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第3話
翌日、天気は良好。
俺達は帳が丘から快速電車に乗って、今年の春にできたばかりのショッピングモールに出掛けた。すぐ近くに小さなアミューズメントパークやゲームセンターもあって、大勢で遊ぶには持ってこいの場所だ。
英治、明彦、コウヤと俺の四人。慶介達とはまた別のグループで仲良くしている奴らだから、慶介の話題が出ないのは有難い。
下らない話で盛り上がりながら安いハンバーガーを食べたり、好きなブランドの店を覗いたり、アイスを食べたりゲームセンターで対戦したりと、決して贅沢じゃないけどそれなりに満足だったし、楽しかった。
「夏って言ったら海! 海行きたくねえか?」
冷房の効いた休憩スペース。ソファに陣取った俺達は、英治の言葉に大きく頷いた。
「今度は海でナンパしまくろうぜ。それがなきゃ何も始まらねえよ」
コウヤが言うと、明彦が鼻息を荒くさせながら拳を握った。
「いいね。そんでバーベキューして泊まりコース」
「明彦はエロいことしか考えてねえもんな」
「ひでえ!」
「………」
居心地が悪い。
「彪史はどう思うよ?」
「え? う、うん。そうだな、それもいいかも……」
俺はストローを咥えて、カップの中の冷たいジュースを啜った。
夏休みならではの何気ない日常だ。ナンパだの彼女作るだのといった話題は学校でも散々している。今に始まったことではない。だけど、どうしようもない疎外感が拭えない。
俺はこの三人と同じ男なのに、彼らとは根っこの部分が違うんだ。分かり切っていたはずの現実を突き付けられたような気がした。
「そう言えば、彪史ってどんな子がタイプなんだっけ?」
「俺は、……優しい子かな、うん。女の子は性格が一番重要だって思うよ」
「ほぉん、偉いなぁ彪史は。性格良ければ可愛くなくても貧乳でもいいわけ?」
「ん。そうかも……」
表に出せない複雑な感情が、目に見えないガスのように充満してゆく。今の俺には、どうか皆の前でそれが爆発しませんようにと願うことしかできなかった。
「水着ギャルと浴衣ギャルだったらどっちが持ち帰りやすいかな」
「浴衣は脱がし方も着せ方も分かんねえから水着だな」
「おっけ。来週なら俺の兄貴に車借りれるわ」
「………」
俺も話に加わらなきゃと思うのに、何も言葉が出てこない。嘘でも適当に話を合わせればいいんだ。別に目的がナンパでも、友達と海に行ったってだけで夏休みの思い出になる。だから俺も加わらなきゃ。何か、話さなきゃ……
「彪史?」
「………」
「どうした、顔色悪いぞ。大丈夫?」
英治が心配そうに眉を顰め、俺の顔を覗き込んだ。
「……ごめん、ちょっとエアコンで冷えたっぽい。大丈夫だから、気にしないで」
「マジかよ。無理すんな、トイレ行くか?」
椅子から立ち上がった明彦が辺りを見回し、トイレの案内看板を探している。俺は首を横に振って、無理に笑みを作った。
「大丈夫だよ。ていうか海、楽しみ。俺泳げねえから溺れたらよろしく」
明彦が笑って椅子に座り直す。
「彪史は浮輪装備だな。俺らが交代で引っ張ってやる」
「あ、じゃあ俺イルカ持ってくわ。彪史乗せてやるよ」
「コウヤがイルカなら、俺はサメ持ってく! 彪史、イルカとサメどっち乗りたい?」
「サメ!」
こんなにも俺を気遣ってくれる友達がいるだけ、有り難いと思わないと。俺は鳥肌が立った腕を擦りながら、歯を見せてニッと笑った。
結局、来週の8月1日にこのメンツで海に行くことになった。最終目標は全員が女の子をゲットすること。相手のレベルはこの際無視、とのことだ。
俺は帰りの電車に揺られながら、大きく溜息をついて項垂れた。
どう考えても、俺には無理だ。
勢いでその場限りのナンパはできても、万が一女の子にオッケーされてしまったら、その後が続かない。まともに女の子と喋った記憶は、小学校の時で終わっている。声をかけておいてまさか自分はゲイだと言うわけにもいかないだろう。適当に声をかけるフリだけをして、やり過ごすか――いや、それだとお人好しな明彦あたりが、俺のために二人の女の子を調達する羽目になる。
いっそのこと、彼らに打ち明けてしまおうか。俺が女の子を苦手だと知ったら、予定を変更して男だらけのビーチバレー大会なんかを開いてくれるかもしれない。
「………」
――駄目だ。
気のいい奴らだと知ってるからこそ、もしも引かれてしまったらと思うと怖くてとても言えない。それに、俺一人のために彼らの楽しみが奪ってしまうのも申し訳ない。
腹を括るしかないのか。俺の童貞喪失は近いのか。
あっという間に八上町の駅に着き、もやもやしながら改札を抜ける。
午後10時、辺りは静かだった。八上町の商店街はいつも、午後六時前後になると飲み屋、コンビニ、大型のスーパー以外は殆どが店を閉める。マンションがある方の道は街灯も少なく、引ったくりや痴漢に対しての注意を呼び掛ける看板やポスターが貼られてある。何となく心細くなって、俺は早足で夜道を進んだ。
コンビニで買ったジュースを手にマンションの階段を上がり、自分の家でなく207号室の呼び鈴を押す。
「お、彪史。今帰ってきたのか」
すぐに出てきた龍吾の顔を見た瞬間、なんとなくホッとした。体内に溜まっていたガスが萎んでゆくようだった。
「ジュース買ってきた。龍吾も飲む?」
「母ちゃん、飯作って待ってんじゃねえの? 一度家帰ったか?」
「仕事遅くなるんだって。さっきメールきた」
「そうか。暇なら寄ってけよ」
まだ知り合って2日目なのに、俺は図々しくも龍吾の部屋に上がり込んだ。自分を隠さなくていい相手だと思うと、気持ちだけじゃなく態度もでかくなってしまう。
龍吾は昨日と全く同じTシャツとスエット姿だ。相変わらずの振り乱した黒髪と、眠たげな目。せっかくの色男なんだから、もう少し見た目に気を使えばいいのに。今どきこんなスタイルじゃあ、男も女も寄って来ない。
「龍吾、今日は何してたの?」
「ん。仕事だよ。今メールでデータ送ったとこ」
「ゲーム作ってんだっけ」
「俺はグラフィック担当。ホラーゲームのクリーチャーとか描いてんだ」
だからB級映画が好きだったり、よく分からないキャラクターのフィギュアばっかり集めているのか。納得いった。
「なあ、ゾンビ描ける?」
「描ける、描ける。ガキの頃から得意だったわ」
龍吾がパソコン用デスクの上から数枚の紙を手に取り、俺に差し出した。
「うわ、すげえっ!」
用紙一面に、おどろおどろしいモンスターのラフ画が何体も描かれている。中には俺の好きなゾンビの絵もあった。
「これ全部、龍吾が描いたの?」
「そうだぞ。B級ホラー好きの彪史としては、どう思う?」
俺は目を輝かせながら一枚ずつ紙を捲っていった。背筋がゾッとするような恐ろしいドクロ顔の男。見ただけで口の中が粘ついてくるようなゲル状の怪物。美人なのにヘソから下がムカデになっている女モンスター。どれもこれもグロテスクで恐ろしいのに、なぜだかとても魅力的だ。
龍吾に用紙を返してから、俺はソファに腰掛けた。
「龍吾は好きなことを仕事にできて、凄いなぁ……」
「ま、楽しいことばかりじゃねえけどな。頭悪い分、昔から絵だけは得意だったからよ」
「服のセンスも悪いよね」
「失礼な奴だな。別に好きでこんな格好してるわけじゃあねえよ」
龍吾が笑いながら、俺が買ってきたジュースを二人分のグラスに注いだ。片方を俺に差し出し、隣に座る。
「で、彪史は今日楽しんできたのか?」
俺はグラスに口をつけて眉根を寄せた。
「ん。……今日は楽しかったんだけどさ、来週、海で女の子ナンパすることになっちゃったんだよな。どうしよう、俺」
「いいじゃねえか。彪史なら余裕で女もついてくるだろ」
「そういうことじゃなくてさぁ……。俺、女の子に興味ないから。声かけたところで何もできないよ」
「普通に友達になればいいだろ。女ってある意味カンがいいから、彪史にその気がないって分かったら、無理に迫ってはこねえよ」
それはいいんだけど、と呟いて、俺はソファの上で膝を抱えた。
「女の子のことよりも、それがきっかけで友達にゲイだってバレることの方が怖い……」
龍吾が咥えた煙草に火を点けた。
「まぁ、彪史の年齢だったら気にするのも仕方ねえ。……よし。そしたらよ、他にも友達誘って行けばいいじゃんよ」
「どういうこと?」
「ナンパ組と遊び組で分かれて、好きに楽しめばいいんじゃねえか? 海なんて大人数の方が楽しいし、人数が増えることに関して反対する奴はいないだろうよ」
なるほど。思わず声が出た。
元から恋人がいる奴らを誘えば、そいつらはわざわざ現地でナンパなんてする必要はないのだから、仲間内だけで楽しく遊べる。なかなかいいアイディアかもしれない。
「龍吾、頭いいじゃん。そんなこと考えもしなかった」
「自分が楽することに関しては知恵が働くんでな」
なんだか、本当に強力な味方ができた気分だ。俺の悩みなんて大抵は表面に出せないようなものばかりだから、こうして何でも話せる人間が近くにいるのは本当に有り難い。一人じゃないって気がするし、ありのままの俺が許されている気分になる。
やっぱり龍吾は大人だ。頼りになる。
「龍吾が引っ越してきてくれて良かった!」
「そりゃどうも。力になれて何より」
ニヤニヤしながら残りのジュースを飲み干した時、着信を受けた俺の携帯が鳴った。
「母ちゃんだ。――はい?」
予定より早く仕事が終わったらしい。俺がまだ帰って来ていないから、夕食はどうするのかという電話だった。
「今、隣んちの部屋にいる。夕飯食うよ、すぐ帰るから」
〈お隣にいるの? それなら一緒に夕飯どう? って訊いてみてよ〉
通話口を手で塞ぎ、龍吾に顔を向ける。
「龍吾。母ちゃんがウチで一緒に飯食わないかって」
「お、いいのか? 遠慮なしで行っちゃうけど」
「遠慮はしなくていいけど、せめてもう少しマシな格好に着替えてくれよ」
「嫌な奴だな……」
龍吾がソファから離れてクローゼットに向かうのを横目で見ながら母ちゃんにそれを伝えると、嬉しそうな声が返ってきた。夏の定番、冷やし中華を作るらしい。
〈好き嫌いとか無いか聞いておいてよ〉
「う、うん……」
あまりにも母ちゃんの声が弾んでいるから、若干引いてしまった。四捨五入すれば40歳なのに、23歳の龍吾に対してこんなにはしゃいでいる母ちゃんが、申し訳ないけど少し気味悪い。
携帯を切って龍吾を振り向く。丁度龍吾の着替えも終わったらしかった。
「どうだ?」
「あ……」
正直、驚いた。
白いTシャツの上に水色のチェックシャツ。下はブルージーンズ。体格がいいから、それだけでかなり爽やかな男の雰囲気になっている。
「ちゃんとした服着るとかっこいいよ。サーファーみたい」
「いつでもかっこいいだろうが」
曖昧な笑顔でその返答を濁し、俺は先に部屋を出て自分の家のドアを開けた。リビングを抜けて自分の部屋に鞄を置き、台所で三人分の冷やし中華の麺を茹でている母ちゃんの背中に声をかける。
「母ちゃん」
「おかえり彪史。あら、柊くんは?」
「今来る。何か俺も手伝おうか?」
「大丈夫、大丈夫。柊くん来たら麦茶出してあげて」
丁度その時、玄関の方で「お邪魔します」と声がした。出迎えに行くと、そこには髪をきっちりとオールバックにした龍吾が立っていた。
「変じゃねえ? 彪史の母ちゃんの手前、だらしなく見えないといいんだけど」
「……せっかくサーファーだったのに、チンピラになった」
「うそっ、マジで」
慌てた様子で、龍吾が髪を手櫛で乱す。
「うん、その方がいいよ。――じゃあ上がって、すぐ飯できると思うから」
「お邪魔します……」
リビングに通すと、早速母ちゃんがうきうきした足取りで歩み寄ってきた。
「急に誘っちゃってごめんなさいね。柊くん、彪史と仲良くしてくれてるんだって? 迷惑かけてない?」
「ええ、こっちには知り合いがいないんで、彪史と親しくなれてかなり有り難いですよ。それと、昨日はクッキーありがとうございました。お礼が遅くなってすみません」
ちらりと、意味ありげな目で龍吾が俺を見た。そのクッキーが開封済みの食いかけだったのは、今のところ俺達だけの秘密だ。
「若いのにしっかりしてるわぁ、どうぞ、入ってくつろいでて下さいな」
「夕食まで頂くことになっちゃって申し訳ないです」
「いいの、いいの。私がご馳走したいんだから」
「龍吾、こっち来て」
これ以上母ちゃんのデレた顔を見るのは苦痛だったから、俺は龍吾の腕を引いて自分の部屋に移動した。
「ここが俺の部屋。何もないだろ」
「へぇ、確かに高校生にしては簡素な感じだな。でも片付いてるし綺麗だ」
ベッドと木製のローテーブルがあるだけの地味な部屋だ。テレビもパソコンも、流行りの漫画もゲームもない。
龍吾がベッドに腰を下ろしたから、俺もその隣にあぐらをかいた。
「何もすることなくてごめん。友達呼ぶことも殆どなくってさ」
「彪史の話聞かせてくれよ。学校のこととか、子供の頃のこととか」
「う、ん……」
龍吾がちゃんとした服を着た。その姿で俺の部屋にいる。ただそれだけのことなのに、どうして俺は緊張しているんだろう。
ああ、そうだ。俺は一度、この男と――。
思い返した瞬間、顔がボッと赤くなった。
「彪史?」
「う、うん。それじゃ、写真でも見る?」
「見る見る」
俺はベッド下の引き出しから小さなアルバムを取り、龍吾に渡した。一緒にアルバムを覗き込むとどうしても顔と顔の距離が近くなってしまい、エアコンをつけていても容赦なく汗が噴き出てくる。
「これ、俺の友達。英治と、コウヤ……それと、明彦」
「みんなイケてんなぁ。今どきの若い奴って、昔と比べて身長高いよな」
学校の教室、屋上、放課後の通学路やゲームセンター、遊園地……。高一の時からの様々な思い出が詰まったアルバムだ。
次のページを捲った龍吾が、ふと一枚の写真を指して言った。
「こいつは? 彪史の隣で肩組んでる奴」
「ああ。それ、慶介」
「なるほど。こいつが彪史の恋煩いの相手か」
「おいっ」
俺は慌てて龍吾の口を塞いだ。部屋から台所まで離れているとはいえ、万が一にも母ちゃんに聞かれたら大変なことになる。
「わ、悪い。口が滑った」
「気をつけてくれよ、もう……」
龍吾が慶介の写真を見つめて言った。
「にしても、いい男だな。こりゃ女の方から寄ってくるぜ」
「まぁね」
写真の中の慶介は、俺の肩に腕を回して満面の笑顔を浮かべている。その写真の横には別の慶介が写っていた。生意気そうに腕組みをし、眉をつりあげて顎をしゃくっている。
他にも、居眠りをしている慶介やアーケードのゲームに夢中になっている慶介、屋上のフェンスによじ登って片手をあげている慶介がいた。どの慶介も、当時の俺の胸を熱く高鳴らせていた慶介だ。今はもう、思い出の中のことでしかないけれど……。
「………」
「彪史、そう気を落とすなって」
「べ、別に落としてない。ただ懐かしく思ってただけだし……」
とは言っても龍吾にはどうせバレているから、俺は観念して溜息をついた。
「ほんと、どうすれば立ち直れるのかな」
口に出してみてすぐに後悔した。俺はまだ慶介に未練があるんだと再確認した気分だ。やるせなくなったけど、一度言ってしまったからには止まらなかった。
「夏休みの間はまだいいよ。でも新学期になってもまだ立ち直れてなかったら、学校で顔合わせづらい。このままじゃ親友の頃みたいな関係にも戻れないと思うし、表面上だけ仲良くしても、ぎこちなくって周りに不審に思われるかも」
「ん」
「それが原因で不登校とかになっちゃったらどうしよう? 母ちゃんに迷惑かかるし、卒業だってできるかどうか……」
「おい、落ち着け。そんなことになるわけねえだろ」
「分かんないじゃん、先のことなんて」
「そうだな、確かに未来は誰にも分からねえ」
アルバムを閉じた龍吾が、俺の目を正面からしっかりと見つめた。
「彪史がこの先、誰と新しい恋をして、どんなふうに幸せになるか。今はまだ分からねえだろうよ」
「……龍吾、俺のこと口説いてんの?」
「そう聞こえたか?」
「そうだろ?」
「………」
しばらく無表情のままで見つめ合った後、龍吾がふいに噴き出した。
「なっ、なんで笑うんだよ!」
「悪い。ちっと言ってみただけだ」
「なんだよ、もう……」
その時、部屋の向こう側から母ちゃんの上機嫌な声がした。「冷やし中華、できたわよー」
「できたって。龍吾、行こ……」
ベッドから降りかけた俺の腕が掴まれた、その瞬間――。
「っ……!」
突然押し付けられた唇が離れるまで、俺は瞬きすらできなかった。柔らかくて優しい唇の感触。つい最近、龍吾とキス以上のことまでしたはずなのに、何故かひどく懐かしい気持ちになった。
「っ……」
ただ触れただけのキスで、こんなにも心臓が早鐘を打つなんて。
「……龍吾」
動揺する俺の耳元で龍吾が囁く。
「言ってみただけだけれど、割と本気」
「え……」
「行こう、彪史」
まだ頭がぼんやりしている。それに、今のキスでまた龍吾との行為を思い出して体が火照ってきた。体内の深い部分から全身がウズウズしてきて、後ろから龍吾に抱きつきたくなる。実行できないのが分かってるから尚更だ。
「……ずるい」
聞こえないように小さく呟いてから、俺は龍吾に続いて自分の部屋を出た。
「うおっ、美味そう!」
テーブルに並べられた三つの冷やし中華。俺と龍吾は手を洗ってから隣り合ってテーブルの前に座り、同時に手を合わせた。
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
俺の正面に座った母ちゃんが、にこやかに俺達を見ている。その手には既に、ビールの注がれたグラスが握られていた。
「柊くん、美味しい?」
「……美味いです! 俺の好きな味だ」
「嬉しいわぁ、ほんと!」
俺は無言で麺を啜った。
「柊くんはお仕事何してるの?」
「小さなゲーム会社で、イラストレーション担当してます」
「あら凄い。そういうのって普通じゃできない仕事でしょう? 絵なんて生まれつきの才能だからねぇ。彪史は何の才能もなくて……」
言われ慣れてるから気にしないけど、龍吾の前で貶されると少し決まりが悪い。そう感じた俺をフォローするかのように、龍吾が笑った。
「彪史は素直だし、明るくていい奴だから話してるだけでも楽しいですよ。それに俺と趣味も合うから、これから仕事のアドバイスとかもしてもらえそうだし」
「そうなの? 彪史、邪魔しないようにしなさいよ」
「してないって。ていうかアドバイスだってできないよ、俺には」
「本当にこの子は、もう。やりたいことも特技も何もないし……。せっかくそれなりの顔に生んであげたのに、彼女だってできたことないんだから……」
「そ、そんな話、いま関係ねえだろっ」
「まぁまぁ」
龍吾が俺と母ちゃんの顔を交互に見て、強引に結論付けた。
「とにかくこれからも彪史には世話になると思うんで、どうぞよろしくお願いします」
「ウチの子で良かったらいくらでもこき使ってやって構わないわよ」
俺はうんざりしながら麦茶のグラスに手を伸ばした。
確かに俺は高3にもなって、将来が全く見えていない。何かの才能もなければ、時間を忘れて熱中できるような趣味もない。
初めは大学受験をするつもりだった。母ちゃんもそのつもりでいた。だけど今年の春、この不況の中で莫大な金を払ってまで勉強して何か将来に有利になるのかと考えてしまい、俺にとって大学は無意味な選択なんだと悟った。
それなら卒業したらすぐに就職かと言われると、その準備も全くしていない。焦って一つの会社に収まるよりかは、一年くらいバイトで繋いでそこから正社員になったっていいんじゃないか――俺は漠然とそんなことを考えていた。
母ちゃんの言う通り、俺は何の取り柄もない男なのだ。趣味もないし、人に誇れるような特技もない。だから、立派に自活している龍吾を見た母ちゃんが、自分の息子を心配する気持ちはよく分かる。
だけど――
「柊くんは、彼女いるんでしょう。かっこいいもんね」
「いや、いませんよ。新しい環境に慣れるのと、仕事に集中したいのとで、当分は作る気もないっす」
「勿体ないわねぇ。男の人の一人暮らしだと、何かと不便なことが多いでしょう?」
「だからお母さんにこうしてご馳走になれて、今日は本当に感謝してます」
「あら。別に今日だけじゃなくても、いつでも来ていいのよ。朝昼晩、いつでもね」
「母ちゃん、酔いすぎ」
口元に手をあてて、くすくすくすと笑う母ちゃん。この笑い方になったら、潰れるのも時間の問題だ。
「大丈夫かよ。そんなに飲んだ? 飯作りながら飲んでたんだろ」
「大丈夫だって。ごめんなさいね柊くん、みっともない姿見せちゃって」
「いえ、俺は」
「彪史ー、お皿洗っておいて」
「分かったから休んでろよ、もう」
食べ終わった皿を持って台所へ行くと、龍吾がついてきて俺の横に立った。
「手伝う」
「少しだから平気。一服すれば?」
「煙草持ってきてねえ」
俺が洗った食器を龍吾が拭く。すぐに終わったその作業の後、龍吾がソファで寝そべっている母ちゃんを見て目を細めた。
「仲がいいんだな、彪史と母ちゃん」
「そうかな。別に普通だと思うけど……」
タオルで手を拭きながら首を傾げると、龍吾が俺の頭に手を乗せた。
「その普通、ってのが大事なんだ」
「ふうん……?」
よく分からないけど、そういうモンなんだろうか。
それから俺は母ちゃんに薄めの布団をかけて、再び龍吾と自分の部屋に行った。さっきと同じようにベッドの上で二人、あぐらをかく。
「腹一杯になると、眠くなってくるなぁ」
「俺のベッドで寝ちゃっていいよ」
「寝てる間に変なことされるかもしれねぇから、起きとく」
「するわけねえだろ」
俺をからかうように笑って、龍吾が床にあった雑誌を手に取った。
「なぁ、龍吾……」
「ん?」
「さっき、なんで俺にキスしたの?」
雑誌に視線を落としたままで龍吾が言う。
「言わねえと分かんないか?」
俺は恥ずかしくなって俯いた。
「龍吾、俺のこと好きなの……?」
「さぁ、どう思う?」
「……失恋した俺に同情して優しくしてるだけだって思う」
「そう思うか。それなら、そうなんだろうな」
どうして龍吾はいつも、はっきりとは言ってくれないんだろう。
「………」
男が男と出会う確率なんて、男女のそれと比べたらずっとずっと少ない。たまたま引っ越してきたお隣の人と恋に落ちるなんて、できすぎているにも程がある。
絶対に恋愛対象にならないと思っていたはずなのに。
結局のところ今の俺は、龍吾が慶介の代わりになってくれればいいなんて都合のいい考えを抱いてるだけで。しかも、初めて会った時にあんなことがあったから――。
百歩譲って、ひょっとしたら、龍吾のことが好きなんじゃないかって、錯覚してるだけなんだ。だから、いま龍吾に対して抱いてる想いも本当の気持ちなんかじゃない。
それが分かっているから、龍吾も俺に敢えて「危険信号」をちらつかせているのかもしれない。うっかり渡ろうとするなよ。よく考えてから進めよ。意味深な言葉や行動で、一度事故った俺にそんなことを教えてくれているのではないか。
きっとそうだ。
納得した瞬間、胸のつかえが取れたかのように体が軽くなった気がした。
「龍吾っ!」
「……びっくりした。なんだよ?」
「海行ったら、また写真いっぱい撮ってくるからな!」
数瞬目を丸くさせた龍吾が、柔らかく笑って俺の頭を軽く叩いた。
「楽しみにしてるぞ。帰ったら話も聞かせてくれ」
「うんっ!」
遠い昔に戻ったみたいだった。
父ちゃんと一緒に暮らしていた頃。こうして頭を撫でてもらう度に、嬉しくて誇らしい気持ちで一杯になった、幼い俺。そして今、大人の男に褒められ、一人の男として認められることの大切さを知った18歳の俺……。
「龍吾、俺の父ちゃんみたい」
「……せめて兄ちゃんにしてくれよ。言っとくけど俺まだ23だからな」
がっくりと肩を落とした龍吾の顔が面白くて、俺は大声で笑った。
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