃんの慰謝料とか生活費とか結構あるしさ。母ちゃんは働くのが好きなんだ、昔から」
龍吾が肩をすくめて曖昧に首を振った。どうやら、そんなことを聞きたかったわけじゃないらしい。
「遊びには行かねえのか?」
「……たぶん、行くと思う。まだ予定はないけど」
「友達いねえのか」
「ば、馬鹿にすんな。そんなわけねえだろっ」
俺にだって遊ぶ友達くらいいる。だけどその友達は慶介とも繋がってるわけで……。誘えば恐らく慶介もついてくるわけで。それが辛いから、俺からは誰も誘えない。それだけだ。
「まぁ、高校最後の夏休みだし楽しめよ。仕事ばっかの俺からしてみたら、羨ましい限りだな」
「………」
龍吾が羨むようなことなんて一つもない。何しろ俺は、つい昨日好きな男にフラれたばかりなのだから。
思い出して、また暗い気持ちになってきた。
「……ご馳走様でした」
「ん。彪史が持ってきたクッキーも食うか?」
「さっきいっぱい食べたからいい」
クスクスと笑って、龍吾が皿を流し台に持って行く。俺はソファに座ったままでぼんやりと部屋の中を見回した。
「あ」
微かに開いた段ボールの中、ちらりと映画のDVDが見える。
「映画、好きなの?」
段ボールに近寄って勝手に中を開けると、古臭いものから最新のものまで、大量のDVDが入っていて胸が躍った。どれもこれもマイナーなB級ホラーだ。それがまた好奇心を擽り、俺は次々とそれらを手に取ってパッケージの裏側に書いてあるあらすじに目を通した。
流し台で皿を洗いながら、龍吾が俺の質問に答える。
「暇な時は映画観ながらダラダラ酒飲むのが一番だ。凝ってる映画よりもB級の方が軽く観られるし、分かりやすいからな。二十歳の時からコレクションしてんの」
「俺もこういう、しょうもないパニック系のホラーとか好きだよ。モンスター系のも好きだし、スプラッタも好き。CGの出来の悪さがまた愛着湧くっていうか、救われないバッドエンドが癖になるっていうか……」
「お、分かってるな彪史」
「子供の頃から好きだったなぁ、あんまり見せてもらえなかったけど。最近はテレビでこういう映画やらなくなったから、余計に見たくなるよね」
「なんか見たいのあれば持ってってもいいぞ」
「やった!」
俺はワクワクしながらDVDを漁った。どれもこれも面白そうだ。一般的に言えば決して名作とは言えない映画だけれど、B級ホラー独特の派手なジャケットが堪らなく魅力的だ。
ゾンビの群れに追い回されるのもいい。旅行先で出会った殺人鬼にしつこく狙われるのもいい。信頼していた男に騙されて理不尽な悲劇に遭うのもいいし、現代の科学で蘇った超巨大な古代ザメに襲われるのもいい。
「どれにしようかなぁ……迷う」
「迷うことねえだろ」
真剣に選んでいる俺の背後で、皿を洗い終えて戻ってきた龍吾が笑った。
「好きなの全部持ってけよ、観る時間はあるんだろ?」
「うーん……。でも俺の家だとリビングにしかテレビないから……。母ちゃんがこういうの嫌いなんだよな……」
「じゃ、暇な時に俺んちで観てけよ。俺どうせ仕事中は部屋から出ないし、いつでも好きな時に来て観ればいいじゃねえか」
「いいの?」
「いいぞ。どうせなら今、何か観るか?」
俺は拳を握って叫んだ。「やった!」
それから約十分後。
窓のブラインドを全て下ろし、夏の陽射しを遮断した薄暗い部屋の中。俺は龍吾と並んで広いソファに座り、胸を高鳴らせながら大型テレビの画面を食い入るように見つめた。
殺人鬼が旅行中の若い男女グループを襲う、ありきたりな内容だ。どの順番に襲われるか、誰が生き残るか。あらかた予想ができるのに、面白い。
「俺だったらここでこの武器を使う」とか、「どうして今のうちに逃げないんだ」とか、突っ込みを入れながら観るのがB級ホラーの醍醐味だ。
恋人と部屋で映画を観るのが俺の夢だった。慶介はホラー全般が苦手だから、一緒にこういう映画は観たことがない。
俺の隣にいる龍吾が慶介だったらいいのに。ふと、そんなことを考えてしまった。
「……恋人なんて見捨てて逃げれば一人勝ちなのになぁ」
呟いた俺を、龍吾が笑った。
「俺なら助けに行く。見捨てて逃げたら一生後悔するぞ」
「へぇ。龍吾って意外といい奴なんだね……」
それからしばらく画面に集中し、薄らと結末が見え始めた頃。
一体どういう心境だったのか、何の目的があったのかは分からない。
とにかく、盗み見た龍吾の横顔に慶介を重ねた瞬間、俺の中で何かが弾けた。
「………」
無言で龍吾の肩にもたれかかる。そっと、龍吾の手に自分の手を重ねる。こんなことをするなんて自分でも信じられなかった。
「……何だよ」
「引いた?」
答える代わりに、龍吾が俺の手を軽く握った。映画はちょうどエンドロールに差し掛かったところだ。結局、彼氏が命を懸けて守った女の子が一人で生き残る結果になった。
太陽の光を遮断したブラインド。
俺は龍吾の肩に自分の頭を乗せ、なるべく緊張しているのを悟られないように小さく息をついた。
これは単なる偶然だ。偶然、俺の手が届くところに龍吾がいただけ。
一時でも慶介とのことを忘れられるなら相手は誰でも良かった。俺の好みじゃなくても、初めて会った男でも。
それに、別にこれで嫌われたなら嫌われたで構わない。部屋が隣同士と言っても、部屋に籠もって仕事をする龍吾とはそこまでしょっちゅう顔を合わせることもないだろうし。
最悪なのは母ちゃんに「お宅の息子が……」なんてクレームがいくことだけど、18年間一緒にいた俺と、昨日引っ越してきたばかりの男とを比べたら、当然母ちゃんは息子である俺の方を信じてくれる。
一か八か、いっちまえ――頭の中で悪魔が囁いた。
「龍吾って、男相手でもイケる?」
挑発めいた台詞を口にしながら、俺は龍吾の膝の上に跨った。至近距離で俺を見つめる龍吾の目には、動揺の色は少しも浮かんでいない。
しばらく無言で見つめ合った後、龍吾が意味ありげに笑って俺の体をどかそうとした。すかさず龍吾の肩に手を置き、腰に力を入れる。
「ガキが大人をからかうんじゃねえ」
「俺の手、握ったくせに」
頑なに膝からどこうとしない俺の目の前で、龍吾が片手を振って追い払う仕草をする。
「やめとけって。また俺引っ越さなきゃならなくなるだろ」
「俺達だけの秘密にしよ。それなら引っ越さなくても大丈夫でしょ」
「何だお前、発情期か?」
「そうなのかも」
龍吾が呆れたように肩をすくめた。これはもうオッケーの合図だ。
チョロい。
いくら龍吾が俺より五つ年上だといっても、所詮は性欲旺盛な年頃の若者だ。男もオッケーなら、押せば堕ちる。
「若い子とヤれる機会なんてそうそうないよ」
「確かに――な」
「だろ?」
龍吾の肩に手を置いたまま少しずつ距離を詰めてゆくと、ふいに龍吾の手が俺の後頭部に添えられた。
「ん……」
唇が重なり合った瞬間、俺は目を閉じて龍吾の首に腕を巻き付けた。キスの経験は一度しかないのに、自然と舌を絡ませることができるのはどうしてだろう。初心者なのを見抜かれたくなかったのかもしれない。それとも、龍吾のキスが上手いだけなのか――。
「ん、んぅ……。は、ぁ……」
とにかく、キスだけでこんなに興奮してしまうなんて初めて知った。俺は夢中で龍吾の舌を吸い、龍吾の下半身に自分の股間を押し付けた。我ながらエロい奴だと思う。所詮は俺も18歳、ヤりたい盛りなのだ。
舌を抜き、唇を軽く離した龍吾の手が俺のシャツを捲った。肌を撫でるその手付きはどこまでも優しい。
「ん、あっ……」
俺の急所でもある乳首を弾かれた瞬間、首から上がカッと熱くなった。何度も首を横に振り、龍吾の手から逃れようと体をよじる。
「やっ、あっ……あ」
「お前、自分から誘っておいて逃げんなよ」
「う、あっ。も、揉むなっ……ぁ!」
乳首を指先でこねられる感覚は、今まで一度も味わったことのない快感だった。無意識のうちに背中を仰け反らせてしまい、それがまるで龍吾に「もっと」とねだっているようで恥ずかしかった。
満足げに笑う龍吾が、至近距離で俺をじっと見つめている。
「そんなに感じるか。固くなってんぞ」
「やっ、あっ……」
「彪史の彼氏は、こんなふうにしてくれねえのか?」
「か、彼氏なんていないっ……」
龍吾の目も、声も。全てが俺を辱めている。体の熱がぐんぐんと上がってきて、今にも意識が遠くなってしまいそうだった。
「もう、やめ――」
言い終わらないうちに、龍吾の唇が俺の頬に触れた。そのまま俺の顎に、そして首筋に。弾くようなキスを繰り返しながら、唇が体へ移動してゆく。
「んっ……!」
指で弄られていた部分に唇が被せられた。
「んぁっ、あ……あっ」
ゾクゾクするような快感が全身を駆け巡る。俺は龍吾の黒髪に指を絡ませ、潤んだ目で部屋の天井を見つめた。
「龍吾……」
唇はそのままで、龍吾の手が俺の股間に伸ばされる。服の上から触れられた瞬間、俺の腰がビクついた。
「んっ……」
初めのキスの時から緩く反応していた俺のそれは、今では完全に固くなっていた。恥ずかしくて泣きそうだったが、龍吾は全く気にしていない様子でその部分を撫で回している。きっと、こういうことに物凄く慣れてるんだと思った。
「辛そうだな。脱がすぞ、腰浮かせろ」
「……う、ん」
龍吾の手が俺のハーフパンツを中の下着ごと脱がしてゆく。心臓の鼓動が半端じゃなくなってきて、このまま息が止まってしまうかと思った。
「ひっ……、あ」
露出した俺のそれを握る龍吾の手。そのまま上下に軽く擦られ、俺は龍吾の肩に指を食い込ませて唇を噛んだ。
「18歳にしては綺麗な色してんな。もしかして使ったことねえのか」
「う、うるさい……」
「なんだよ、マジで図星か。貴重な奴だなぁ」
「――あっ、あぁっ!」
突然激しく扱かれて、頭の中が真っ白になった。
強力な電流を流されるかのような、耐え難い快感。抗おうにも、擦られる度にどうしても腰がビクついてしまう。
「や、だぁっ……! あっ、あ!」
「ヤじゃねえだろ。今更遅せえぞ」
「うっ、あ……。も、もう……」
つい最近、慶介にも同じことをされた。だけどあの時とは快感の種類が全く違う。慶介は握った手をぎこちなく前後するだけだった。確かに気持ち良かったけど、何だこんなモンかと密かに落胆したほどだったのに。
だけど、龍吾は。
「ふあっ、あ……龍吾っ……!」
ただ扱いているだけじゃない。指先で俺の先端を弄り、体液を利用して更に滑りを良くしている。そしてそこから漏れる卑猥な音が、俺の聴覚をも刺激する――。
「い、ぁっ……あぁっ!」
「気持ちいいか? 彪史」
「いいっ……! あっ、あぁ……」
あまりに気持ち良くて、今にもイッてしまいそうだ。だけど、向かい合ったままの体勢だと龍吾の服に俺の精液がかかってしまう。
「う……、んぁっ……」
俺は何とか身体を横に倒してソファの上に寝転がった。脱ぎ捨てた服を床へ落とし、はしたなく足を開いて龍吾を熱っぽく見つめる。
「彪史……」
龍吾が俺の上に体を倒してきた。俺の頬や唇にキスを繰り返しながら、自分のスエットを脱いでいる。
「言っとくけど俺は今、お前がお隣の息子だとか、高校生だとかは一切気にしねえでやっちまいたい気分なんだぞ。しかも誘ってきたのはお前だ。この意味が分かるか?」
「何となくわかるけど……一応、説明してほしいかも」
俺は龍吾の頬に軽く触れて首を傾げた。余裕ぶった台詞とは裏腹に心臓は高鳴り、呼吸は荒くなっていた。
龍吾が俺のその手を強く握り、ソファの上に押し付ける。
「後悔するなよってこと」
「ん――」
後悔なんてしない。だってこれは俺から仕掛けた暇潰しなのだから。慶介にフラれた苛立ちを、龍吾で解消してるだけ。龍吾は俺にとって決して恋愛対象にならないような男だから、暇潰しの相手には丁度いい。
後腐れなく、事を済ませられる。
「大丈夫、後悔しない。理由は違ってもお互いムシャクシャしてるみたいだし、どうせなら一緒にスッキリしちゃえば一石二鳥じゃん」
「子供のくせに口だけは達者だな」
「子供かどうか試してみてくれ」
抱き合い、広いソファに沈んでゆく俺と龍吾の身体。大きく開いた足を龍吾の腰に巻き付かせると、龍吾が俺の片足をぐっと持ち上げて自分の肩に担いだ。
「コッチを使うのは慣れてんのか?」
俺の入口部分に指を這わせながら、龍吾が薄く笑う。
「どうかな」
本当は、たったの一度しか経験がない。だけどそれを悟られたら負けな気がして、俺は曖昧に笑って答えをはぐらかした。
俺の入口をほぐすように指を動かし、もう片方の手で自分のそれを扱きながら龍吾が呟く。
「慣れてるなら、まぁ大丈夫か……」
「………」
「挿れるぞ」
「え――」
その瞬間、脳天に稲妻が直撃したかのような痺れが走った。
「えっ、あ……? う、嘘っ……!」
身体が動かない。顔の筋肉が引き攣っている。全ての毛穴から汗がどっと噴き出してきて、俺は目を見開いて間近にある龍吾の顔を見た。
この息苦しさ。この例えようのない痛み。だけどそれらはどこかで快感に繋がっているのが分かる。
「やっ、あぁっ……! 龍吾っ! 龍、吾っ……!」
それも最大級の快感だ。まるで身体中に落雷を受けたかのような、凄まじい衝撃――。
「はぁっ、あ、あっ……! ――ん! やぁっ……!」
身体の奥深くを抉られるような淡い痛みと、強烈な快感。引き抜かれる度に背筋がゾクゾクして、また深く挿し込まれる度に喉奥から濡れた声が漏れる。
「どうした? 慣れてるんじゃねえのか?」
「あっ、あ……! なんかすげぇっ! ちょ、龍吾っ!」
全く余裕が持てなくて、俺は龍吾の首にしがみつきながら何度も悲鳴に近い声をあげた。
「あぁっ! ん、あっ……! ちょっ、待って……!」
頭の奥がキリキリ痛む。唇の端から涎が垂れる。意味もなく涙が流れ、龍吾のそれが奥を突く度に、俺の目の前で細かな火花が散る。
「彪史、今までどんだけ下手な男とヤッてたんだよ」
呆れたように笑いながら、龍吾は少しも加減することなく俺の中を突き上げ続けた。
「ガキ同士のセックスなんて、そんなモンなんだろうな」
「う、うぁ――あっ、あ、んっ……!」
涙が滝のように流れている。汗が飛び散る。頭の中が痺れて、腰が痙攣する。ソファに寝かされた状態なのに、何故か「落ちる」感覚がある。
背中から快楽の奈落に落下していくような、そんな悪夢に似た感覚。
「あ、あ……! も、もう俺っ……」
身体に強烈な刺激を与えられてるのに、次第に頭の中がふわふわしてきた。一度身体が奈落に落ちて、今度はそこから極楽に向かって浮かんでくみたいだ。心地好い。それは眠くて仕方がない冬の夜、ベッドの中で温かい毛布に包まったような心地好さに似ている――。
「彪史っ!」
ガクンと揺れた身体が夢から現実に引き戻された瞬間、俺はハッと目を覚ました。
「………」
「大丈夫か、彪史……」
目の前には焦った表情の龍吾。俺はソファの上に全裸で寝転がったままだ。
「……なに……? ど、どうしたの俺……」
か細い声で問いかけると、龍吾が太い息を吐いて俺の胸元をそっと撫でた。
「お前、途中で意識トんだみたいだぞ」
「え?」
「呼んでも起きねえからマジで焦ったぜ……。お前の意識が戻らなかったら、俺は今夜にでも夜逃げする羽目になるところだった」
「龍吾……。俺……」
起き上がろうとした俺の肩を、大きな手が優しく押し戻す。
「もう少し寝てろ。気分悪くねえか。水飲むか?」
「………」
セックスで気絶するなんてフィクションの中だけの話だと思っていた。どのくらい気絶していたのかは分からないが、龍吾がティッシュを丸めて捨てているところを見ると、どうやら俺は意識を失いながらもしっかりとイッてたらしい。
途端に、顔が真っ赤になった。
「あ、あの――龍吾……」
「なんだ?」
「その、俺……ごめん。自分から誘っておいて気絶するなんて、迷惑かけちゃったよな……ごめん……」
龍吾がスエットを穿きながら苦笑した。
「俺の方こそ悪かったな。久しぶりで加減できなかった」
「……まぁでも、貴重な体験にはなったかな、なんて……」
ごまかすように笑うと、龍吾がソファに腰掛けて俺の腕を引いた。ゆっくりと上体を起こし、間近に迫った龍吾の顔を上目に見つめる。
龍吾が静かに口を開いた。
「少しの間でも、嫌なこと忘れられたか?」
「え……」
「理由は聞かないでおく。ヤッといて何だけど、あんまり無茶して突っ走るなよ」
その言い方は俺を子供扱いしてるみたいでほんの少し腹が立ったけど、同時に本当に俺は子供なんだと痛感して落ち込んだ。龍吾を勝手にストレス発散の相手にして、その挙句に気絶して迷惑かけて……。
そんな俺をまだ気遣ってくれている龍吾は、立派な大人なんだなと思った。俺より五つも年上なのだ。考えてみれば、当たり前か……。
それならば、今だけ少しくらい愚痴っても許されるかもしれない。
「……なぁ、龍吾。この際だから言っちゃうけど、聞いてくれる?」
「ん?」
「俺な、昨日、付き合ってた奴にフラれたばっかりなの」
「そうなのか。まぁ、そんなとこだろうとは思ったけど」
腹の底に溜まったもやもやが一気にせり上がってくる。
何もかも、龍吾が大人すぎるからだ。龍吾に聞いてもらいたくて、甘えたくて、言葉が止まらない。
「すげえ好きな奴だったの。でも慶介はモテるから、元カノと俺の間に板挟みになって、結局女の方を選んで……。俺はヤることだけヤッて捨てられたって感じですっげえムカついて、そんでヘコんでて……ムシャクシャしてたところに龍吾が現れたから、もう誰でもいいやって気になって、そんで」
「おい、落ち着けって彪史」
捲し立てる俺を龍吾が片手で遮った。
「フラれたショックがでかかったのは分かる。俺とヤってそいつを忘れたかったのも分かる。でもよ、その後はどうするつもりなんだ?」
「え?」
「高校最後の貴重な夏休みを、そうやってやさぐれて過ごすのか?」
「……だって」
「もっと外に目を向けろって言ってんの。一人にフラれたくらいで塞ぎ込んでないで、自分から行動すればこの先もっといい奴が現れるかもしんねえだろ? 例えば俺とか」
「……男が男に出会うなんて、滅多にあることじゃない」
龍吾の台詞の後半がほんの少し気にかかったけど、俺は敢えてそれを無視した。だから龍吾もニヤけた顔を引き締め、真剣な表情で俺に頷いてみせる。
「確かにな。――でもそうやってふて腐れてたら、1ある可能性が0になるかもしれない。そう思わねえか?」
「………」
黙り込んだ俺の頬を、龍吾が軽く叩いた。
「な?」
「……うん」
俺は少しはにかんでから、床に落ちた服を拾った。
「もう昼になるけど、どうする。まだ休んでくか?」
どうせ家にいても誰もいない。どっちにしろ今日は予定もないし、それならばと俺は部屋の中を見回して言った。
「荷物解くの手伝うよ。一日暇だしね」
「それは助かる」
「迷惑かけたお詫び」
とは言ったものの、本当はもっと龍吾と一緒にいたかっただけだ。もっと仲良くなって、いろんな話をしてもらいたかっただけなのだ。
俺の周りには大人が母ちゃんしかいない。その母ちゃんは仕事人間であまり家にいないから、今まで深い相談とか話とかをしたことがなかった。学校の教師は大人だけど、結局は俺をただの生徒としか見てくれないから、どうしても腹を割って話せない。
年上の兄弟がいる同級生が羨ましかった。両親がいる同級生が妬ましかった。
身近に「大人」がいて欲しいと、ずっと思っていた。兄のように、或いは父親みたいに、何気ない相談をして、頼れる相手が欲しかった。
「……これはここでいいの?」
「ああ。気を付けろ、重いからな」
勝手に龍吾を頼りにしたら迷惑かな。俺達、今日会ったばかりなのに。
だけど、迷惑なら軽率に関係を持った時点で既にかけている。それならば、いっそのこと開き直って接してやれ。龍吾だって年下に頼られて満更じゃないはず。
そんなことを思いつつ作業を進めるうち、何もなかった龍吾の部屋が、午後三時を過ぎる頃には物で溢れ返った雑貨店のようになった。
デスクトップ型のパソコン、プリンター、スタンドライト、何種類ものゲーム機、百を越えるゲームソフト、棚の上にごちゃごちゃと並べられたフィギュア……。
「龍吾って、物が捨てられない系?」
うんざりしながら最後のフィギュアを棚に置くと、龍吾が煙草をくわえて苦笑した。
「捨てる物がないだけだ」
「こういうフィギュアとかを集める気持ちって、分かんないなぁ」
並んでいるのは見たこともないキャラクターだ。恐らくは海外のアニメとかゲームのキャラクターなんだろう。興味がないから質問する気にもならない。
「だいぶ片付いた。助かったわ、ありがとうな彪史」
「いいよ、俺もいい運動になったし」
「腹減ったか?」
「減った!」
結局、今日一日は殆どの時間を龍吾の部屋で過ごした。あれからまた映画を観たり、コンビニでお菓子とジュースを買って「引っ越し祝い」をしたり、龍吾が仕事をしている間に、俺はついさっき気絶したソファで昼寝をしたり。
母ちゃんの帰宅メールを受けて龍吾の部屋を出た時には、来た時よりもずっと心が軽くなっていた。
「彪史、今日はどこか出掛けてたの? 鍵もかけないで、不用心なんだから」
「あ、すっかり忘れてた。ずっと隣の部屋にいたんだよ」
夕飯のカレーを頬張りながら、母ちゃんが目を丸くさせる。
「隣って、お隣の部屋? 引っ越してきたお隣?」
「そうだよ。母ちゃんに頼まれてクッキーの缶持ってったら、部屋に入れてくれて仲良くなったんだ。なんか俺、急に兄貴ができた気分」
その兄貴と一戦交えたことに関しては口が裂けても言えないが。
「へえぇ、良かったわねぇ。じゃあ今度、夕食にでも呼んであげようか」
「喜ぶと思うよ」
そしてその夜。
シャワーを浴びて自分の部屋に戻った俺は、濡れた髪を拭きながら、片手で仲の良いクラスメイト何人かにメールを送った。
『明日、どっか行かない?』
返ってきたメールはもちろん、全員オッケーだ。慶介と顔を合わせる勇気はまだないから、明日は慶介とは違うグループの仲間達と楽しもう。
龍吾に言われなかったら、自分から行動することもなかった。その点では今日の出来事もあながち間違いじゃなかったのかもしれない。
慶介のことを考えると胸は痛むけど、これから少しずつ立ち直っていけばいい。
夏休みは始まったばかりなのだ。
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