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第6話
相変わらずの眩しい陽射しに目が覚めた。午前10時。気落ちしたまま寝たわりには、よく眠れたらしい。俺にとっての辛い一日がまた始まった。
目蓋が重く、腫れているのが分かる。こんな顔じゃどこにも行けないし、誰にも会えない。もちろん、どちらも予定はないけれど。
「………」
今日はベッドから出られそうになかった。目蓋だけじゃなくて体も重いし、寝起きという理由を除いても頭が上手く回らない。
このまま二度寝して、夕方くらいになったら適当に飯を食って、また寝よう。
そう思った瞬間、部屋の外――リビングの方で声がした。
「……なんか彪史、昨日から様子がおかしくて。柊くんに迷惑かけなかった?」
母ちゃんの声だ。しかも、すぐ近くに龍吾もいる。
心臓が猛スピードで脈打ち、俺は反射的に引き寄せた夏掛けを頭まで被って目を閉じた。
「いえ。俺のせいかもしれないんで、彪史に一言謝りたいんです。部屋、行ってもいいですか?」
来るな。絶対に来るな。
強く握りしめた拳に汗が滲む。
「ごめんね。私これから仕事だから、あの子のこと任せちゃう形になるけど……」
「大丈夫ですよ。気を付けて行って来てください」
母ちゃんが出て行ってリビングの戸が閉まった数秒後、俺の部屋のドアがノックされた。
「彪史、おはよう。起きてるか?」
「………」
「勝手に入るぞ」
背後でドアの開く音がする。それと同時に侵入してきた龍吾の気配も、ビンビン伝わってくる。俺は固く目を閉じ、寝たふりでこの場をやり過ごそうとした。
「彪史」
「………」
さっきよりも近くで声がした。ベッドの脇に、龍吾が座っているのだ。
「彪史、こっち向けって」
「………」
「実は、慶介も来てるんだ」
「嘘っ!」
俺は慌ててベッドから飛び起き、部屋の中を見回した。慶介が来てるなんて、そんな馬鹿な。
「嘘だ。そうでも言わねえとお前、起きてくんねえと思ってよ」
「っ……! 馬鹿、ふざけんなよっ!」
掴んだ枕を、龍吾の顔面に叩き付ける。いろんな意味で、俺の顔は真っ赤になっていた。
「痛っ、ぶつことねえだろ! ……まぁ、それだけ元気があるのは良かったけどよ」
「何しに来たんだ、お前……」
肩で息をする俺の頬に、龍吾の手が触れた。
「目が真っ赤だ。あれからずっと泣いてたのか」
「う、うるさいっ」
「何をそんなに溜め込んでるのか、俺に聞かせてほしいんだ」
息が詰まりそうになる。龍吾の目は、真剣そのものだった。
「俺にできることなら一緒に悩んでやりてえし、何か言ってやれることがあるかもしれねえだろ。せっかく仲良くなったんだ、もっと頼ってくれていいんだぜ」
「………」
「寂しいんだろ、本当は」
「えっ……」
「彪史、前に言っただろ。俺のこと父ちゃんみたいだって。もし彪史が本気で望むなら、俺、お前の父ちゃんになってやろうか?」
「……何言ってんの?」
「何言ってんだろうな、ほんと。彪史の母ちゃんが俺なんて相手にするわけねえか」
「っ……!」
どうしてそこで父親の話が出てくるのか理解できない。一瞬でも、龍吾が俺の気持ちを分かってくれたのかもなんて思った自分が情けなかった。
「ふざけんなよっ! そんなこと、冗談でも言うな!」
「彪――」
「龍吾、俺のことなんか全然分かってねえもん! そんな奴に相談なんかしたって意味ねえし、時間の無駄だ!」
違う。違う。俺はこんなことを言いたいんじゃない。
頭では分かっているのに、言葉が止まらない――。
「龍吾が俺に優しくする理由なんて、見下してるか、同情してるか、ヤりたいだけかのどれかだろ! 何が父親だ、ふざけんな!」
「………」
一瞬、龍吾の目が哀しそうに揺らいだ気がした。さすがに言い過ぎたと思ったけどどうしようもなかった。だけど、感情に任せて怒鳴ったところで少しも気は晴れていない。
「彪史」
気まずくて俯いた俺の頭に龍吾の手が乗せられる。怒られるのかもしれないと思ったら反射的に体が強張り、俺はぎゅっと目を閉じて唇を噛んだ。
「ごめんな。俺が悪かった」
「え……」
怒るどころか、龍吾は突然謝罪の言葉を口にした。訳が分からなくてつい顔を上げると、龍吾の真剣な目が俺をじっと見つめていた。
「なんで謝るの……?」
無意識のうちに出た言葉に、龍吾の表情がふっと緩んだ。
「自分でも馬鹿なこと言ったと思ってさ」
「……だけど」
「気持ちばっかりが焦って、肝心の彪史のことを考えてなかったと思う。彪史が怒るのは当然だな。だから、悪かった」
こんな時に、どうして龍吾は自分のことよりも俺を優先するんだろう。俺が龍吾の恋人に勝手に嫉妬して、勝手に裏切られた気になって、勝手に怒ってるだけなのに。そんな俺に対して、どうしてここまで優しくしてくれるんだろう。
「ごめんな、彪史」
「……なんで怒らないの? 悪いのは俺なのに」
「なんでだろうな?」
「龍吾はいつもそうやって答えをはぐらかすけどさ……。俺は馬鹿だから、考えても分からないんだよ。それに考えて結論が出たところで、それが違ってたら意味ないし」
ふて腐れたようにそっぽを向くと、龍吾がクスクス笑って俺の頭を撫で回した。
「彪史に気付いてもらいたいっていう、俺の気持ちが分からねえかな?」
「さあね。気付いてもらいたいなら、手っ取り早くはっきり言ったら」
「……それもそうだ」
あれだけ龍吾に悪態をついてしまったのだ。もう何を言われても動じないでいられる自信があった。どんなことを言われても、黙って受け入れるしかない。自分で撒いた種なんだから。
「彪史」
「……なに?」
呟いた瞬間、頭の上にあった龍吾の手に強く引き寄せられるのを感じた。抵抗する間もなく、俺の頭は龍吾の胸へと押し付けられる。温かな彼の鼓動が伝わってくるようだった。
「俺は、……お前のことが好きになってる」
その鼓動の中で、囁かれた。
「だからお前が傷付いてるのを見てられなくて、焦って、あんな馬鹿なことを言った。どんな形でもいいから、彪史の傍にいたいと思った」
「………」
「返事はしなくて構わない。俺の一方的な想いなのは分かってるつもりだからな」
龍吾の腕の中、俺はそれを聞いたことを後悔した。
俺は、龍吾の気持ちには応えられない。それを思うと辛くて、やり切れなくなった。
いっそのこと龍吾との関係をやり直したい。普通の隣人としての関係を築けていたなら、お互いこんな気持ちになることはなかったのに――。
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